剣と魔法とステンガン ――ゴスロリなショップ機能(英国面強め)で目指せ優雅なスローライフ!――

石和¥「ブラックマーケットでした」

ほったらかしの転移者

ベット・ザ・ポンド

“――賭けろベット


 真っ暗闇のなかに、女の声が響いた。歌うような笑うような、誘うような声。

 俺は、気が付くと山道に転がっていた。


 ヨレヨレのTシャツの上にペラペラのパーカー。膝丈のカーゴパンツと履き古したスニーカー。坊主頭に無精髭。どっかのチンピラとしか思えない格好だけど、これで無職の三十二歳だ。

 笑えるだろ。いや、笑えねえぞ本人だと。


三枝さえぐさ光也みつや。川崎市出身、大田区在住」


 名前も年齢も住所も電話番号も覚えてる、が……

 なんでこんなとこにいるのかは、ビタイチ記憶にない。バッグも財布もなく、ポケットも空っぽだ。靴履いてるってことは、小銭掻き集めてメシでも食いに出たとこで何かあった、とか?


 ……全ッ然、覚えてねえ。


「どこだよ、ここ」


 周囲には、鬱蒼とした森が広がっている。名も知らん木はどれも太く高く樹齢はかなりのもんだとわかる。

 親の転勤で関東近県を回った俺は、さほど大自然に馴染みがない。ここまでスゲー山といったら群馬くらいしか知らん。あと秩父。


「どっちも温泉がすっげー良いんだよな。再就職したらお祝いに……ん?」


 ひどく勘に障るような笑い声を聞いて、思わず木陰に隠れる。

 ハーブかシンナーか人工精製薬物M D M Aか知らんけど、ガラ悪いガキどもがキマッてるときの声に似てる。

 急に、ひどく嫌な予感がした。

 そんな状態で山んなかを練り歩くジャンキーはいない。そして予感なんて、悪い方だけは、たいてい当たるのだ。

 案の定、二十メートルほど離れた茂みからゾロゾロと出てきたのは小学生ほどの身長で槍を持った緑の肌の集団、どう見ても……


 ゴブリンだった。


「……さっすがに群馬やら秩父に、あんなんいねえよな」


 笑うつもりの声が震えた。

 緑の肌の小鬼たちは、全部で十五、六体といったところか。どいつも狂ったような笑いを上げてむっちゃハイテンションだ。

 見付かったら間違いなく殺される。あれは、確実に喰われる。だって、あいつら持ってるの、たぶん鹿かなんか大型動物の脚だし。


 冗談じゃねえ。

 ここがどことか、どうでもいいわ。それ以前の問題だろ。これ、あれじゃん。


「……異世界転移かよ」


 ふッざけんな、そんなのは血気盛んなティーンエイジャーの頃にやってくれ。

 そもそもチュートリアルどうした。まず世界観とルール教えろよ。あなたはトラックに轢かれましたーとか、手違いで死んじゃいましたテヘペロとか、あんだろオイ。

 涙目のドジっ子女神とか、転移者への恩恵とか、詫び石なチートスキルとか。俺ツェー的な、美少女ハーレム的な、世界を救う陰の実力者的な、なんかそういうのが必要だろうよ、なあ⁉︎


 心のなかでいくら吠えても応える声はねえし。いくらポケットひっくり返しても武器どころかコインの一枚もねえし。着たきり洗ってないパーカーから濡れた犬みたいな匂いさせた半ズボンの無職に、ナニさせようってんだよ。


 最初に聞いた声が蘇る。


“――賭けろベット


 だから、何をだよ。命か?

 ふざけんなコラ、そんなもんブラック企業で潰れるまで毎日毎晩クソまみれのテーブルに手持ちの全部を賭けて張ってド底辺で這いずってきたんだよ。その結果がこれじゃねえか。

 コロナ不況で業績悪化したら非正規雇用はアッサリ首切りだ。SE稼業も十年選手だと他の業種じゃ生き延びられねんだよ、クソが。ITドカタなんて混み合った都市部にしか仕事ねえってのによ。テレワークなんて絵空事は大手の正社員だけで……


「ふにゃゃああぁ……⁉︎」


「うわビックリしたぁ!」


 鬱々とした記憶の汚泥ヘドロに沈んでいる途中、どこかで叫び声と悲鳴が上がってビクッと我に返る。


「オオグオォッ!」


「にゃぁッ」


 殴られたか蹴られたか、嫌な感じの鈍い音がして急に静かになった。

 甲高い声で笑い出したゴブリンたちの方を見ると、集団の最後部で何かが引きずられてるのが見える。ボロ雑巾みたいになった毛玉みたいのは、ネコと人間の中間といった見た目の……おそらく獣人なのだろう。血か泥かデロンデロンに汚れて、年齢も性別もわからない、が……


 生きてる。少なくとも、いまは。


 力なく投げ出された手足が、ときおり助けを求めるようにパタパタと動いている。剥がれかけの服から覗いている白い腹と華奢な脚は、どうも女の子のように見えた。


 ……悪いけど。いや、ホント悪いんだけど。

 ここは盗賊に襲われてる女騎士とかお姫様とか捕まってる奴隷の子とか助けてチート主人公の運命が転がり出すとこかもしれんけど。

 そして犬よりネコ派な俺には苦渋の選択なのだけれども。


 無理だし。

 いくらガタイは小学生サイズったって筋肉質で凶暴で緑の肌したジャンキーの凶器持ち小学生だし。それがひとクラス分くらいいんのに、運動不足で丸腰の三十二歳無職がどうにかできるわけねえし。


 いま捕まってるあのネコっぽい子だって、人里離れた山のなかで血みどろの半死半生で、いまさら俺が助けに入ったとこで状況変わんねえだろ。

 いや、ただの言い訳なのは自覚してる。状況は変わる。少なくとも、逃げる隙を作るくらいには。問題は、その後がどうなるかだ。

 引きずられてた子の視線が一瞬こちらに向けられ、ビクンと痙攣するように身体が跳ねる。


 いま、目が合った気がした。


「……たしゅ、けッ」

「オオゴォッ!」


 気のせいじゃなかった。こちらが隠れたところで、また鈍い音がして、小さな金属音が響く。

 もういっぺん覗き見ると、引きずられた獣人の身体は、グッタリと動かなくなってしまった。下手に手を出したところで犠牲者がひとり加わるだけだ。そんなことは、わかってる。

 わかってはいても、気持ちと腹の奥が、どんよりと重く淀む。割り切ろうとしても、上手くいかない。


「実現できねえ夢は見るな。器に合わない物を抱え込もうとするな」


 過去に何度も呟いてきた言葉を、俺は口に出して唱える。それはブラック業界でエンジニアとして生き残るためのモットーだったが、いま生き残れるかどうかは、物理的にだ。


「ああ、くそッ……くそくそくそくそッ!」


 勝手に踏み出そうとした足が、反射的に止まる。

 俺の背後、茂みを掻き分けるような音が聞こえてきたからだ。木陰に隠れて、音のした方を振り返る。剣を持った若い男女が青褪めた顔でこちらを見ていた。

 身動きできないまま見守っていると、彼らはボソボソと話し合い始めた。


「しょうがない、よね? わたしたちは……悪くない」


「こう、するしか……なかったんだ。だって……」


 ふたりが見ていたのは、俺じゃなかった。ゴブリンの集団が去った……獣人の子が連れ去られた方向だ。


「おい、行くぞ」


 若い男女のさらに奥で、面倒臭そうに男が言った。茂みに隠れて顔は見えないが、声はあまり若くない。


「魔物どもが湧いてくるなかに残りたいってんなら、好きにしろ」


「ひッ⁉︎」


「い、行きます。待ってくださいマーバルさん」


 よくわからん連中が立ち去った後、後続がいないことを確認して俺は茂みから出た。若い男女と中年男を追うべきか、ゴブリン集団を追うべきか迷う。

 前者は関わりたくない事情がありそうだったが、その事情は攫われた獣人の子につながっているようだ。


 ゴブリンの群れが通ったところを調べると、地べたにコインらしきものが散らばっていた。

 これが振り撒かれてるってことは……あの獣人の子、袋に入れた硬貨でぶん殴られたのか。ひでぇな。殴打用砂袋ブラックジャックのエゲツない版みたいなもんだ。そんな重たいもん、まともに食らえば下手すると死ぬ。


 落ちていたのは、汚れた安っぽい硬貨が十枚ほど。現地通貨なのか、えらく雑な作りだった。

 真円じゃないし、厚みもない。鋳造じゃないのか、刻印さえ均等じゃない。材質不明なネズミ色の金属は、強くつまんだら指で曲がるくらい薄くて軟らかい。

 この世界の文化レベルを推測して、俺は溜め息をついた。元いた世界じゃ、子供の玩具だってもっとしっかりしてた。


「いや、良いけどさ、別に。この状況じゃ、お貴族様になって内政チートしろとかいわんだろうし。中世だろうと石器時代だろうと、俺には関係ねーし」


 思わず拾ってしまうけれども。いま欲しいのはカネじゃない。だいたい、こんなボロ硬貨を拾って何の役に立つっていうんだ。店どころか人っ子ひとりいない……こともないけど化け物に捕まった可哀想な犠牲者しかいない、山奥なのに。

 必要なのは武器だ。防具もあれば、なお良い。


「武器になるようなもの……」


 使えそうなものは、なんにもなかった。深い森の只中にいるというのに、棒切れひとつ落ちてない。鈍器にできそうな石も。

 これは詰んだな。最初に遭遇した現地人――そして次に遭遇した現地人たち――との接触に失敗した結果として、ここがどんなところなのか何もわからないままだ。

 生きて街にたどり着けるかどうか、既にちょっとした冒険だな。

 ゴブリンたちがふもと側からやってきたってことは、近くに人間の住処がないか、あっても安全じゃないかだ。おまけに、中年男が言ってた言葉が正しければ、ここは“魔物どもが湧いてくる”場所なのだ。


 見上げるとまだ陽は高いが、空に大型の鳥が何羽も旋回しているのが気になった。首と脚が細長く、翼も妙に広い。猛禽って感じじゃない。あれ、ぜったい屍肉喰らいスカベンジャーだろ。

 森のなかには、彼らが集まってくるだけの死体エサがたくさんあるってわけだ。


「ヤベぇ……何なんだ、この状況……」


「キイイイィイ……ッ!」


 森の奥から出てきたネズミの群れが、俺を見て警戒音を上げる。

 すぐに走り去った群れの多くは、動物の死体の死骸にしか見えない断片を咥えていた。見なかったことにしたかったけど、ご丁寧にも俺の前にちぎれた内臓を落としていきやがった。

 ネズミを追ってきた獣かゴブリンの後続か、けっこう大きな生き物が茂みを掻き分ける音まで聞こえてくる。

 さっきのゴブリン集団だけでも無理なのに、そんなもん素手でどうにかできるわけがない。


「ははッ、ハナから詰んでんじゃん、俺の異世界ライフ」


 どうでも良いや、もう。

 歪んだネズミ色の硬貨を指で弾いて、俺は小さく笑う。

 どうせ人生なんて終わってんだ。異世界転移の前でも後でもな。裏が出たらゴブリンたちのやって来た方向、山麓ふもと側に向かう。表が出たらあいつらが去った方向、山嶺やま側に向かう。

 どっちにしろ自殺行為だ。知ってる。

 どうせ死ぬなら、ひとりじゃない方が良い。さっきの獣人の子を助けに……いや、無理だろ。十五、六体のゴブリンなんて、勝てる気が微塵もしねえ。


「……知るか、ボケが」


 俺は誰に対してともなく毒づく。リスクとコストを考えてイモ引く人生なんて、もうたくさんだ。全滅させられなくても、俺が囮になってネコの子を逃がすくらいなら、できないとも限らないしな。

 剣や槍とまではいわないが、せめてスコップくらいあったら成功率は随分変わるんだけど。


賭けるベットしろって? ああ、やってやるよ。表が出たら、あのゴブリンを、ぶっ殺……す?」


 何かが光って、弾き上げたコインは空中で消失した。


“ベット受諾、取り引きを開始します”


「……は?」

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