叶わない

堀井 颯

第1話

 エアコンの風が、僕の体を壁へ、壁へと追いやる。


 エアコンの風は好きではない。夏になるとどこでもエアコンが付いているが、エアコンが好きじゃないやつは思っているよりも結構いると思う。


 そんなエアコンの風が顔を叩くように当たり、僕と同じ部屋に住んでいる 石上 美夜(いしうえ みよ)ちゃんが大きな目を擦りながら、気が遠くなるほどゆっくりとまぶたを開けていく。


 美夜ちゃんは大きくて広いベッドの上で上半身を起こし、何をするわけでもなく部屋の壁をぼけっと見つめている。


「なんでこんなに疲れてるのに、今日も会社に行かなきゃいけないのよ」


 ボソッと美夜ちゃんは愚痴をこぼした。


 美夜ちゃんは、ベッドについた右腕を軸に身体をベットの外に向けて、足をベッドの外に出し、部屋の赤いカーペットの上に勢いよく乗せた。


 それと同時に、タンスの横で銅像のように立っていた僕に美夜ちゃんは気づいた。


 美夜ちゃんは、その瞬間「キャー!!」と大声で叫んだ。


 美夜ちゃんは、僕を見るたびに嫌がらせで、僕に向かって耳が痛くなるような甲高い声で叫ぶのだ。


 このことからわかるように、僕と美夜ちゃんの関係はとても、いい状態とは言えない。


 僕は美夜ちゃんから逃げるように、タンスの後ろに隠れる。


 美夜ちゃんはもう家を出発するまでの時間がないので、不快感をあらわにした顔をしながらも、僕のことを考えないようにして洗面所に小走りで向かい、メイクを始める。


 美夜ちゃんが洗面所に行ったのを見て、僕は「隠れる場所を変えた方がいい」と思い、隠れ場所を朝の日が差していてとても眩しいカーテンの裏へと変更した。


 この選択は正解だった。

 

 案の定、メイクを終えて戻ってきた美夜ちゃんはタンスの裏を覗いていたからだ。


 美夜ちゃんはタンスの裏を覗いた後、リビングに置いてある昨日のうちに準備しておいたリュックを右手で掴み、遠心力で体のバランスが崩れるような勢いで肩にかけ、ベットの上のスマホを左手でベットから奪うように取って急いで玄関を開けて家を出発した。


 それを見届けた僕は「僕もそろそろ向かおう」と思い、玄関を潜って家を出発した。


 美夜ちゃん家から1番近い海岸に向かっている。


 その海岸は僕がいつも狩りをする場だ。


 コンクリートの上の石を避けながら、みんなから見たらすばしっこい魚のような速さで、海岸に向かう。

(でもみんなに本気を出されたら、僕は到底敵わない)


 海岸に着いた。ここでは1つ気をつけなければいけないことがある。それは、溺れることだ。これだけは避けなければいけない。僕が溺れていても、みんなは助けてくれないからだ。

 

 僕の友達にもたまに泳げるやつはいるが、僕は全く泳げない。


 溺れないように注意しながら狩りを始める。


 僕の食料の取り方はほとんどの場合、網で獲物を捕まえる。


 網を張ったら獲物がかかるまで放置するだけだ。


 それまではゆっくりと待つ。


 網にかかったら獲物は僕はいつもその場で食べてしまうことが多い。


 あんまり好き嫌いはしないタイプだけど、お酢とかオリーブオイルとかは苦手。肉系の物が好き。


 お腹がいっぱいになったところで美夜ちゃん家から来た時よりも少しゆっくり歩いて帰る。


 行きと帰りで1番気をつけなければいけないのは、みんなに踏まれてしまうこと。みんなは気づかないうちに僕や僕の友達を踏んでしまっていることがある。

 

 しょうがないんだけど、もうちょっと気をつけて欲しい。踏まれたら痛いからね。


 美夜ちゃん家に着いた。


 玄関を潜るともう美夜ちゃんは先に帰ってきていた。


 ぼくが帰ってきたことが美夜ちゃんにバレないように、美夜ちゃんの目を盗んでリビングに入りタンスの後ろに隠れる。


 その日はそのまま特に何が起こるわけでもなく終わった。


 次の日になった。


 今日も昨日と同じように、朝から美夜ちゃんの叫びをシャワーのように浴びせられたので隠れ場所を変え、美夜ちゃんは急いで玄関を出て行った。


 今日は、美夜ちゃんのために家の中にいる悪い虫を取るための網を縫おうと思う。


 僕は編み物が相当得意だ。自分で得意だと言うくらいに自信がある。


 糸を出して、右へ左へと動かして縫っていく。


 悪い虫を取るための網なんてものは僕にとっては朝飯前だ。


 作った網を悪い虫の出そうな所。例えば本棚の裏や僕のいつもの隠れ場所のタンスの裏、洗濯機の裏とかに僕の作った網を設置していく。


 全て設置したところで美夜ちゃんが帰ってきた。


 美夜ちゃんは僕が作った悪い虫を取るための網を見て喜んでくれるだろうか。心を踊らせながら待つ。


 ボーッとリビングのテレビをベッドに座りながら眺めてた美夜ちゃんが「よいしょ」と、疲れたように言いながら立ち上がり本棚の方に歩き出した。


 それを見た僕は網を見てびっくりした美夜ちゃんが見たいから、美夜ちゃんに気づかれないようにしながら後ろからついていく。


 美夜ちゃんが本棚の前に着く。


 分厚めの本を3冊、赤ちゃんの頬を触るかのように優しく本棚から取り出した。


 持っていると重いので一旦本棚の横の小さなテーブルに本を置いた。


 その時美夜ちゃんが何かに気付いて「はぁ、」とため息をついた。


 僕は「そんなため息をつく程、仕事でつかれているのかなぁ? 僕の作った悪い虫を取るための網を見て喜んでくれたらいいなぁ」と思っていた。


 僕がそんな事を思っていると美夜ちゃんがリンゴを握りつぶすかのように力強く本棚に手をつきながら、本棚の裏を覗いている。


 僕は「網に気付いてくれたかな? ここからじゃ美夜ちゃんの顔は見えないけど、きっと喜んでくれてるよね!」そう思いながら美夜ちゃんの反対側から本棚の裏を覗いた。



 そこにあったのは僕の想像してたものとは別世界のものだった。



 僕の作った網はボロボロに美夜ちゃんによって壊されていって、美夜ちゃんの顔は、僕の願った喜んでくれている顔ではなく「ふざけないで!」という怒りに「もうこれ以上やることを増やさないで」という疲れた表情を混ぜた顔をしていた。


 僕がそれに驚いていると美夜ちゃんが僕を見つけた。


「これを作ったのあんたでしょ!ふざけないでよ!もう面倒ごとを増やさないで!」


 美夜ちゃんが僕に憎悪に満ちた顔で言った。


 僕はそれに困惑した。


 だって僕はただ、美夜ちゃんの役に立とうと思って網を作った。


 美夜ちゃんの嫌いな”悪い虫”を捕まえるために。


 僕はただ、美夜ちゃんの喜んでる顔が見たくて。


 僕はただ、美夜ちゃんの顔から少しでも元気を取り戻したくて。


 僕はただ、美夜ちゃんと仲良くなりたくて。


 僕はただ、みんなと仲良くなりたくて。


 僕は美夜ちゃんに、良い虫もいる事を知って欲しくて。


 僕はみんなにみんなの役に立つ良い虫がいる事を知って欲しくて。


 でもそれは叶わない願いだったかも知れない。


 美夜ちゃんからしたら、仲良くなりたくない相手だったのかも知れない。


 みんなからしたら、仲良くなりたくない相手だったのかも知れない。


 でも、それでも、みんなと仲良くなりたかった、みんなの役に立って、みんなに認めてもらいたかった。


 でもやっぱり難しいのかも知れない。


 幾ら役に立とうとしても、それを伝える会話ができない。


 美夜ちゃんと話がしたい。


 みんなと話がしたい。


 でも、それはできない。


    



    だって僕は”蜘蛛”なのだから。



 







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叶わない 堀井 颯 @souhorii

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