その51:さよならばいんばいん

 芝生広場。鬼の形態になった大黒鬼は、俺たちから三メートルほどのところで立ち止まり、打ち出の小槌を地面に打ちつけようとしていた。

 俺とひよりは大きくなった部分に触れられると危ないが、その心構えができていれば対処はできる。簡単に触れさせやしない。しかし、なぜやつはわざわざこちらに近づいてきたのか……?


「グカカ。スグニにバクハしてやるッ。ソレっ。……ダイダイ」

 大黒鬼が小槌で地面を打ちつける。爆破するということは、やはり転送されるのは俺か? それともひよりか? 俺が転送されたら、やつが足に触れようとしたところでアッパー食らわせてやる。さあ、来てみろ。

 ……と考えていたんだが、俺は転送されなかったようだ。ひよりも……そこにいるようだが。こんちゃんもいるし……。不発だったのか? と思った瞬間。

「グキキ。バクハだエビ~」

 と言いながら、大黒鬼とは違う鬼が、ひよりのすぐ目の前に現れた。

「グカカ。そいつノむねヲおおきクしてヤッタ。むねヲネラエっ」

「グキキ。ワカッテるエビ! こいつハ、あのコドモだ。さっきマデはマッタイラで、コンナむねハなかったカラなエビエビ」

 そして、いきなり現れた鬼の手がひよりの胸へ伸びる。

 あ……。バカ、そんなことしたら……。あまつさえ、そんなこと言ったら……。

「なにいきなり乙女の胸に触ろうとしてるんですかぁっ! 誰がこどもですかっ! 何が真っ平らなんですかぁっ! ヘブンズっ! クラーッシュ!」

 うわ。ご愁傷さま。


 ひよりの胸に触れようとしていた鬼の、少し開いた股間に向けて、ひよりのつま先が突き刺さった。そしてそのまま、ひよりの足が上に振り抜かれる。

 鬼は、力なくのけぞるような形で後ろに三メートルほど飛んでいった。ちょうど大黒鬼のいるあたりまで。そちらを見ると、かわいそうに、鬼は白目をむいて泡を吹いていた。そして次の攻撃が来るかと大黒鬼を見ると、なぜか大黒鬼も白目をむいて泡を吹いていた。

 今まで俺も何度か食らいそうになっていた、ヘブンズクラッシュ。いわゆる金的蹴りだが、実戦で見ることになるとは。相手が鬼とはいえ、こればっかりは同情を禁じえない。俺は思わず、やつらに向かって手を合わせていた。しかし、俺が食らわなくてよかった……。


「メグルさん、メグルさん」

 鬼に手を合わせていた俺に、ひよりが声をかけていた。

「封印タイミング、出てますから。どちらの鬼にも」

「ん……。ああ、そうだな。これは出てるよな。絶対。少しのダメージどころじゃないもんな。まぁ、あの様子なら急がなくても大丈夫だよな。ひょっとして、やつら死んでないか? ……だいたい、なんで食らってない大黒鬼まで泡吹いてるんだ?」

「死にはしませんよ。大丈夫です。……でも、なんでしょうね。現れた鬼は、屋根にいた恵比寿鬼さんみたいですけど。エビとか語尾につけてましたから。それにしても、爆破するような能力のないはずの恵比寿鬼さんがわたしに触れようとしてきて、恵比寿鬼さんのダメージが大黒鬼さんにも入ったみたいだというのはいったい……」

「んー。まぁ、とりあえず封印しておくか」

 俺は大黒鬼と恵比寿鬼の順に、やつらの額に手を当てて「封印」と口にした。

「アガガガガ」「アギギギギ」

 封印され硬直が始まって、逆にそれによって気がついた二体の鬼は、俺たちの方を見る。

「アガ、アガアガ」「アギ、アギアギ」

 そしてまたパニックのように震えだす。たぶん、ひよりを見て。

「……相当恐ろしいんだな。ひよりのこと……」

「だって、いきなりこの胸を……。乙女なら誰だってあのくらいの反撃しますよっ」

「あんなことできる乙女、そうはいないと思うけどな」

「あはは。まー、メグルくんは乙女の扱い、用心しないとダメだねー」

「俺はあんなこと、しないからな」

「しないんですかっ?」

 などと話しているところに、マッコちゃんが駆けてきた。


「はぁっ。はぁっ。みなさん、無事っスか? 恵比寿鬼が消えてしまったんス。こっちに来たんじゃないかと思ってマッコも加勢しに来たんスけどっ」

「あはは。ご苦労さんだねー。もう終わっちゃったよー? ほら、あそこでふたり、封印の硬直中だよー」

「ああ。終わったんスね……。遅かったっス。って言うか、恵比寿鬼が消えたのついさっきなのに、封印されるの早すぎっスよ。何しに来たんスか。あの鬼」

「うん。それがよくわからなかったんだよね。わたしの前に突然現れたんだけど、胸を触ろうとして……。それで、ヘブンズクラッシュをお見舞いしたんだけど」

「あー。それは天罰てきめんっスね。ひより先輩の胸を……って、なんスかっ? ひより先輩のその胸はっ」

「うふ。うふふ。わかっちゃった? ついにわたしにも成長期が……」

 ひよりは、右手を頭に左手を腰に当てて、たぶんセクシーだと思ってるっぽいポーズをとる。

「マジっスかっ? マッコも負けそうっスねっ。ばいんばいんっスよ!」

「いやあのな。それ、大黒鬼の鬼具でそうなってるだけだからな。成長したわけじゃ……」

「あーあー。聞こえません聞こえませんっ」

「現実逃避するなっ。鬼が封印されてしまえば戻っちゃうんだろっ?」

「うう……わかってますよ……。でももう少しだけこの気分を……。あっ、あの鬼具を回収すれば……」


 ひよりは鬼のところへ走り、大黒鬼の小槌、恵比寿鬼の釣り竿とビクを回収する。

 大黒鬼は、近づいてきたひよりにおののきながらも言う。

「グガ……。オレたちのキグは、オレたちがフウインされれバつかえナクなるゾ……。ダイ」

「それはわかってますよ。研究用に回収するだけですよ。べつに、なんにも期待なんか……。あ、そうだ。さっき、弟さんをこちらに転送してどうしようとしてたんですか? 爆破は、あなたの能力なんでしょ?」

「グガ……。バクハはオレのノウリョクだが、オトウトのノウリョクはオニのケイタイでシンカするのダ……。ム……。もうジカンだナ……。オトウトよ。サキにイッテルぞ。……ダイダイ」

 大黒鬼は封印の時間が来たようで、媒介石である大黒様の飾り瓦のある屋根へ飛んでいった。

「あ。行っちゃった。……弟さん、あなた、わたしの胸を触ろうとしましたねっ?」

「グギ……。ソンナめデみるナ……。アレはアニキのノウリョクをツカオウとシタだけデ……。えっちナきもちナンカ、マッタク……エビ……」

「わたしなんかじゃ、えっちな気持ちなんて起きないって言うんですねっ」

「ソンナ……。なんてコタエればイイんダエビ……」

「まぁ、とりあえずそれはいいでしょう。で、あなたの能力が鬼形態で進化するとかお兄さんが言ってましたけど、どういうことですか?」

「オレのキョウユウは、シンカしてカンカクからノウリョクニ……。ジカンだエビ」

 恵比寿鬼も、もとの恵比寿様の飾り瓦に戻っていった。


「もう……。肝心な話をする前に行っちゃった」

「いや、ひよりが最初にいらん話をしてたからのような気がするが」

「わたしの胸は、いらん話ですかっ。……ああっ」

「ひより先輩、どうしたっスか?」

「わたしの、ばいんばいんが……。ううう……」

「あー。大黒鬼が完全に封印されたから、大きくなぁれ効果が切れちゃったんだねー。ほらほら。ばいんばいんじゃなくなったから、服がはだけちゃってるよー。直して直してー」

「あ。俺の足も普通に戻ったな。めでたしめでたしだ」

「めでたしじゃないですよっ。わたしの……わたしのばいんばいん……」

「まぁまぁ、元に戻っただけじゃないっスか。ひより先輩はそれで十分にカワイイ……」

「マッコちゃんにはわかんないんだよっ。こんなにあるんだからっ」

「ひあああっ。そんな、つかまないでほしいっスー!」

「あまってるんなら半分ちょうだいよーっ!」

「ひいいいっ。もげちゃうっスー!」

「どうどう。ほら、ひより、落ち着いてー……。ダメか。メグルくん、冷やしてあげてー。あはは」

「え、俺が? ああ、あれか。……どうやるんだっけか。えーと、右から回して、左下A同時……か。うっ、指がつりそうだ」

 左腕のコントローラー固着紋を操作すると、俺の左手から水流がほとばしり出て、ひよりの顔を直撃する。


「どうー? 頭冷えたー? あはは」

「うん……。冷えた……。ごめんね。マッコちゃん……」

「あは。あはは。だ、大丈夫っスよー。まだちょっとジンジンするっスけどー」

 なんとかひよりの暴走を止めた俺たちは、みなとぴあを出るところだった。

「あ。この屋根が、恵比寿大黒瓦があるところっスね」

 みなとぴあと道路を隔てた家の屋根。大黒瓦が見えている。

「ここ、団子屋さんだな。確か、笹団子でわりと有名なところだ」

「んー。思いがけないところに媒介石があるもんだねー。もっといろいろ街を見てみないとだねー」

「そうっスね。……あ、ひより先輩、びしょびしょっスね。マッコもちょっと濡れたっスけど」

「すまん。水量の調整がよくわからなくて」

「あはは。これからお風呂行くから大丈夫だよー。もともとお風呂行く途中だったんだからねー。あらためて行こうかー。おっふろーおっふろー。行くよー。ひよりー」

「う、うん……」

 こんちゃんとひよりが前に、俺とマッコちゃんが後ろを歩く。ひより、まだなんだか元気ないな。

「なまじ、一度大きくなっちゃったからなぁ。風呂入って元気になればいいけどな」

「そうっスねー。でも逆にまた落ち込むことにならないといいっスけど……」

「……ああ、なるほど。マッコちゃん、元気づけてやってくれよ」

「ま、マッコが元気づけようとすると、また……」

「それもそうか……? 難しいなぁ。まぁ、一晩寝れば忘れちゃうんだろうけど」

 小声でそんな話をしていると、ひよりが振り向いて言う。

「あ。メグルさん……。その小槌、貸してもらえますか?」

 俺が持って歩いていた、三つの鬼具。研究用ということで、回収していた。もうその能力は消えている。

「お、おう。ほら」

「ありがとうございます。……うふふ」

 そしてまた銭湯に向けて歩き始める。しばらくすると、こんちゃんが困ったような顔で後ろの俺たちを見る。

「……ひより先輩、なんかブツブツ言ってるっス」

「ん……。何言ってるんだ?」

「……大きくなぁれ……大きくなぁれ……」

 うあああ。ホラーか。早く調子直してくれよ。頼むから。

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