静寂と煙

 招待した皆さんは食後のチョコレートと紅茶を楽しみ、大満足で帰っていった。

 サーベイさんからは後日の商談をお願いされたので、サンプル兼お土産にボトル入りウィスキーをひとケース持っていってもらった。庶民向け銘柄の、樽入りより少しだけ上等なやつだ。

 護衛の三人とティカ隊長には、イギリスの定番お菓子セットを渡して喜ばれた。特に女性陣ふたりは、子供のように満面の笑みで手を振ってくれた。

 どこの世界も、女性は甘いものに目がないようだ。


「……俺は、かつてないほど不思議に思ってるんだけどな、ヘイゼル」


 見送り終わって店に戻った俺は、困惑に首を傾げる。


「なんでしょう」


「ホームパーティの客を送り出した後ってのは、汚れた皿が積み上がってグチャグチャのキッチンにゲンナリして明日にしようとか現実逃避しながら不貞寝するのが世の常だと思ってたんだが」


「ずいぶん現実味のある描写ですね。主催側ホストの経験でも?」


「そういう親の姿を何度も見てた。それで、これはどういうことなんだ?」


 店のキッチンは、使用感こそあるものの整理整頓されて綺麗な状態になっている。

 調理しながら汚さずこまめに綺麗にしてた、という程度ならわからないでもないが、汚れた皿もグラスもない。


「メイドですから」


「いや、ウソつけ。お前も俺の隣で接客してただろ」


 “では種明かししましょうかね”みたいな顔で、ヘイゼルはカウンターの上に置かれたペティナイフを右手に持ってこちらに見せる。ナイフの刃には、チーズを切ったときに付いた汚れがあった。


「在庫品でも取得物品でもいいんですが、DSDの在庫整理用テンポラリー一時保管区画ストレージに入れるじゃないですか」


 それを収納して、両手を開く。手品師でいう“何も持ってません”なポーズだ。


「ん?」


「一定の状態保全機能があるんですよ。商品以外の汚れやゴミは自動除去してはじいてくれるというような」


 左の手に現れたペティナイフは、新品みたいに綺麗になってた。


たとえは悪いですが、戦闘車両の内部にがいっぱい広がってたりすると商品として使用不能ですから、それをクリーンにする機能です」


「その機能を、皿洗いの代わりに?」


英国的合理性イッツ・ブリテン


 それはブリテン関係なくないか?

 だったらゴブリンの耳も……と思わんでもないが、生き物の残骸などそもそもゴミなのでクリーンナップすると全消去されて終わりだそうな。

 まあ、正論ではある。


「というわけで、本日はお疲れ様でした」


「おつかれさーん」


「おつかれニャー」


◇ ◇


 エルミとヘイゼルがそれぞれの部屋で眠りに就いた後、俺は窓から外を眺めていた。

 二階からは町の外が見渡せる。あちこちで小さな光が瞬いて動いている。エーデルバーデンにいた頃の世間話で、魔物が発する微弱な魔力光だというような話を聞いた。町の灯りも月明かりもない静かな夜にしか見えない、たぶん日本で言う蛍の光みたいなものだ。

 弱くて小さな青白い光がゆるゆると動き回っているのを眺めていると、えらく遠いところまで来たもんだと、いまさらながらに実感する。

 当たり前ではあるけれども、社畜時代には自分が異世界で酒場を開くことになるなんて、思ってもみなかったからな。


 部屋に置かれた木製の物入れを開いて、中身を探る。

 わずかな着替えと、洗面用具と、財布代わりの革袋。たぶん元の世界じゃ刑務所暮らしだってもう少しものを持ってるな。

 引っ越して来て間もないこともあるが、そもそも私物というほどの物はほとんどない。とりあえず邪魔っけだったり扱いに困ったりしたのを適当に放り込んでいただけだ。

 雑多なものをまとめておいた布袋のなかに、タバコのパッケージがあった。エーデルバーデンで大量調達した食料品や嗜好品に混じって入っていたものだ。誰かの私物が紛れ込んだのかサービス品なのか、未開封のパッケージがひとつとブックマッチがひとつ。この世界で喫煙者はいないようなので、子供が食べられなさそうな缶入りミントアルトイズと一緒に俺が預かっておいた。


 タバコをやめて五年くらいになるか。なぜかいま、ふと吸ってみようかと思った。

 共同生活してる賃貸物件の部屋で吸うのもどうかと思って、足音を忍ばせながら外に出る。

 時計はないけど、体感では八時か九時か、深夜にも間がある宵の口だ。夜に娯楽があるわけでもないゲミュートリッヒの町は、もう灯りもほとんどなく静まり返っている。


 通りに出てパッケージを開封し、暗闇のなかで一本咥える。

 あまり嗅ぎ慣れない妙な香りの葉だ。かなり昔にモータースポーツのスポンサーで見たような気がするブランド。喫煙期間はカネのない学生時代の数年だったので、イギリスのタバコなんて吸った記憶がなかった。

 特に理由もなく吸い始めて、特にきっかけもなくやめたんだっけ。もういっぺんタバコを吸うときが来るんじゃないかとは思ってたけど……


「それが異世界とは思ってなかったな」


 ブックマッチを点け、静かに一服する。火先の触れたタバコの先端が、闇のなかでちりちりと小さく焼ける。ああ、喫煙って、こんな感じだったな……と思ったところで激しく噎せた。


「まッず! なにこれ!」


 禁煙期間が長くて慣れないとかじゃない。なんかプラスティックが焦げたみたいな臭いがする。さすがに勿体ないからもう一服だけしようかと小さく吸い込んだものの、そこで限界だった。ごめん、これ無理だ。

 入手してくれたヘイゼルには悪いが、俺には合わん!

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