第124話 汗

 まだ、たった数日だ。


 水抜き。単純に汗を出すなり、唾液を出すなりで、全身から水分を抜く?

 それの何がトレーニングになるかまるで分らない。

 単純に喉が渇いても水を飲むなってことなのだろうか。

 しかしそんなもん、忍者戦士やオーガや不良やカマキリと殴り合った俺には楽勝……楽勝……そんな楽観的だったバカはどこの誰だ?


「オラアア!!」

「雑だぁ! ストレス解消に殴らせてんじゃねえ、相手を想定しろ!」


 力任せにサンドバックに拳を叩きつける、オラツキ。

 サンドバックを後ろから支えていた俺もその衝撃を感じながら声を荒げる。

 大声出したくないのに。


「おい、モトリアージュ! モブナ! 二人同時にスパーリングだ、かかって来い! モブナは俺の左を懸命に避けろ! モトリアージュは中距離から俺にビット級の魔法を放て」

「「おう!!」」


 トレイナが新たに俺に指示した「水抜き」とかいう作業。

 始めて何日? と聞かれれば、まだ片手で数えられる日数しか経っていない。

 それなのに、なんだ? 今の俺の頭や心は、どうなっている?



「どうした、モブナ! たかが左手一本のスピードを落としたフリッカーだ! こんなもんかわせねえと、話にならねえ!」


「くっ、あうつ、う、ぐっ!?」


「モトリアージュ、次、雷! ダメだ、おせえ! てめえは器用に色々な属性を使えるんだ! 中途半端に強力な魔法を覚えるぐらいなら、基礎魔法の発動を瞬時に連続でできる技術を身に付けろ! 次、風!」


「つっ、ビットウインド!」


 

 声を出させるなと思いつつ、どうしてもイライラして声を荒げちまう。

 こいつらに当たるようなことはしないようにはしているものの、内心ではかなりキテしまっている。


「どっすこーい、なんだな! わぷっ!?」

「ダメだ! 瞬発力が足りねえ! そんなもん、誰も当たってくれねえし、当っても大して痛くねえ! 一瞬の踏み込みと自分の全体重をかけるぶちかましを身に付けろ!」


 いつか、自分の中の醜い何かがこいつらだけでなく、辺り全体に喚き散らかすのではないか? 

 それを抑えながら、俺はこの数日を過ごしていた。



「はあ、はあ……おっし。こんなもんだ。後は全員、筋トレだ。どいつもこいつも基礎的な筋肉がなっちゃいねえ。教えた通り、二人一組で、片方がベンチプレスなんかしている間は、もう片方が補助をしてやれ」


「「「「おうっ!!」」」」



 助かっているのは、こいつらが意外と俺の言うことには素直だということだ。

 もし、「えー」、とか「もっと面白いのやろうぜ」とかイチイチ文句言う奴らだったら、とっくに拳が飛んでいたかもしれねえ。

 つまり、こいつらも何だかんだで本気で強くなろうとしているってことだ。だから真剣なんだ。

 それをこの数日で分かったからこそ、俺も仮にも教えている側として、みっともないことはできない。


「よし、じゃあ俺はちょっと走ってくる」


 こいつらに付き合った後は、俺自身のトレーニング。

 朝から夕方までひたすら体をイジメ、夕方からこいつらを夜まで指導し、また夜から俺のトレーニングは始まる。

 外は既に薄暗く、仕事終わりの労働者たちは帰路につき、灯りの付いた店では盛り上がる声が聞こえてくる。

 すると……


「おーい、アース君!」

「……ツクシの姉さん……サディス……」

「お疲れさん! まだトレーニングかな?」


 夕飯の買い出しの帰りなのか、ツクシの姉さんとサディスが買い物袋をいっぱいにしていた。

 サディスは相変わらず俺に対して気まずい様子で少し顔を俯かせるが、ツクシの姉さんは構わず話しかけてきた。


「最近、一緒に食べてないんじゃないかな? 帰りも遅くて、女神様もアマエもちょっと寂しそうかな?」

「ん? まぁ……」

「アマエなんか、アース君が帰ってくるまで起きてる~って遅くまで頑張って起きてるけど、アース君ちっとも帰ってこないみたいだし……大丈夫かな?」


 この数日、いつもは同じ時間に起きて同じ時間にメシを食っていた俺だったが、水抜きを始めてから生活が変わった。

 いつもより早く起きるし、いつもより遅くまで走っていた。

 

「今日さ、皆で食べられないかな? なんだったら、モトリアージュくんたちも呼んで、サディス姉さんを中心に親睦会とか!」

「おいおい、ツクシの姉さん、そういうのは……モトリアージュたちのお楽しみ会も、もうちょい強くなってからにしようって話だろ?」

「で、でも……せっかくだし……」

「少なくとも『そんなもの』は、やるもやらないも、大会が終わってからだ。だから、俺は行くぜ?」


 そして、ただ走るだけじゃない。欲望も断つ。


「あの…………」


 ここに来て、壁を作り始めた俺にサディスも何かを感じているようで、俺に意を決して声を掛けようとする。

 俺はそれを分かっていながらも、反応を示さず走り出した。

 振り返らず、夜の街を駆ける。



「「「「ヨーセイ(くん)(先輩)、誕生日おめでとう! プレゼントは~、わ・た・――――――――」」」」


「え? なんだっ、うわ、床につまずいて、うわああ!」


「ちょ、ヨーセイ!? きゃああ、それはまだ早い……いやー、リボンが!」


「いや?! リボンが取れて、お、おっぱいが!?」


「せんぱい、そ、そこは女の子の大事な所、モガモガしちゃダメです!」


「もー、ヨーセイくんのえっちー!」


「これは、責任とってもらわないとねー」 



 たとえ、周りが何をやり、同年代の奴らが楽しそうにキャッキャしようと関係ない。

 俺は俺。他の奴らが何をやってようと、俺は脇目もふらずにやるだけだ。


「ふぅ……じゃあ、また追い込みますか」

『うむ、始めよ』


 そして、海に辿り着いた俺は、海でのトレーニングを始める前に……


「まずは……ブレイクスルーッ!!」


 とりあえず、ブレイクスルー。そして、何もせずに魔力を垂れ流し、ブレイクスルーが切れるまで待つ。


「はあ、ぜえ、はあ……っ……」

『よし、魔力が空になったな』

「……押忍……」


 この数日、きついのは体内の水分を抜くだけじゃない。

 トレーニングをするとき、「魔力をゼロ」にしてからトレーニングをしろというのが、トレイナの指示だった。


『つらいか?』

「べっつに。ただ、汗で服がビショビショだぜ」

『ふはははは、そうか。汗でビショビショということは、まだまだ絞れるということだ。行け! ダーーーッシュ!!』

「……ああ……」


 魔力がゼロになると、急激に体に倦怠感を感じる。

 走ればすぐ息切れしてバテる。

 ただでさえ、水抜きで徐々に力が入らなくなってきているのに、そこでこの魔力ゼロスタートのトレーニング。

 まだ、数日。

 たかが、数日。

 されど、エグい。


「でえええりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ!!!! おりゃああああああああああ!!」


 そして、走らされる。

 ただ、馬車馬のように走らされる。

 この数日、走る量が3倍は増えた。

 体力をつけるため? 体力つけるためのトレーニングだったら他にもあるはず。

 当然、トレイナだって分かっているはず。だけど、俺をひたすら走らせた。

 朝からトレーニング、空の魔力、そしてこの足を取られる砂浜でひたすらダッシュ。

 

「ぜえ、はあ、ぜえ……」

『インターバル中に足を止めるな! 腹筋でもしていろ!』

「ぐっ、つっ、ぬっ、くっ」

『インターバル終わり! ダッシュ!』

「ぬううううううおおおおおおお!!!!」

『速度が少し落ちているぞ? なんだ、そこまでか? 手を抜いて休んでるつもりか?』

「ちっ、くっそったれがーー!」

『ほら見たことか。まだ余力があるではないか! 満腹育ちの甘ったれ坊ちゃんめ。それと決別するのだろう!』

「うおおおおおおおおおおおお!」


 キツイ! つうか、いい加減、水が飲みたくなってきた。

 唾を必死に飲み込んで、今ならこの流れる汗すら舐めたくなるかもしれねえ。

 なんだ? なんで? 俺はこんなことをしているんだ?

 なんかもう、段々とイライラやらを超越して、何かを考えることすらも疲れるようになっていく。

 

『流石に、弱ってきたな。とはいえ、人間とはやはり惰弱だな。戦時中は水も飲めずに何日も耐え続けた者たちも居ただろうに』

「ぜえ、はあ、ぜえ、ぜえ、……ひゅー……ひゅー……」

『で、どうだ? 体に何か感じるか?』

「…………いいや……」

『そうか。なら、もうちょっと走って来い』

「ッ!? …………押忍」


 腿が重い。ふくらはぎがプルプル悲鳴を上げている。この全身の虚脱感はなんだ?

 トレーニングをしているのに、自分が強くなる感覚が無い。

 これまで、トレイナが俺に教えてくれたトレーニング方法。 

 その全ては、「これを継続してやれば、必ず強くなれる」と実感できるものしかなかった。

 なのに、これは違う。


『空になった魔力は、時間と共に回復する。それは、時間をかけて魔穴が空気中の魔力を少しずつ取り入れるからだ。誰もが皆、それを無意識にやっている。その少しずつ取り入れられているということを、感覚で感じろ。その感覚を掴み、自分で意識し、魔力を取り入れる感覚を知れば……『魔呼吸』をマスターできるはず』


 この数日のトレーニングは、体が弱っていく予感しかしない。

 事実、今、俺は弱ってきている。

 こんなことを続けても、いつかぶっ倒れる気しかしない。


『しかし、空気中の魔力が魔穴から取り入れられている感覚は、本当に些細なもの。普通の生物の感覚ではほとんど感じることは出来ぬほど小さなもの。それを感じ取るには、神経を剥き出しにし、極限なまでに研ぎ澄された鋭敏な感覚を手にする必要がある……』


 ぶっ倒れると分かってる。でも走るしかない。

 もう、精神力だけしか残ってねえ。

 でも、この強くなるかどうかも分からねえトレーニングも、全ては強くなるためのもの。

 そう、信じている。

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