箱の中身は……

名久井宀

箱の中身は……

「ねえねえ、これ見て!」

「ん? いきなり何だ?」


 帰りの支度をしていた俺に、同級生の羽原はばらなつめが声をかけてきた。

 栗色のポニーテールを振り回し、立ち振る舞いが小動物を彷彿とさせる彼女は、普段より増して興奮しているようにも見える。

 俺は羽原の近くの席に座り直し、差し出されたスマホを見た。


「ほら、この記事」


 二人だけの呼吸が空間を支配する放課後の高校の教室。

 赤い夕陽に照らされて、二人を含めた室内のものが真紅に染まる幻想的な時間である。


「この近くで殺人があったらしいの。なんでも、発見された死体は臓器が大量に抜き取られているみたい!」


 殺伐としたネットニュースを見て、何故か嬉しそうな羽原。

 俺は眉間にシワを寄せて応じた。


「なんだよこれ……めんどくさい殺し方だな。大体、内臓なんて抉り出して何するんだよ?」

「さあね。まあ、これがミステリーなら深い理由があったりするものよ」

「例えば?」


 間髪入れずに聞き返した俺の質問に、考えること数秒の間を開けて羽原は口を開いた。


「そうね……例えば直接の死因は毒殺で、使った毒物から犯人を特定できるようなケースを考えてみる」

「あぁ、そうか。死体の胃袋から毒薬の痕跡が発見される危険性を省みて、犯人は胃袋を抜き取ったって訳か」


 羽原の結論を待つ事なく、俺は答えを導き出した。


「そういう事。けど、こんなありきたりな動機じゃあ、シナリオとして欠陥品よ」

「確かに、ミステリーをミステリーたらしめるのは読者の想像を超えたトリックと、奇抜ながらも納得のいく犯人の動機だからな」


 独り言に近い俺の呟きを聞いた羽原は、得心したような仕草をして席を立った。


「はぁ〜ミステリー談義に花を咲かせていたら、推理ゲームしたくなっちゃった」

「ん? またまた急だな」

「良いじゃん。はい、これ」


 そう言って羽原が差し出したのは菓子折の箱だった。


「蓋のついた……空き箱?」

「いや、中身があるよ。木城きしろくんにはその箱の中身を当ててもらいます!」


 羽原の出す推理ゲームとやらは、中身の見えない蓋つきの箱の中に、何が入っているのかを当てるというものらしい。


「なるほどな。じゃあさっそく」


 そう言いつつ蓋を開けようとすると……


「ストップ! ルールその一、私の許可なしに箱に触れてはいけません!」

「……まあ、そうなるよな」


 羽原の出すゲームがこんな単純な訳無いと分かりつつやってみたところ、見事に待ったを掛けられてしまった。


「若くして天才の異名を得た私は、ゲームであっても本気を出すのよ?」

「把握したよ。他にルールは?」


 聞き返すと羽原は指をピースにして続けた。


「その二、今から木城くんは私に三個の質問をすることができます。その三、質問は『はい』か『いいえ』で答えられるものに限ります。その四、私はいかなる質問にも、正直に『はい』か『いいえ』のどちからで答えなければいけません。以上!」

「なるほどな」

「三回もあるとか思わないで、よく考えて質問するのよ?」

「うむ……」


 悩んでいるフリはするものの、得意げな羽原には悪いが俺はこのゲームの解法を知っている。

 確か、大手企業の入社試験に出されたとか、出されてないとか……まあとにかくこの手の問題のネタは割れてしまっているのだ。


「あらら? 木城くんは筋肉にシナップスが結合されてる特殊固体なのかな?」

「……俺が脳筋だと、そう言いたいんだな?」


 妙な言い回しで煽ってくる羽原。

 せっかくこっちが気を使ってやってるというのに、数秒の沈黙で脳筋呼ばわりとは……。

 煽られてばかりも釈然としないし、ここは一思いにゲームを終わらせてやろう。


「よし、まとまった」

「それじゃ質問どーぞ!」

「一つ目、羽原は次の質問に『はい』と答えるか?」

「ふぅーん、なるほど。答えは『はい』」


 関心と無念が三対一くらいの表情を向けてきた。


 そう、この問題の肝となるのは一つ目の質問だ。

「正直に答える」と「『はい』か『いいえ』で答えられる質問」という条件を逆手に利用した次への布石である。


「二つ目、俺はこの箱の蓋を開けて中身を見て良いか?」

「『はい』どーぞ」

「これで箱に触れる許可が降りたな」


 普通なら許可されるはずのない質問だ。

 しかし、前回の質問で『次の質問にはいと答える』と言った羽原は当然、今回の質問を『はい』でしか答えられない。

 つまり俺は一つ目の質問で二つ目の質問の答えを固定していた訳だ。

 そして、この二つ目の質問をすれば箱に触れるための許可が降り、中身を確認できる。


 もし一つ目の答えで『いいえ』と言われても、二つ目の質問を『箱の中身を見てはいけませんか?』という旨の内容にすれば、回答が『いいえ』で固定された羽原答えと相まって二重否定となり、箱の中身を覗く許可を得たことになる。


 俺は箱の蓋を開けて中身を取り出した。

 中に入っていたのは、なんの変哲もないただの飴だった。


「中身は飴だな?」

「『はい』。いやぁ、さすが木城くん。この手の問題は一通り解法を暗記してる感じかな」

「まあ、そんなところだ」


 俺は戦利品を口に含み、席から立ち上がった。


「それじゃ、俺は帰るぞ」

「ふふっ、私のゲームがここで終わるとでも?」


 それを変なポーズで留める羽原。

 やっぱり、こいつならまだ何か隠していたか。


「ん、続けて良いぞ。時間はまだあるしな」


 今し方立ち上がった椅子に再び腰を下ろすと、羽原はここからが本番とでも言うように口元を曲げた。


「そう言ってくれると思っていたよ。次はルールをちょっと変更するね。まず変更その一、今度はこの箱の中身を当ててもらうよ」


 そう言って取り出したのは、やけに大きく頑丈そうな箱だった。

 先ほど同様、蓋のついた中身の見えないものである。


「変更その二、今度はたった一つの質問で答えを当ててね」

「ん? 質問は一つだけなのか?」

「そう、ひとつだけ。変更は以上だよ、さあゲームスタート」


 たった一つだけの質問で……か。


 このパターンは今までに聞いた事がない。

 そもそも、一つだけの質問で答えを導くことなんてできるのか?


 ……いや、ルールをよく思い出せ。

 この手の問題は出題者の条件を逆手に利用した、逆転の発想が必要になる。

 どこかにヒントが隠されている筈だ。


 ……そもそも、事の発端を思い出せ。

 このゲームは羽原が奇怪な殺人事件の話題を持ち出したところから始まった。

 あの時、俺に話しかけた瞬間から、羽原の思い描いたシナリオで話しが進んでいたとするなら。



 ――そうか、羽原の狙いはこれか。



「よし、まとまった」

「ふぅん、意外とかかったね」

「そうか? 俺には一瞬だったが」


 一瞬間も待てない羽原が意外と長い時間と言うのだから、常識的にはそんなに時間が経っていないはずだ。

 その証拠に、まだ俺の目には真紅の世界が広がっている。


「まあいいや。さあ、質問をどーぞ」

「ああ。……質問だ。箱の中身を教えてくれ」


 ニヤリ、と口が歪む羽原。


「おかしいな、私は『はい』か『いいえ』で答えられる質問をしてって言ったよね?」

「分かっているさ。その上でだよ。答えられるんだろ? 『はい』か『いいえ』で……」


 より深く広角を上げて、笑みとも畏怖とも付かない表情を顔面に貼り付け、彼女は手を叩いた。

 拍手のつもりか。

 乾いた称賛を受け取る。


「フフッ……」


 不敵な笑みをこぼす羽原を前に、俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 手汗がじっとりと湿ってくる。

 この箱の中身、それは――


「箱の中身は『はい』だよ」

「……ッ?!」


 俺は思わず椅子から立ち上がり、大きな箱の蓋を勢いよく開いた。


 そこにあったのは……紛れもなく肺だった。


 まさか内臓を抜き取った凶悪殺人の犯人が……羽原?


 しかし、そんなあり得るはずのない邪推は直ぐに打ち払われる。


「ぷっ、あははは! 何真剣な顔してんの? これは人体模型の肺だよ!!」

「なっ?!」


 彼女は一世一代のイタズラが成功したかの如く、のたうちまわりながら大笑いした。


「はあ。全く羽原、君って奴は……」

「ぷっ、クククッ! あはははっ……はぁ、はぁ。い、いや、でもさすが木城くん! 私は信じていたよ? 私を臓器の略奪犯だと勘違いして、本物の肺がこの箱の中にあるんじゃないかって慌てふためいてくれる事を!」


 息切れしてまで騒ぎ回る羽原を宥めながら俺は続けた。


「はぁ……これは俺の勝手な想像だが、羽原は放課後に人体模型の肺を持っていく仕事を先生に任された。そしてたまたま教室に残っていた俺と、こっちもたまたま起こった臓器略奪殺人の事件を見つけてこのイタズラを思いついた。違うか?」

「ご明察! その通りよッ!」


 ビシッと人差し指を向けては、イタズラが成功した子供のような無邪気な笑みを向けてくる。


「羽原の脳の回転にはつくづく舌を巻くよ」

「回転だけに? あははは! 今なら木城くんのどんなクッソつまんない冗談も笑える気がする!」

「うっせぇ。それと爆笑してるぞ」

「あはははッ!」


 本当に、自分の手元の僅かな情報だけでこんなイタズラを思いついてしまうなんて、この少女の思考はどうなっているんだ。

 天才というのは自称ではなくただの事実であるのだろう。


 しかしここに来て、一つ気になった点がある。

 羽原の動機は、ただ俺を驚かせるためだけの単純なものだったのか?

 もう一度ゲームの条件を思い返してみた。


 起こりうる可能性は数通り考えられる。

 その中でも、あくまで一例として挙げるなら。

 

 ――もし質問の時に、俺が「付き合ってくれ」とでも言っていたら羽原は条件通りに『はい』か『いいえ』で正直に答えてくれたのだろうか。


 あるいはそれこそが羽原のシナリオ本線で、このイタズラは、そんなあり得たかもしれないチャンスを逃した俺に対するちょっとした報復だったのかもしれない。


 

 まあ、結局喜んでいる羽原を見れば驚いた演技をした甲斐があったというものだ。


 

 けど、やられているばかりでは釈然としないな。




 次は俺が『Yes』か『No』で答えられる質問で、このイタズラの仕返しをしてやろう。





 真紅の視界はまだ晴れない。



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箱の中身は…… 名久井宀 @NAKUIUKAN

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