第90話 幕間(暗黒戦乙女)
『くっ、殺せ!』
未だに覚えている。
あの御方と出会ったのが今から何秒前で、何秒間あの御方にお仕えしたのかを。
初めてあの御方と出会ったときの私は、まだモノを知らぬ愚かな小娘。
声も姿も見せぬ無能なオーディンを神などと仰ぎ、愚かしくも真の神に反逆した大罪人。
それが、天空の戦乙女としての私だった。
『私は決して魔族などに屈しない!』
太古の時代より存在した、『雲の上の王国・エンジェラキングダム』は『天空族』という我ら種族のみが生息する地。地上の世界と基本的に干渉しないものだった。
伝説。御伽噺。翼を羽ばたかせる美しき女神たちの楽園。色々な話が地上で流布しているようだが、実在する世界だ。
我ら天空族は雲の上で生まれ、雲の上で育ち、雲の上で学び、雲の上で子を成し、雲の上で生き、雲の上で死ぬ。
しかし、魔族と地上世界の戦争が激化し、その影響が天空まで響くことに憂慮した血気盛んな私は、戦を早々に終わらせてやると粋がって、魔界に乗り込んで魔王の首を取ろうとした。
なぜ魔界に? それは、「魔王=悪」というのが常識だと思っていたからだ。
だから、戦争も悪い魔族たちが地上を侵略して悪いことをしている。そんなことをする魔王を倒す私は正に正義の味方。神の使者だと思い込んでいた。
そして、何百何千の雑兵を蹴散らした果てに、魔王が自ら私の前に現れたのだが、私はその圧倒的な力の前に生涯初の敗北をした。
『ほぅ……余の髪を一本切ったか……それだけで十分快挙と言えるな。流石に『良い眼』を持っているな』
最強を自負した私の力は、大魔王の髪の毛を一本だけ切っただけで、それ以上、掠り傷一つ負わせることができなかった。
自分こそが世界最強であり、神の使徒であると思っていた私の誇りはズタズタにされ、死を覚悟した。
しかし、あの御方は這いつくばった私に仰った。
『ふっ、天空の戦乙女の小娘か……まだ若く美しき容姿からは分からぬ人智を超えた力は余の魔王軍を存分に震撼させた……惜しいものだな……将来有望であり、いずれは魔王軍と魔界の命運を左右させたかもしれぬが、このようなことでその可能性を潰すとはな……』
命乞いはせずにせめて潔く死のうと思った私に、その言葉は衝撃だった。
魔王は私に「美しい」、「惜しい」と言った。それだけで、頭脳明晰だった私は理解した。
そう、『魔王は世界も種族も、あらゆる壁も超越して、この私に惚れてしまったのだ』と。
少し、魔王の性別が「どっち」なのか気になりはしたが、もうそういう低レベルなものは関係ないのだ。
しかし、立場上は魔王であるがゆえに敵である私に情けをかけられないのだ。
なんという悲しき愛。
故郷でも、己を高めることしか興味の無かった私は、ハッキリ言って恋愛経験は皆無だった。
中には、私に憧れの眼差しや同性でありながら「お姉様」などと言う女や、言い寄ってくる臭くて汚い男たちも居たが、私は相手にしなかった。
そもそも、私よりも弱いような連中と添い遂げるなど考えられなかった。
だが、魔王は違う。私よりも強い。というより、この私が生まれて初めて出会った、私よりも強い存在。
しかもその存在がこの私に惚れているのだ。こんな悲しいことがあるものだろうか?
だが、私はその想いを受け入れることは出来ない。
なぜなら、私は戦乙女。大神オーディンに身も心も捧げたのだから。
『オーディンか……姿形も知れぬ者のために死ぬというのなら、それもよかろう』
オーディンに嫉妬! 私が身も心もオーディンに捧げていることを魔王は嫉妬した。
その瞬間、私の胸は高鳴った。そして、同時に私の心の中の想いがドンドンと揺らいだ。
そもそも、何で私はオーディンに身も心も捧げたのだ? オーディンとは我が故郷に伝わる我らの神。
しかし、会ったことも姿を見たことも声を聞いたことも無い。ただ、親や周りの者たちが「神」と崇めて、そう教育されたので、私も自然とそういう風にしていた。
だが、よくよく考えれば、私はオーディンに何かをしてもらったことはない。
そんな存在に何か意味があるのだろうか? オーディン? 何もしない無能者のくせに、先祖代々からの洗脳教育のようなモノで妄信され続け、我らの頭や心に住み着こうとする寄生虫ではないか。
一方で、目の前には私よりも強く、そして私に想いを寄せている人が居る。
しかし、あらゆる障害や立場に苦悩し、自分の心を押し殺して仲間や種族、そして魔界という世界のために戦おうとしている。
そのあまりにも尊い姿に私は気づけば感動していた。
いいのだ。貴方は……貴方様はそこまで苦しむ必要はないのだ。
クソカスビチグソオーディンなんぞに嫉妬する必要はない。
とはいえ、魔王は自らの手で私を連れ去って自分の女にすることはできないだろう。
ならば、私から傍に行ってやる事でしか、添い遂げることは出来ない。
『……命乞いはしない……しかし……大魔王様……私を貴方の右腕にしてほしい』
『……へっ?』
魔王すら驚いた私の提案。まぁ、色々あったり古参のジジイ共が煩かったが、最終的に私は受け入れてもらえた。
もちろん、最初は魔王軍の下っ端歩兵から始まった。
だが、私は数年でライバルたちを蹴散らして将軍まで一気に上り詰めた。
戦争の最中、未だにクソカスビチグソオーディンを妄信するかつての同族が私を連れ戻そうとしたが、全員蹴散らしてやった。恨みがましく悲痛な声を上げる、私のかつての友、後輩、先輩、兄弟姉妹のように育った連中、そして……両親も居たが、特に心は痛まなかった。
魔王の魅力に比べれば、カスだった。それどころか、むしろ逆の意味で絶望した。
私はそれまでこれほど無能な連中と共に無駄な時間を過ごしていたのかと。
そして、天空族にあれだけのことをしながら、結局オーディンとかいうカスは一度も出てこなかった。
本当に、くだらない世界と種族だった。
そして……
『天空族は……神の使徒でもなんでもない……遥か昔、白き翼をもった鳥獣系のハーピーなどが人間と『配合』されて、発生したもの……しかし、その交わり者は遥か昔の者たちには迫害され、強力な魔法を使えるものが雲を利用して世界を創生して、そこに有翼人の楽園を作っただけに過ぎない……そんな自分たちを慰めるため、オーディンだの神の使徒などと伝承していった……そんなところだろう』
ある日、あの御方は私ですら知らなかった私の真実を教えてくださった。
そもそもが、すべて偽者だったのだと。
『私は……では、貴方様と出会うまでは……本当に偽者を……は、はは……何という無駄な月日を……』
もう既に同族や故郷への未練はなかったとはいえ、その真実を知ったときは私もそれなりに絶望した。
だが、そんな私にあの御方は仰った。
『全てが今の自分を形成するためのものだったと考えれば……無駄だと思えた日々も無駄ではなくなる……』
そして、私は理解した。
『疑いも無くただ信仰するだけなら、誰にでもできる。しかし、その想いを掲げて命を懸けて戦うことまでは簡単にできるものではない。その結果、貴様という存在が強さを育んだのであれば、全てが無駄だったとは言えぬだろう』
『大魔王様……』
『そして……立場によって貴様の行いは正しかったのか、正しくなかったのか、それは様々な意見があるだろう。しかし、今こうして貴様が我ら側についたことで、本来戦争で犠牲になるはずだった魔界の民や兵が大幅に減った……多くの魔族の命が救われ、守られた。それだけは紛れもない事実だと、余も認めざるをえないだろう』
それは、私の心を救ってくださった言葉。
正に無償の愛。無限の器。
そして、私は理解した。
違う。愛だの恋だの、もはやそんな低次元のものではない。
この御方こそが「神」なのだと私は知った。
この御方こそが、私が全てを捧げて仕える「神」
もはや崇拝だった。
私の全ては神のために戦い、神のために死ぬこと。
私の存在は全てにおいて神のために。
しかし、同時に不安もあった。
神は唯一無二の存在。だが、その神の身に何かあった場合はどうなる?
神はその辺の馬や猿のように子を成したりされない。
神は絶対ゆえに千年でも一万年でも存在し、私もあらゆる脅威から神を守り続ける所存。
だが、億が一。兆が一。その可能性は拭えない。
何よりも神にも寿命は存在するのかもしれない。
そうなれば、世界は神を失うことになる。
それだけは避けなければならない。
そこで、私は進言した。
次代の神・創生計画。
だが、神は「くだらぬ」と言って取り合ってくださらなかった。
神の言葉は絶対。ゆえに神がそう申されるのであれば従うのが当然。
しかし、私はそこで従うことを選択しなかった。
神を崇拝しているからこそ、私の計画は間違っているとは思わなかったからだ。
だが、神が子を成す気がないのであれば、別の手を考えねばならなかった。
そして、その材料が私には既にあった。
滅ぼした魔導都市シソノータミにて遥か昔に禁忌とされていた魔法。
私の両眼の『紋章眼』。
神と初めて出会い、それ以来ずっとお守りとして肌身離さず持っていた『髪の毛』。
それを使い私は――――
「勇者ヒイロが神を滅ぼすという愚かな行為を行って、世界が絶望に染まるかと思ったが……やはり、私の考えは正しかった……」
神が滅び15年の月日が経った。
その間、連合軍や七勇者や寝返った魔族共に見つかからぬように、『私たち』は潜んでいたが、ようやく頃合が来た。
だからこそ、あと必要なのは「最後の鍵」だった。
しかし、その最後の鍵として相応しい者を見つけるのが一番困難だった。
だが、運命は我らに微笑んだ。
ヒイロたちだけでなく、いずれ「私たち」の脅威となるであろう、七勇者たちの子。その力を確認しておこうと、魔水晶を通じて帝都で行われた御前試合を監視していたが、まさかそこに『最後の鍵』があったとは思わなかった。
最後の鍵を作るため、才のありそうな若者を鍛えたりもしたが、もうそんなものはどうでもよくなった。
私の息が掛かってもいないのに、「大魔」の力を扱う「男」が居たからだ。
どうして、その男が大魔の力を使えたかは分からない。だが、もうそんなことは後で調べればいい。大魔の力を使った事実を前には小事。たとえ、その男が誰の血縁であろうとも。
何があろうとも手に入れる。
「まあ、いい。どちらにせよ、アースは……我のモノだ!」
「そうね。どちらにせよ、ハニーは……私のモノよ!」
群がる邪魔者は全て蹴散らす。
「イイヤ……アレハワタシノモノダ」
「「え……ッッ!!??」」
「身の程を知れ……人間の小娘共め」
そして……アレは『私たち』のモノだ。
「さて……こんな小娘共はどうでもいいとして……問題はあっちか……マアム……」
まさか、因縁でもあるマアムが居るとはな。少し面倒だな。
ここで決着を付けてもいいが、その間に鍵に逃げられるのも困る。
それに、ブレイクスルーも魔力切れのようだ。
どうやら、アレは『魔呼吸』を使えないようだな。それとも知らないか?
いずれにせよ、追いつかれる。
仕方ない……
「なら……かなり魔力を消費するが……鍵を回収するためにも……『ワープ』させるか」
間もなく追いつく、鍵とマアム。
かつて、『私たち』が追っ手から逃走していた頃以来使う古代魔法……
「セーシュンジュハーチキップトシンカーンセン……長距離移動魔法・ジェイアルー」
そして、何も知らぬ鍵は、私の作り出した時空間に吸い込まれていった。
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