第173話 もういい

 勝ったとは言わないが、乗り切ったとだけは言う。

 いくら二対一とはいえ、相手はヤミディレ。

 俺がこれまで何年も比べられ続けてきた勇者である親父と母さんのライバルだった相手に、成すべきことをやった。

 相手の手加減あり、そして俺は左腕を犠牲にしてだけどな。

 つか、もう骨折やら脱臼やらで熱を帯びてるが、もう痛覚を感じねえや。

 ちゃんと治るんだろうな? サディスに回復呪文でもしてもらうか?


「つぅ、あ……ううう、アース……ラガン~!」

「ん?」


 まだ立ち上がれない。流石にいつまでも痛みで悲鳴を上げる奴ではないが、それでもその表情は苦痛で歪んでいる。


「はあ、はあ……私の魔穴を針で無理やりこじ開けた……だと? 馬鹿を言うな……僅かでもズレてはそんなことできるはずが……貴様が……私ですら正確に把握していない、閉じた魔穴の箇所をどうして……正確に……」


 ヤミディレの疑問は当然だ。そりゃ、紋章眼を持っているヤミディレすら分からないと言っているものを普通の目しか持っていない俺に分かるはずがない。

 

「さあな……神様が……味方してくれたのかもな」

「ッ!?」


 まぁ、ヤミディレからすれば神はトレイナだから、ある意味で事実なわけだけどな。


「ぐっ、ざ、ふざ、けるな……神が貴様に手を貸したとでも言うのか?」

「あんたが、神の本当の意思に反しているのなら、そうなんじゃねぇのか?」

「なにい!?」

「ヨーセイのこととか……クロンのこととか……」


 俺の言葉にヤミディレの目尻が動いた。やはり、自覚はあるのか。何のことを言っているのか。


「ダマレ……貴様に……何が―――」

「ああ、いいよ。もう、俺もそこについて何かを言う気はねえし……ヨーセイの友達ってわけでもねーしな」

「ぬぅ?」

「ただ……俺とクロンのことは、俺たちで決めさせてもらう……あんたの望みが叶うのか……そうならないのかも含めてな」


 俺は別にヤミディレに説教できる身でもないし、何かを変えさせようとしているわけではない。

 ただ、俺のことまで勝手に決めさせないってことだ。


「あ、ぁ……ふざ……けるなぁ……アアアアアア! ふざけるなぁ! どうして、貴様らは……親子そろって分からない! 神の存在をどうして軽んじる! この世界を導く……頂点に立つべき神の存在を何故分からぬ!」


 憤怒したヤミディレの言葉……「親子そろって」とは、心外だった。

 だって俺は……


「……トレイナは……」

「神の名を軽々しく口にするな! 貴様は、何なんだ! 大魔の技を受け継ぎながら……なぜ……なぜ神の存在を軽んじる!」

「軽んじてなんかいねえよ……俺は……」


 トレイナが居なければ……トレイナと出会わなければ俺は……


『童……もういい……』

「ッ!?」


 そのとき、睨むヤミディレを少し哀れむように見下ろしながら、トレイナが止めた。



『こやつとは、数百年以上の付き合いだ……もう、その凝り固まった余への考えは今さら何を言っても直るものではない……たとえ貴様が……あのメイドのように余のことをこやつに話をしたところで同じだ……』


『トレイナ……でも……』


『もうよいのだ。貴様がここで戦ったのは、ヤミディレに勝つためでも、ヤミディレを論破するためでもない。世界へ出るための妨げとなっている壁を取り払うことだ。誰が誰に対してどう思うかは個人の自由だ』


『でも……あんたはそれでいいのかよ?』


『余は既に死んでいる存在だ。貴様のように余の姿が見えず、余の声が聞こえない以上、これが数百年以上も共に過ごし、時には共に戦ったヤミディレが余に対して抱いているものなら……もう、こやつにとってはそれが真実なのだ。だから……もう、好きに思わせてやれ』



 少し切なそうに、かつての自分の腹心だったヤミディレの姿を見ながら、トレイナがそう俺に耳打ちした。

 数百年……たとえ、勝手な思い込みの激しいヤミディレであろうと、数百年もそう思い続けていたのならそれがヤミディレにとっては真実なのだと、トレイナはどこか諦めたのか、それとも自分を想うヤミディレへの気遣いなのかは分からないが、そこは俺の入れない領域に感じた。



『もっとも、貴様がこの国を元のあるべき姿に戻すとか、ヤミディレが管理していることが気に食わないとか、そういう意味でヤミディレを打倒したいというのであれば、話は変わるが……』


『ちぇ……ま……そう……だな……』



 まだ、出会って半年足らずの俺には分からないことがあると感じ……ちょっとだけ拗ねたけど、俺はもうトレイナの言う通り、これ以上は言わないことにした。


「とりあえず、あんたが結界を解除している今のうちに、俺とサディスは国を出ていく。あとはあんたの勝手にすりゃいいさ」

「ッ、ま、まて……待て! クロン、さまと……せめて……」

「文通からなら……」

「バ……ふざ……貴様ァァ!」


 その瞬間、ヤミディレは絶望に満ちた顔を浮かべ、立ち上がれない体で這いながら俺に……


「なぜ、私の計画を邪魔する! なぜ、私の思い通りに動かない! クロン様もせっかくやる気を出されているというのに……貴様ごときが! 私の15年の計画の成就……なぜ、ここに来て、邪魔をするのが貴様なのだ! ヒイロたちが私から神を奪い、そして今度はその息子が……私を邪魔する!」


 俺の足首を掴み、魔穴をこじ開けられた激痛に苦しみもがきながらも、俺をどこまでも禍々しい目つきで睨んでくる。

 確かに、トレイナの言う通り、もうこんな状態のこいつには、俺なんかの言う言葉じゃもうどうしようもないだろうと改めて感じた。

 こんなヤミディレに声を掛けられるとしたら……



「ヤミディレ……もういいのです」


「「ッッ!!??」」



 いつからそこに居たのかは分からなかった。

 だが、俺たちが声のした方へ顔を向けるとそこには……



「ヤミディレ、アースから手を放して」


「クロン様! し、しかし、しかし!」


「言ったでしょう? ヤミディレ……お願いします……もう……いいと……思うことはできませんか?」



 さっき、トレイナが俺に言った言葉と重なって見えた。

 まるで、言葉も姿もヤミディレに見せることのできないトレイナの代わりかのように、そこにはクロンが今のトレイナと同じように、どこか切なそうな表情で立っていた。



「大神官様……」


「師範……」



 そして、その傍らにはツクシの姉さんたちや、道場の連中も、そしてサディスも居た。

 皆が居る?

 まぁ、あれだけドッカンドッカン戦ってたら、そりゃ気になるか……

 ヨーセイたちは?


 とはいえ、こんなにみんなが集まっているのに気づかないぐらい、俺はそれどころじゃなかったってことだ。


 そして、それはヤミディレも同じだった。


 だから、気付かなかった。


 戦いで、ヤミディレが巨大な雷を二度も下ろした暗雲が気付いたら無くなり、しかしその雲の上にはさらに巨大で、どこか不自然なものが俺たちの真上を覆いつくそうとしていることに。

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