第14話 メイドと夏休み前の日々。

 「それでは相馬君、行きましょうか」

「はいよ」

「ごめんね、二人とも手伝わせちゃって」


 僕と陽菜は今、布良さんの頼みで生徒会の手伝いとして、図書室の本の整理を手伝っていた。


「こういうのって年度末にやるものだと思っていたのだけど」

「それがね、長期休みの度にやるんだって」


 処分予定の本とやらを抱えて階段を下りる。

 黄ばんでいたりボロボロだったり確かに読もうと思っても読めたものではないだろう。一階にいる業者のおじさんに渡して図書室に戻る。これで何往復目だろうか。


「ごめんねー、普段はこんなに多くないのだけど、春休み前の時に業者の人呼ぶの忘れちゃってて、夏休みの時で良いやってね」


 司書さんがあっけらかんと言う。司書さんは司書さんで忙しそうで、喉まで出かかった文句を飲み込む。


「これで最後か」

「そのようですね」

「陽菜、そっちもらうよ。一人で持てる量だし」

「いえ、相馬君ばかりに任せるのも」

「良いから良いから」

「あっ」


 陽菜の手から荷物を取り上げてそのまま図書室を出る。

 校舎の中はエアコンの利いた図書室と違い蒸し暑い。

 階段を下りて外に出る、外の方が涼しいという不思議な状況。業者の人にこれが最後であることを伝え校舎に戻る。


「相馬君」


 階段を上り、図書室に戻ろうと廊下を進むと陽菜が立っていた。


「今日は終わりで良いそうです。お疲れさまでした、荷物の方もお持ちしました」

「うん、ありがとう」


 陽菜と連れ立って学校を出る。電車まで時間がまだあるので近くのファストフード店で休むことにする。


「相馬君、夕飯前に大丈夫なのですか?」

「ん? 陽菜の作ったやつなら食えるから大丈夫」


 ハンバーガを一口、確かにおいしいが多分陽菜が作った方がおいしいと思う。


「そうですか。ありがとうございます」


 今のってお礼を言われるような場面か? それに声に少し嬉しさが混じっている。声に感情がこもるのは良い変化かな。


「そういえばふと気になったのですけど、相馬君のお父さんって何をされている方なのですか?」

「それは僕にもわからない」

「自分のお父さんなのにですか?」

「一度も教えてもらったこと無いし、想像もつかない」


 あまりにも情報が少なすぎるのだ。仕事道具らしきものもないし、何か月も休んだと思ったら突然海外に飛び立っていった。

 家を買って車も買って、しかもメイドまで雇ってきたから、給料はかなり良いと予想できるが。


「あの、相馬君。考え込んでいるところあれですが、電車が……」

「あっ」


 時計を見る。丁度発車してしまった所だ。


「ごめん」

「いえ、こちらこそ。丁度良かったです。今日お米を切らしておりまして、パスタにしようと思っていたところですが。私もここで済ませようと思います」


 陽菜も僕と同じものを買ってくる。


「給料はもらっているの?」

「はい、毎月口座振り込みで」

「へぇ、学費は?」

「派出所の方が、必要経費という事で」


 高校の学費って割と高いと思っているのだが、結構景気の良いところなのだろうか。自分の通う高校の学費を知らないのもあれだし帰ったら調べてみよう。


「父さんとは、いつ?」

「そうですね……前お話しした通り、我々はアポなしと招かれざる客には、手荒な歓迎を。その手荒な歓迎を初めて制圧したのが、旦那様でした。メイド長の伝達ミスでしたが……いえ、あれはわざとですね。狙いはわかりませんが」

「そう、なんだ」


 あまり深くは聞かないでおこう。

 ぼんやりと、ポテトをかじりながら、目の前に座る陽菜を眺める。

 陽菜がハンバーガを食べるという姿も、こうして見ると他の高校生と変わりない。メイドではない年相応な女の子だ。


「相馬君、どうかしましたか?」

「いや、普通の女の子だな~って」

「もしかしてハンバーガを食べるのに『あの、ナイフとフォークはどこですか?』とか言った方が良かったですか?というか随分前、布良さんと行ったのでそのネタはもうタイミング的にもアウトだと思われます」

「そういう事じゃなくて、今の陽菜はその……うまく説明できないけど。普通の女の子だなと」

「言っていることが変わっていないですね」

「ごめん」


 陽菜がハンバーガーを食べ終えポテトを一口。


「相馬君は、私が普通の女の子だったら良いのにと、思ったりしますか?」


 一瞬悩む。もし陽菜がメイドじゃなくてありふれた女の子だったら……。


「きっと今の関係どころか、話すことも無いだろうな。こんな出会い方じゃなかったら」

「そうですか?」

「うん、だから、そうは思わないかな」

「そう、ですか」


 陽菜の顔が、一瞬だけ、悲しげに見えた気がする。


「陽菜?」

「はい?」


 いつもの顔だ。見慣れた何の感情も浮かばない顔。


「何でもない」


 気のせいか。




 お風呂から上がり、リビングでぼんやりとしている。

 何かの目標に向かって布良さんのように勉強をしたり、桐野みたいに部活に励めば何か違うのかもしれない。こんなぼんやりした時間も少しは減るかもしれない。


「ご主人様」

「ん?」


 お風呂上り、ピンクのパジャマを着た陽菜が音も無く、ソファーの後ろに立つ。


「そのパジャマ、気に入ってくれたんだ」

「はい。ご主人様、悩んでいますか?」

「わかるんだ」

「はい」


 陽菜がソファーの下に正座する。


「どうぞこちらへ、あまり参考になる話はできないかもしれませんが、話を聞くくらいならできますので」


 誘われるがまま、陽菜の膝に頭を乗せる。陽菜の手が僕の頭を優しく撫でる。


「陽菜、頭撫でるの上手いね」

「そうですか? 撫でられるのは最近よくされているので慣れましたけど。撫でる方に活かされるとは」


 少しの沈黙。上から覗き込む陽菜は、僕が話し出すのを待っている気がした。


「空っぽだよ、僕は」

「空っぽというのは?」

「やりたい事、見つからないや」

「将来の夢とかは?」


 部活を選ぶ時、陽菜が提示してくれた優しい答えに、甘えたままの自分。

 静かに問いかける言葉、声の中に、あの時と変わらない優しさが込められている。


「無い、かな」

「ご主人様は、贅沢な人ですね」

「そうかな?」

「そう思います。私から見れば」 


 確かに、メイドとして最初から育てられた陽菜から見れば、僕の悩みはとても贅沢なものだろう。


「ごめん」

「いえ、私のちょっとした八つ当たりのようなものなので。私の方がごめんなさいですよ。過去はどうしようもないので、ご主人様を困らせるだけです」


 お風呂上がりの香り、硬すぎず、かといって柔らかすぎない。心地良い。


「ご主人様、眠らないでくださいよ。困りますので」

「わかってるよ」


 わかってるけど。お風呂上りにこれはずるいって……。

 抗いがたい睡魔が僕の意識を少しづつ眠りの世界へと引きずり込んでいく……。



 「困りました」


 今起こせば起きるでしょうか?

 でも、心地よさそうに寝ている様子を見ていると、もう少し良いのでは? と思ってしまう。

 けれど、部屋まで運ぶべきかとは思います。こんなもので長時間寝てしまったら、明日は首肩に変な痛みが残るでしょう。そうですね。運んでしまいましょう。


「よいしょ」


 わざと乱暴に背負う。これで起きてくれたら幸運ということで。でも起きない。すやすやと寝息を立ててる。

 予想よりもがっしりしていて重い体。身長差のせいで引きづるように運ぶことになる。階段まで来て、これは無理だと一旦下ろす。安らかな寝顔、どうしたものでしょうか。

 よし!

 ご主人様をいわゆるお姫様抱っこで持つ。意外と腰に来ますね、これ。それに大分きついです。階段を一歩一歩上り、どうにかたどり着く。これ起きていたらもっと重いのですよね。


「はぁ」


 疲れました。これでも起きないのはさすがにどうかと思いますよ、ご主人様。まさか寝たふりですか?

 ゆっくりと顔を近づける。呼吸を確認して死んでいるわけでは無いことを確認。


「本当に起きませんね。とりあえず部屋のベッドまで連れて行きましょう」


 ご主人様をベッドに寝かせ、もう一度確認。当然のように起きる気配は無い。

 頬に触れても起きる気配は無い、私の中に小さな悪戯心がわいてくる。


「あれだけやっても起きなかったのですから、大丈夫、ですよね」


 誰にも見つからなきゃ良いんだ。これだけ、これだけで我慢しよう。私はゆっくりとさらに顔を近づける。息もかかる距離、心臓が高鳴る。大丈夫、きっと起きない。これで決着をつけよう。

 こうして、私はご主人様の唇を奪った。




 目が覚める。昨日は確か陽菜に膝枕をしてもらったところまでは覚えている。なのにどうして僕はベッドの上に。

 部屋を出て一階に下りて台所を覗くと、陽菜がいつも通り仕事をしていた。


「おはよう陽菜」

「ひゃい!」


 手から勢いよく飛び上がる包丁、慌ててキャッチする。


「大丈夫? 怪我してない?」

「は、はい、大丈夫です。すいません」

「良いけど、寝不足? 無理しちゃまた倒れるよ」

「いえ、すいません」


 シュンとうなだれてしまう。その突然の変化に戸惑う。


「その、今日も稽古ですか?」

「うん、そのつもり」

「わかりました。いってらっしゃいませ」


 洗練された動きで一礼、その様子だけなら特に変化は感じない。

 何かあったら話してくれるだろうか、でも陽菜のことだから隠し通そうとするかもしれない。悩みながらも、とりあえずは朝の日課を処理しに外に出る。

 家に戻りシャワーを浴びてリビング、いつも通り朝食の準備されてある。


「そう言えば陽菜、昨日はありがとう」

「昨日ですか?」


 表情がわずかにひきつったように見える。


「部屋まで運んでくれただろ、リビングに放っておいてくれても良かったのに」

「いえ、風邪をひかれてしまっては大変ですので」


 陽菜が目を合わせようとしてくれない。昨日、何かあったのだろうか。


「また風邪?」

「違います。大丈夫ですから」


 おでこに手を伸ばすと、慌てて離れようとする、こんなに取り乱すのは珍しい。

 え、まさか嫌われた。膝枕で寝てしまったから?


「ごめん、昨日は迷惑かけた」

「違います。そうじゃありません。ありませんけど……」


 結局気まずいまま学校に行く。

 その変化を当然布良さんや桐野が見逃すわけもなかった。

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