崩壊の序曲

 領主館の入り口に、踏み込んでくる気配があった。ヘイゼルに警戒している様子はないので、敵ではなさそうだ。


「ミーチャ! ヘイゼルちゃん⁉︎」


 エルミだ。俺たちが吹き抜けから顔を出して手を振ると、ネコ耳娘とドワーフたちが、ホッとしたような顔で肩を落とした。


「急にドンとかボーンとか鳴ってたから、心配したニャ」


「わしらは心配しとらんかったがな。オークを瞬殺するようなミーチャを、この町の腑抜けどもが倒せるわけなかろ?」


 マドフ爺ちゃんは笑うけど、後ろのドワーフたちは首を振って肩をすくめる。

 実はけっこう心配してくれてたようだ。


「おもてに面白そうなもんが停まっとるな。“もーりす”の親分てとこか。嬢ちゃんたち、腹を括ったか?」


「決断するのは顧客クライアントであるミーチャさんですが、わたしとしては撤退をお勧めします。これ以上の滞在はコストとメリットが釣り合いません」


 エルミは俺を見て頷く。彼女の現状把握でも、そうなるか。

 保護するべきひとたちは、既に保護した。三十名ちょっとを守るのと町全体を守るのとでは、投下コストが桁違いになる。信用できず自助努力も期待できない相手となれば、リスクばかりでメリットもない。

 当然、こちらのモチベーションもだ。


「そうだな。俺は、この町を捨てる。みんなも一緒に来るか?」


「行く先の当てはあるのニャ?」


「ヘイゼルから提案のあった、ゲミュートリッヒだ。聞いたことは?」


 ドワーフたちは苦笑して頷いた。エルミは小さく首を傾げる。


「アイルヘルン? けっこう遠いのニャ」


「いや、妥当な判断じゃな。わしらも、王国に見切りを付けるときかもしれん」


「馬車で五日くらいだったかニャ? ウチはよく知らないけど、爺ちゃんは詳しいのニャ」


「何度かエーデルバーデンから亜人の連中を送り出したとき、装甲馬車を仕立てたのは、わしらじゃ」


「装甲? ……道中は危険なのか」


 エルフもドワーフたちも、あっさりと頷く。


「わしらがこんな町に留まっとったのは、出てゆく足がなかったからじゃ。領主メルケルデの命令で、人間は亜人わしらに装甲馬車どころか馬も触らせんようになったからのう」


 東に向かうルートに地形的な難所はそう多くないが、何度か魔物の生息域を通るらしい。魔物がいない場所には盗賊が多く、魔物も盗賊もいない場所には身ぐるみ剥ごうとする悪徳領主がいるんだとか。

 さらに、亜人の脱出が露呈すればあちこちから邪魔も入るし追っ手も掛かる。


「なにそれ。終わってんな王国」


「なに、ミーチャの装備なら問題ないわい。わしらもようやく、先に出たあいつらを追い掛けられるわけじゃな」


「俺たちドワーフも、“もーりす”を動かせるようになったからな。手が必要なら声を掛けてくれ」


 ヘイゼルに目をやると、困った顔で笑う。

 構造と材質と動く仕組みに興味津々で、答えている内に動かし方を理解したらしい。何度か試運転したところ、さほど問題なく運転してみせたそうな。

 大丈夫なのか? ドワーフって、ヘイゼルと身長あまり変わらないのに。

 俺の疑問を察してヘイゼルは首を振る。


「ペダルが少し遠いようですが、靴底に付ける延長材エクステンダーみたいなのを作って対処してました」


 すごいなドワーフ。

 トラックモーリスが大丈夫そうなら、装輪装甲車サラセンの方も任せてみるか。


 俺たちは手分けして領主館内を捜索し、必要なものを集める。エルミたちは金目のもの。そしてヘイゼルは、かつて小城砦だった頃の遺物だ。


「そこの壁ですね。以前はなかったものです」


「何かで壊すか?」


「いえ、収納します。固定した建材ではなく配置されたもののようですから」


 ヘイゼルが収納すると三、四メートル四方の石壁が消えて、物置くらいの小部屋が現れる。

 トロフィーみたいなものと、武器や貴金属が飾られている。


「これは?」


「誓詞を刻んだ魔道具の杯ですね。かつてエーデルバーデンの住民に、祝福を込めて飲んでもらったものです」


「効果は?」


「精霊の加護があるとか。ですが、基本的には仲間になることを示す祝杯です」


 長剣がいくつかと、魔法の杖みたいなのが数本。貴金属も装飾品というよりも魔法的なアイテムのように見える。いずれにせよ、俺にはあまり縁がなさそうだ。


「回収したら、行こうか」


「……はい」


 ひとつずつ収納していたヘイゼルが、祝杯の下から現れた紙を手に取る。こちらで何度か見た羊皮紙ではなく、繊維が粗めの和紙みたいな植物紙だ。

 それを見たヘイゼルはクシャッと顔をしかめて、笑ったらいいのか怒ったらいいのか、みたいな表情をする。


「どうした」


「……“多大な恩恵は感謝の念を生まず、憎しみの萌芽を植え付ける”」


「そのドイツ人の、予言?」


「ニーチェの格言ですね。“ツァラストゥラザス・スポーク・かく語りきツァラストゥラ”」


 ニーチェ……つうと、“神は死んだ”のひとか。死後の書き置きがそれっていうのも、なんかドイツ人らしいな。


「ある意味で、予言なのかもしれません。実際に、彼の書き残した通り、筋違いの憎しみが芽吹いたわけですから」

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