第16話 メイドがいなくなりました。

 陽菜は朝ご飯を作っていた。陽菜は弁当を作っていた。ちゃんと掃除もされていた。冷蔵庫を開けると夕飯も用意されいた。


「学校、行かなきゃ」


 僕は家を出た。



 陽菜は無断欠席扱いになっていた。よほど急いでいたのだろう、連絡をしていなかったのかもしれない。どうするのかな、退学か転校か、わからない。


「日暮君。陽菜ちゃん、どうしたの?」

「わからない」


 それしか答えられなかった。

 陽菜の作った弁当。これが最後だ。明日からはコンビニででも済ませよう。

 なるべくいつも通りに振舞う。陽菜がいなくなっても大丈夫だろ、自分にそう言い聞かせる。

 最初は一人暮らしをするつもりだったのだ、予定通りに戻っただけだろ。

 家に帰れば何をするわけでもなく眠る。今日は疲れた、やけに眠い。起きたら帰ってきていたりしないかなと期待する。深く深く眠る。夢を見ないように深く眠る。



 目が覚める。まだ夜中だ。変な時間に起きてしまった。感覚だけを頼りに明かりをつける。少しだけ期待してしまったが、帰ってきてるなんてことは無かった。

 ソファーで寝ても疲れは取れないもので、シャワーだけ浴びて、部屋で寝ることにする。自分の足音しかしない家、陽菜の部屋を開ける。帰ってきているなんてことは無い。不思議なことに涙は出ない。

 スマホを確認するも連絡は来ていない。一瞬、電話してみようかとも思ったけどやめた。何を言うべきかわからないから。

 結局、陽菜が用意してくれた料理に手を付けないまま眠る。明日も学校だ、学校に行くことだけを考えよう。そう心に決める。陽菜の言う通り忘れようと思ったが、思ったけど。


「無理だよ」


 誰にも届かない呟きは、むなしく響いて消えた。




 「よう、相馬」


 学校で机を枕に惰眠を貪っていたところ、桐野が不穏な雰囲気を漂わせながら近づいてくる。


「ちょっとツラかせや」

「何の用だ?」

「もうお前を見てらんねぇ」

「見なければ良い」

「そういうわけにもいかねぇ、俺とお前はダチだ。ダチが腐ったときは叩き直してやるのが、ダチのやるべきことよ」


 ダチダチうるさいけど、少しは付き合ってやるかと立ち上がる。

 歩き出した桐野の背中は、付いて来いと、無言だが、雄弁だった。

 学校を出て近くの公園へ、平日の昼間ということもあって人は少ない。


「俺な、昔不良だったんだよ。この傷もそのころについたやつだ」


 頬の傷を指さしながら言う。


「強かったさ、地元で俺のことを知らないやつはいなかった、誰もが恐れたよ。だけどな、そのせいで俺の進路はあまりに不自由だった。やり直そうと思ってもできなかった」

「急に過去語りか」


 そんな僕の皮肉を無視して、桐野は語る。


「みんな俺のことを悪魔とか狂犬とかと呼ばれていたときの俺を覚えている。中学の担任も困ってたよ。どの高校も俺に来てほしくなかったらしいからな。

 結果俺はここに来た。心地が良かったよ、みんな俺のことを知らないから俺を恐れないからな。そんな場所で出会ったからこそ、お前が腐っていくのを見ていられないのだよ」


 そう言って桐野は凶暴に笑う。


「僕が腐っているだと?」

「あぁ、見ていてわかるぜ。朝野さんが学校に来ない理由、お前知っているだろ。話したくないなら聞かねぇよ理由は。相馬、お前は朝野さんがいないとこんなに腑抜けてしまうのか、がっかりだぜ」


 何故かイラっと来た。僕はこんなに短気だったのか。


「来いよ」


 桐野が言う。

 僕は無言で体重を乗せた一撃を桐野の顔面に叩き込んだ。地面に転がる桐野、さすがにやりすぎたかと思う。


「そんなものかよ。ほら、もう一発来いよ」


 すぐに立ち上がる。少し驚いた。要望通り殴る。


「へへっ」


 また立ち上がる。殴り倒す。


「軽いぞ」

「お前、よけないのか?」

「よける必要もない。腑抜け野郎のパンチ何て、蚊が止まった程度だぜ」

「ふざけやがって」


 殴る、蹴る、型なんて関係ない。桐野が地面に転がろうと関係ない、無理やり立ち上がらせて殴る。


「てめぇに、何がわかる」

「わからねぇよ」


 その言葉に拳を止める。


「どうした? 手が止まっているぞ」

「そういうお前も、立っているのがやっとって感じだな」


 ニヤリとした笑みに、もう一発だけぶち込んで手を離した。


「何だ、もう満足か? へっ、意外と簡単だったな」

「何がだよ」

「さぁな、自分でわかるだろ」


 わかるかよ、一人で納得しやがって。


「相馬、いつまで閉じこもっている」


 突然わけのわからないことを言う桐野。


「良いか? 俺は怒っているんだよ。殻に閉じこもって中途半端にし関わろうとしないお前がな」

「随分とまた自分勝手な話だな」

「朝野さんが熱出した時も、今回も、何で俺達に相談しない。何で俺達を頼らない。さぁ、来ないならこっちから行くぞ」


 桐野が飛び掛かって来る。正直桐野の言っている意味が分からない。

 桐野の拳を受け止める、重いが隙だらけだ。逆に殴り返す。


「へっ、今のは効いたぜ」


 そう言いながらまた飛び掛かって来る。こいつ不死身かよ。

 横っ腹に蹴りを叩き込む。しかし止まらない。


「はっ?」


 そのまま顔面に重いのが叩き込まれる。景色がひっくり返る。意識が飛びかける。


「へっ、どうだ」


 父さんの方が重い、なのに立ち上がれない。

 空が見える、当たり前のことだ。だけど今日の空は、やけに広く見える。


「ほら、立てよ」


 差し出された手を握り返す。

 引っ張り起こされて、余程効いたのか、少しふらつく。


「どうだ? 目、覚めたか?」

「わからない」

「お前は何一人で抱え込もうとしているんだ?」

「僕の問題は、僕の問題だろ」

「わかってねぇな」


 やれやれと頬を掻いて、急に胸倉を掴まれ引き寄せられる。

 真剣だ。本気の目だ。めらめらと、瞳の奥に炎でも見せそうな、そんな目。


「朝野さんは俺と布良さんとも友達だ。最近はたまに他のクラスメイトともたまに話すようになった。いつまで独占しているつもりでいるんだ。調子に乗りやがって」


 殴られる、さっきより重い。容赦のない一撃に、僕の体は地面に転がる。


「てめぇだけのじゃねぇよ。いなくなりました、ハイ終わりなんて、できるような関係じゃなくなったんだよ、俺らも。てめぇだけの問題じゃねえんだ。関わらせろ、一緒に抱えさせろ。相馬!」


 立ち上がる。船酔いでもしている気分だ。

 でも、そうだ。

 もし、次の瞬間に意識を飛ばすとしても。

 言わなきゃ。

 ここまで真剣に向き合ってもらって、何もしないのは、違う気がした。


「桐野」

「何だ?」

「頼みがある」

「任せろ」

「内容言ってないけど」


 そう言うと頬の傷を掻いて、恥ずかし気に笑う。


「ダチだろ、俺ら。断る選択肢は無いよ」

「借金背負わせてやろうか」

「それは勘弁してくれや」

「冗談だ、陽菜を連れ戻しに行く。手伝ってくれ」

「それならお安い御用だ」


 拳をぶつけ合う。頼もしい、素直にそう思った。



 お互い、今日は殴り合いのダメージを癒そうという事で今日は別れた。

 家に帰り電話をかける。頼む、出てくれ。


「! もしもし」

『よう、そっちからかけてくるのは珍しいな相馬』


 海外にいる父親の声が、電話越しに聞こえた。


『今から飛行機に乗るんだ、手短に頼むよ』

「わかった、僕が聞きたいのは二つだ。メイド派出所の戦力と場所だ」


 アポなしと、招かれざる客には手荒な歓待。その言葉通りなら、僕は、確認しておかなければならない。


『何だ、朝野さんに逃げられたか。何したんだ?』

「そんなことより、時間ないんだろ。教えてくれ」

『はいはい、んじゃまず戦力から。守衛が二十人程度、それから屋敷の中に守護者を名乗る超強いメイドがいる』

「随分少ないな」

『その分強いけどな』

「超強いというのはどの程度?」

『俺の半分くらい』


 それは、かなり強いな。


『派出所の場所は契約書に載っている、それを見てくれ。それじゃあ、襲撃成功を祈っておくとしよう。ばいばーい』


 電話が切れる。

 陽菜が大事な書類を整理していたファイルを開く。契約書はすぐに見つかる。確かにそこに住所は載っていた、結構遠いな。ここから車で一時間程度の山の中だ。

 桐野にその場所を送ると、バイクがあるからそれで移動しようと提案される。ありがたい話だ。


「よし」


 風呂に入って寝るかと立ち上がろうとした時、スマホが着信を知らせる。


「布良さん?」

「もしもし」

『日暮君、私珍しく怒っているの』

「あー。何を?」

『ねぇ、日暮君。私たちお友達だよね?』

「おう」

『隠し事の一つや二つは良いと思うの、でもね、私を仲間外れに桐野君と何しようとしているの? 陽菜ちゃんのことでしょ、わかるよそのくらい。教えて』


 布良さんに話すのはリスキーだ。布良さんは頭が回る、桐野と違って何も疑問を挟まずに聞いてくれる何てことは無いだろう。雇用関係のこと、話すしかないのか。


「陽菜を連れ戻しに行く」


 覚悟を決めて、それだけ。


『そう、それじゃあ、陽菜ちゃんが帰ってきたら詳しいこと聞かせてね』

「えっ?」

『そういうことなら、邪魔したくないから。それじゃあ、明日頑張ってね』


 電話が切れる。

 明日は修了式、明日が終われば夏休みが始まる。

 空腹を感じて、陽菜が残していった料理を一品温めて食べる。食べているとどうしてか視界がぼやけて来る。


「おいしい」


 思わずそんなことを呟く。

 忘れられるかよ。忘れてやるものか、連れ戻してやる。

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