2020/8/11

家郎

2020/8/11

 今から46年前、日本標準時における1974年の8月11日。この日、地球はいまだかつてない危機を迎えた。しかし、とある組織のエージェントたちの手により、人類史の終焉は寸前で回避された。

 そして2020年。ある種の自然災害とでも呼ぶべきこの災厄は、再び地球に訪れようとしていたのである。


 その名は、わたけもさん大量発生の流れ。


 マーモットに似た姿の生命体であるCottonBeast(日本名「わたけも」)が、46年周期で地球上に大量発生する一連のインシデントである。その発生の歴史は紀元前まで遡ると考えられ、「新約聖書」の「ヨハネの黙示録」に記された獣のモデルは爆発的に増大したわたけもである、とする説もあるほか、わたけもが地球を覆い尽くした暁には、あらゆる生命が死に絶えるともいわれている。

 当然のことながら、人類はこの災いに対し、ただ手をこまぬいている訳ではない。46年ごとに訪れる大量発生の流れを未然に食い止めるべく、北大西洋に位置する英領コットンビース島に、ある国際組織が置かれた。国際わたけも警戒機構(International Watakemo Alert Organization)、通称IWAOアイワーオである。IWAOこそ、前回のわたけもさん大量発生の流れにおいて封じ込めに活躍し、人類滅亡の危機を食い止めた組織なのだ。有事の際には、世界各地の気象台や観測衛星を全て並列に接続、わたけもの観測のために使用する権限を有している。

 わたけもさん大量発生の流れは、回を追うごとに増大の傾向を示している。よって、2020年の大量発生を未然に防げなければ、待っているのは世界の破滅である。少数精鋭のIWAOエージェントだけでは阻止しきれないとの意見が勢いを増す中、代表のスペンサー・I・K・イレルは対応に苦慮していた。

 2019年夏、日本の幕張で開かれた同人誌即売会で発生したニホカワタケモの封じ込めに際し、実にIWAOはエージェントの3分の1を失っていた。絶滅生物のニホンカワウソに近いフォルムに変化した、既存のわたけものどの種よりも活発に増殖する変異種が、突如として出現したのである。初動対応が遅れたために民間人にも被害が及んだこの事案で、IWAOの信用は失墜の危機に瀕しており、気象台と衛星の並列接続によるわたけも観測網の維持さえ難しくなりつつあった。

 そこでイレルは、現代だからこそ可能な、民間人を利用する策に打って出たのだ。

 8月10日、IWAOは手始めに日本向けの公式Twitterアカウントを開設。衛星写真を模式化した画像を投稿して現状を周知しつつ、ハッシュタグ「#8月11日はわたけもさん大量発生の流れ」を通じた情報提供を呼びかけた。

 これに対し、日本人の一部のTwitterユーザーは好意的な反応を示した。IWAOの注意喚起に応じ、わたけもに対抗しうる下着を着用する者や、一般市民に警戒を促す行動に出る者も現れた。


 そのさなか、インシデントは幕を開けた。

 前回もわたけもが初期に確認された東アフリカ・ウガンダで、わたけもが観測されたのである。

 発生直後のわたけもは基本的に大人しく無害であり、この程度の勢力であれば、早期封じ込めさえ可能なレベルであった。しかし、IWAO内の反イレル派エージェントが出動命令に背いたため対応が遅れ、わたけもは徐々に勢力を拡大していった。

 加えてその3時間後、紅海周辺にぼとけも(英名BottonBeast、Bは「B-type」の意)の発生が確認された。わたけもの白変種とみられるぼとけもだが、今回のぼとけもにはある変わった特徴があった。

 そもそも、ニホンカワウソに類似した運動器官を有するニホカワタケモを除けば、わたけもは皆陸棲である。だが今回のぼとけもは海岸に出現しており、水棲型に変異した可能性を示唆していた。その危惧からIWAOは、アフリカ大陸よりもぼとけもに対する処理とサンプルの獲得を優先。結果として、実質的に放置に近い状態にあったわたけもはさらに増大、インド洋を横断してオーストラリア大陸にまで勢力を伸ばしたのである。大量発生予想日の前日でありながら、南半球の人類生息圏の制圧も、時間の問題であった。

 イレルは自ら公式アカウントを運用、情報収集に注力したが、日本向けにアカウントを開設したために、目に入るのは日本人ユーザーの危惧する声ばかり。肝心のアフリカ、オセアニア、中東には、そもそもアカウントの存在すら認知されていなかった。IWAOでは、イレル派のエージェントからさえイレルの失策を非難する声が上がり、彼は窮地に立たされていた。今やIWAOは指揮者を失い、もはや国際機関と呼べない烏合の衆と化しており、統率の取れなくなったエージェントたちは、主にニホカワタケモが出現した南米で撤退を重ねた。


 そして、Xデーの日本時間8月11日。

 ウガンダから発生し、アフリカ大陸全域に拡大したわたけもは、アラビア半島周辺のぼとけもを吸収、さらに活性化した。南アメリカでは、エージェントの攻撃により増殖速度の早まったニホカワタケモが大陸を掌握。南極大陸付近にも新たなわたけもが出現した。また、南太平洋にぼとけもの出現が確認され、これによりぼとけもが水棲型に変異していることが証明された。

 さらに特筆すべきは、わたけもがインターネット空間や人々の認識世界に侵入し始めたことである。とあるTwitterユーザーの主催するライブ配信では、その公式サイトの画像にわたけもが現れる事案が発生。サイトの運営者は「インターネット空間への侵食」と綴っている。別のユーザーは、脳活動の中にわたけもが侵入したことを示唆する書き込みを残した。

 これらの事実から、8月11日におけるわたけもは非常に増大スピードが速く、それに伴って急速に変異することが伺える。特に、1976年には世界に浸透していなかったインターネット空間にわたけもが進出したことは、次回の大量発生が予測される2066年の人間社会において、さらなる脅威となることが予測される。

 日本列島に進出したわたけもは、人口密集地から徐々に勢力を拡大していった。日本での拡大に関しては、件のハッシュタグによる民間人からの発信が非常に多かったため、詳細な内容を記述できる。わたけもの生態に関する興味深い情報も数多い。

 日本のユーザーに対してIWAOが提示した生態に関する情報は、「わたけもには『大人しい』型と『危険』な型が存在すること」のみであった。46年前の映像および文章の記録から得られる情報には限界があったからだ。イレルもまた、1976年8月11日の後に生まれた新世代であり、実際にわたけもと接触したことは皆無に等しかった。

 しかしながら、この僅かな情報から日本の人々はわたけもの脅威を認識、避難等の行動に出たのである。一方で、人間の特性を利用してか、家屋に侵入して無害そうに振る舞い、人間に近づこうとする個体も現れたといい、全日本国民がわたけもの脅威に関する正しい認識を持っていたかに関しては疑問が残る。


 ここまで日本国内の状況について記したが、今回わたけもが初めて目撃されたウガンダでは、わたけもの臀部(以後「わたけつ」)や胸部(以後「わたちち」)による負傷者が続出、現地の医療機関はキャパシティの超過にあえいだ。

 その理由として、今回のわたけもが地球温暖化に対応して変異したことが挙げられる。1976年の映像記録から確認できるわたけもに比べ、2020年型のわたけもは、わたけつやわたちちに肥大化がみられ、わたけもが猛暑に対応、放熱機関としてこれらを利用すべく姿を変えた可能性が高い。事実、2020年8月11日は北半球が猛暑に見舞われたが、わたけもの増大の勢いが衰えることはなかった。むしろ、イレルの見解では、巨大化したわたけも(日本において目撃証言あり)や浮遊能力を獲得したわたけも(IWAO公式Twitterを参照)のわたけつ、及びわたちちからの放熱によって気温が上昇したと見たほうが自然であるとしている。


 日本時間の午前9時以降は、わたけもの増殖スピードが一層早まった。既にIWAOエージェントは防衛義務を放棄しており、野放しになったわたけもがさらに拡大したのである。日本では海岸に大量のわたけもが確認されたほか、ロシア北部では、1976年・オーストラリアと同様の「わたけも」と読めるミステリーサークルが出現した。このミステリーサークルとわたけもとの関連は、正確には不明である。また、街中のポスターの文言を変化させるなど、わたけもが現実改変能力を獲得したともとれる投稿も見受けられた。なお、これらの投稿は絶対数が少ないことから、獲得した現実改変能力は微弱なものと推測されている。


 そして、日本時間午後4時過ぎ。

 とうとうわたけもは北半球の大半を蹂躙、海上のぼとけもも海洋を遍く埋め尽くした。IWAOの誇るエージェント部隊も、今ではほぼ完全に戦闘機能を喪失していた。2020年8月11日、わたけもさん大量発生の流れは、IWAOもとい人類の敗北で幕を閉じようとしていたのである。


 イレルは、8月11日が終わりを告げたその時に、代表の座を辞すると心に決めていた。この悪夢の如き日を乗り越えることができると信じていたが故の決心であった。何故なら、彼には究極の隠し球があったからだ。

 1976年に回収されたわたけもの細胞片を、イレルは代表権限を利用して密かに培養していたのである。名付けて、「 永遠の輝きを放つ靴のヒーロー Shoeing Hero Of Eternal Shines」、略して「SHOES」作戦である。イレルは、自身が培養したヒト型のわたけもを日本に送り込んでいたのだ。以降、その人造わたけもを「CottonBeast」と呼称する。

 CottonBeastがイレルの思惑通りに動かなければ、SHOES作戦は失敗する。育ての親たるイレル自身も、CottonBeastをコントロールすることは不可能に近かった。いくらヒトに限りなく近い思考回路を持ったとて、CottonBeastはわたけもだからである。しかしCottonBeastの「外界からの影響を受ける」わたけも的本能は、他者の言動にツッコミを入れるという形で人間社会に順応していた。それ故、CottonBeastは主にインターネット上で、人々に愛されていたのだ。それも、先のハッシュタグに反応を示したユーザーたちに、である。

 イレルにとって、またとない好機であった。

 2020年8月11日の夜に、とあるTwitterユーザーがCottonBeast他数名と天体観測を行おうとしていたのである。偶然にも、CottonBeastの行動とわたけもの発生状況は、彼の希望的観測と合致していた。南極から、巨大なニホカワタケモが姿を見せ始めていたのである。

 SHOES作戦の真の狙いは、CottonBeastのスニーカーを輝かせることでニホカワタケモを呼び寄せ、瞬間的に子作りを行うことにより、地球上のわたけもを全て浄化して取り込ませることであった。そして、CottonBeastのスニーカーに光をもたらすイベントとして設定された「足ノルマ」を以て、地球表面は隅々までニホカワタケモとCottonBeastの子世代にあたるニホカワタケモに覆われた。軌道上の衛星からは、ニホカワタケモ層内部で起こった反応を撮影することはかなわなかったが、結果として20時20分過ぎ、地表からわたけもの反応は消滅した。

 人類は、イレルが秘密裏に進めていた計画によって、滅亡の危機を免れたのである。


 ここからは、未来予測である。

 次回のわたけもさん大量発生の流れは、2066年8月11日である可能性が非常に高い。次なる大量発生が起こった時、人類はどうなってしまうのだろうか。

 今回得られた各種データから、わたけもは変異スピードが異常なまでに早いことが証明されている。さらに、サイバー空間や精神領域への干渉も可能であることが示された。

 2066年、世界はますますインターネットと接近し、社会はコンピュータと密接に接続するであろう。人類も、自らの意識をデータ化し、肉体を捨てる時代が来るかもしれない。そうした未来で、果たしてわたけもは現実世界で増大することを選択するだろうか?

 2066年、おそらく我々は2進数の世界でわたけもと闘うことになる。IWAOには今回の記録を詳細に解析し、是非とも対策を練っていただきたい。

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2020/8/11 家郎 @yellou-mistake

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