第三話 旅先で。嘘というかさぶた。
目を開けると、そこは、知らない街でした。
「……意外と、現代的」
「それは……駅まで木造建築というのはもう考えにくいでしょう」
「そうだけどさ。わかってたけどさ。目の当たりにすると何とも」
そこで生活する人もいる。いるのだから、その人たちが暮らしやすいように街を整備する。当然のことだ。
「……知らない匂い」
よく知らない匂い。何の匂いだろう。
「夏樹さん?」
ぼんやりと空を眺める。この街に詰まった歴史の中で、この空は変わらなかったのだろうか。
ずっと、こんな風に私たちを見守って来たのだろうか。それとも……。
「夏樹さーん?」
「はっ……なーに陽菜ちゃん!」
「わっ、い、いえ。ボーっとしていられたようだったので、何かあったのかと……」
「何でもないよ! 陽菜ちゃん以上の用事なんて、無いよ!」
「そ、そうですか。それはそれで、どうかと思いますが。問題無いなら、良いです」
危ない危ない。陽菜ちゃんに心配されるところだった。
別に何かあるわけでもない。頼ることを躊躇うつもりはない。余計な心配を駆けたくない。これは決して矛盾しない。だから。
「行こっ。バス、あっちだよね」
なんて言って、元気に駆け出すんだ。
「夏樹さん! そちらは別の観光ツアーの方々です」
「あっ……」
お昼はバスの中でお弁当、教科書で学んだ景色が窓の向こうにあった。古都、千年王城なんて言われてるけど、実際に見て見れば、普通に人が暮らしている街だ。
なんか色々しきたりとか言い回しとか住んでいる場所による格付けとかあるらしいけど。見てる分にはまあ、関係の無いことだなぁとか、冷めたことを考えてしまう。
ガイドさんの解説を聞きながら、大きく息を吸って。
「……木の匂い」
あと、土産物屋さんの方から何か甘い匂い。
「夏樹さん」
「んー?」
「これ、夏樹さんに似合いそうです」
「かんざし?」
「はい。その……私の方から、プレゼントさせていただいても、よろしいですか?」
「そ、それは、嬉しいけど」
「では、是非」
そう言って陽菜ちゃんはすぐに会計してしまう。
「では失礼して」
下ろしっぱなしの髪をすいすいとまとめて、そして最後にかんざし。パシャリと後ろからシャッター音。
「どうですか?」
映っていたのは、ハーフアップの髪形、金の棒に赤の飾り玉。とても単純なデザインだけど。綺麗なのだ。今、私がいる場所に合っている。そんな気がしたんだ。
どうしてだろう。どうしてかこれがここにいる証明になっているような気がして。
「ありがとう、陽菜ちゃん」
「夏樹さん?」
「ん?」
「涙……」
「えっ?」
慌てて目元を拭うと、確かに濡れていて。
「どうしてだろ、目にゴミでも入ったのかな?」
「夏樹さん、その……」
だめ、陽菜ちゃんに心配かけたくない。だめ。
「大丈夫だよ。だって楽しいもん」
楽しいもん。本当だから。
本当だから、泣いてしまうのが、わからないんだから。
「……今日は、風が強いですからね」
「うん」
ふわりと香ったのは何の匂いだろうか。
甘くて、切なくて。春が終わっていく匂い、どこか、焦げたものが湿ったような匂いが混じり始めて、少しずつ、夏が近づいていることを教えてくれる。
季節が、変わっていく。
「いやだな」
「えっ?」
思わず呟いた言葉。何が。
「変わってくの、怖くなってきた」
いざ直面して、私は。
「ずっと、楽しかったら良いのに」
辛いことがあるとわかっていても、歩いていかなければならない。
例えば、旅行の終わりのように。
「夏樹さん」
「えっ?」
「修学旅行、まだ、初日ですよ。初日から帰る日のことに思いを馳せる人がありますか。三年生だって、まだ五月ですよ。自由登校期間を省いても、七か月あります。卒業のことに思いを馳せるのは、早いです。進路希望調査書すら出していない夏樹さんは尚更です」
あぁ、ほんとだ。確かに、おかしかった。
なんで今そんなことを考えているんだろ。
「ふふっ、おかしかったね。確かに」
目の前のことすらちゃんとできていないのに、なんで先のことなんて。
「ねぇ、陽菜ちゃん」
「何でしょうか」
「教えてよ。陽菜ちゃんのこと」
一日目の終わり。明日は本格的に観光。旅館は四人一部屋。
あの時陽菜ちゃんは。
「私のこと、ですか? 面白味の無い人ですよ。何が聞きたいのですか?」
と。
「……んー。夜までには具体的にしておく」
と、私は答え、一旦お開き。
それからずっと陽菜ちゃんのことを考えていた。恐らく初めて心を許せた人、私の内側まで入って来てくれた人だから。
「陽菜ちゃんのこと、もしかして、私……」
いやいや。まさか。
それは無い。だって。
班毎に決まった時間に従い温泉から上がって、ぼんやりと視線を向けた先。そこにいるのは相馬くんで。
「……でもね」
それは嘘の恋。失恋を肯定するための恋。
でも、相馬くんは確かに魅力的で。陽菜ちゃんとは間違いなくお似合いで。ほら、今も。陽菜ちゃんの方から指を絡ませに行って。コーヒー牛乳を飲みながら頬を少しだけ赤くして、人差し指と人差し指が絡み合って。飲み終わって瓶を下ろすまで、陽菜ちゃんはじーっと相馬くんを見上げてる。目が合って、お互い頬を少しだけ緩めて、でも名残惜しそうに指を離して、陽菜ちゃんはこっちに来て。
「皆さんお揃いですか?」
「お熱いねー」
「気にしなくても先に戻ってたよー」
なんて、言われても陽菜ちゃんは薄く微笑んで。
「大丈夫ですよ。行きましょう」
そう言ってそして、私の方をちらりと見る。ちゃんと考えましたか? と言いたげな目。私との約束、覚えてたんだ。なんて思った。正直、何気ない、降って湧いて次の瞬間には消えてしまいそうな会話だと思われていてもおかしくはなかった。
陽菜ちゃんの誠実さ、清さは、今日も裏切らなかった。
「それで、私の何を聞きたいのですか? 夏樹さん」
旅館の部屋の窓際、同室の二人は別の友達の部屋に向かって二人きり。男女は別館、部屋の行き来は当然禁止。だけどまぁ、多分、破ってる人は当然いるのだろうなとか思う。
「……陽菜ちゃんは、これからどうなりたいの?」
「そうですね……大好きな人の御傍にいられる人ですね」
「陽菜ちゃんって、今までどんな風に生きてきたの?」
「なるべき姿を目指して生きてきました。求められる私、必要とされる私」
「陽菜ちゃんの御両親は、どんな人なの?」
「知りません。けど、育ての親は、とても厳しい人でした」
踏み込み過ぎた。と咄嗟に思ったけど、陽菜ちゃんはいつも通りで安堵する。なんてことのないことのように語られたことは、すんなりと受け止めるには少し重かった。
「でも、生きる術を身に着けさせてくれました」
それは言葉通りの重さではなく、言葉に込められた、感謝の気持ち。陽菜ちゃんは感謝していた。それがありありと感じられて、重かった。
「その感謝を、少しずつ、還元出来たらなと。一緒にいたいと思えた人、大切だと思えた人に。そうやって、世界は良い方向に回っていけばと、そうできる人になれたらと思います。夏樹さんは。どうなりたいですか?」
朝野陽菜という物語は、確かに続きを紡ごうとしていた。
私は?
陽菜ちゃんを見て思った。原点。布良夏樹という物語の原点。そこに答えがあると。嘘で覆い隠した感情。
「……まだわからないけど。ありがとう。陽菜ちゃん」
「よくわかりませんが、お役に立てたのなら、何よりです」
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