第13話 メイドと星を眺めます。
僕たちは、星空に包まれている。
ずっと見ていたら、空の彼方に心が持っていかれそうだ。
「相馬君」
隣から陽菜の気配がして、ようやく、一人じゃないことを、思い出した。
あぁ、そうだ。僕は今、この場にみんなで来ているんだ。
僕が星を見に来た日の朝。それは、陽菜の体調が完全に戻った日。
陽菜と一緒に教室に入ると、布良さんががばっと陽菜に抱き着いた。
「陽菜ちゃん、復活したんだね。おめでとう」
「大袈裟ですよ、夏樹さん」
「日暮君もお疲れ様です。いやー今日も暑いね」
「そうだね」
すっかり夏だ。今はまだそうでもないが、すぐに眠気を催す暑さが教室を包むだろう。
「チョコレートやキャンディーは、危険物に代わる季節になったから、お菓子はクッキーにしようかな」
「良いと思いますよ。今度焼いて持ってきますね」
「おぉ、陽菜ちゃんの手作りクッキー。楽しみにしているよ」
いつも通りの光景、きっと夏休みはまた別の形でこの光景が現れるのだろう。今から楽しみだ。
「よう、相馬。見てくれよこれ。この日程表。休みって文字見つけてみろ」
「週一で休み、お盆は連休じゃないか」
桐野が差し出してきた紙を見る。夏季休業中の部活の日程表。
「おう、夏休みって、何だろうな」
「赤点一個も無いから心置きなく参加できる。良かったじゃないか」
「まぁな、見ていろよ。俺が来年、甲子園のマウンドに立つ。それまでの成長期をな!」
そうなったら本当にすごいのだがな。
僕と陽菜が休んでいる間に、赤点の有無だけは生徒に通達されたらしい。
そして。
黒板に目を向けると、順位表が張り出されている。
布良さんは中間に続き総合一位をキープした。さすがである。陽菜も点数をキープ。僕はかなりの成長が見られて陽菜先生様様である。
期末テストも終わりすっかり気の抜けた教室は、部活の日程を語り合うもの、旅行カタログを広げている者様々だ。
「相馬君」
「うん?」
「ほら日暮君、こっちこっち」
何事かと見てみると、二人で一枚の紙を眺めている。
「これは?」
「今日新しいプラネタリウムがオープンするそうです。明日、休みですし見に行きませんか?」
確かに楽しそうではあるな。
「学校終わってからの時間ならちょうどいいし行ってみようよ」
桐野の寂し気な視線が後ろから突き刺さる。
「おーい、桐野―」
丁度その時、教室の外側から桐野を呼ぶ声、一言二言話して戻ってきた桐野はニヤニヤしながら戻って来る。
「今日部活休みになった」
「じゃあ、桐野君も決定」
というわけで、四人での夏休み前のプチ企画が始動した。
「ご主人様、晩御飯を早めに済ませようかと思います」
「そうだね」
時短を意識して、陽菜は既にお出かけ用の服に着替えて、夕食の準備をしている。
服装が変わるだけで、何というか、普通の女の子と暮らしているんだなって。
夕食を簡単に済ませ、家を出る。外はまだ明るい。
こんなところからも、夏を感じた。
隣を並んで歩く陽菜の横顔。何となく、陽菜が今、何を思って、何を考えているのか気になって、眺めてしまう自分がいる。
「相馬君、どうかされましたか?ほっぺに何かついていますか?」
「うん?別に」
そんなことを言われると悪戯心湧いてしまう。陽菜の頬を指でつつく。
「柔らかい」
「相馬君、歩きながらは少々危ないかと。前をちゃんと見た方が良いです」
「後でなら良いの?」
「断る理由もないので。程々で」
あとで絶対触ってやろう。うん、この柔らかさは素晴らしい、とても素晴らしい。
僕らが駅について数分後、桐野と布良さんが電車を降りて来る。
「やあやあ二人とも、待たせたね」
「いえ、あまり待っていないので気にしなくても大丈夫ですよ」
四人そろったので出発、ここから十分程度の道のりだ。
「陽菜ちゃん、その服気に入っているね。日暮君の選んだ服、良く似合っているよ」
「ありがとうございます」
僕らがこれから行くプラネタリウムというのは、この町にある博物館の中にできたらしい。
来場者数が減っているとのことでこれで再起をかけているのだろう。夏休みの直前にオープンさせるところからもそれが伺える。
そんな悲しい事情は置いておくとして、今日はそのプラネタリウムのオープン記念という事で、半額で入場できるとのことだ。それなら来場者数の見込める土日にやればいいのにと思うのだが、何かしらの考えがあってのことだろうと思う。
「なぁ、相馬」
「うん?」
布良さんと仲良く歩く陽菜の後ろ姿を眺めていると、桐野が隣に並んだ。
「付き合わないのか?」
「誰と?」
「朝野さんと」
随分と小さな声で聞いてくるなと思ったらそんな事か。
「付き合わないよ。陽菜もそんな気は無いだろうし」
「わかんねーだろそんなの。一回聞いてみろよ」
何をとんでもないことを言っているのだこいつは。
「それ、僕のこと好きだという前提がないとただのイタイ質問じゃねぇか」
「確かにそうだ、だから健闘を祈る」
「断る」
「ちぇ」
博物館に着き、プラネタリウムの入口前の券売機でお金を払おうとしているとスタッフが駆けよって来る。
「お客様、申し訳ないのですが、今日はもう満席でして」
「えぇ!?」
商売のセンス無いと馬鹿にしてすいません。
「どうしますか?」
僕らは途方に暮れていた。予定では今頃、プラネタリウムの中にいたはずなのだが。どうしたものか。
このまま解散するのも味気なさすぎる。晩飯食って解散辺りが、妥当な所か。
この辺でそれなりに安くて美味しい店は……あまり外食しないからわからないな。
途方に暮れて周りを見渡す。
「あっ」
頭の中に昔見た光景が映し出される。スマホの時計を見る、今からならちょうどいいかもしれない。
「よし、山に登ろう」
「え?」
「本物の星空を見に行こうってこと」
「良いじゃんそれ、相馬ナイスアイデア」
「どこの山に登るのですか?」
僕が指さした方向、そこには「星見の丘」と銘打たれた看板がある。
「結構良い場所だよ」
「おぉ、行ってみたいね~」
「山ではなくて丘と書いてあるのですが」
「そこは気にしないで」
というわけで突発的な山登りが始まる。
一歩一歩坂を上る。空はだんだん暗くなり、日は少しづつ沈んでいく。頂上に着くころには完全な夜だろう。
「夏樹さん、頑張ってください。麦茶飲みます?」
「飲みます」
疲れてもネガティブなことを言わないのは、さすが布良さんといった所。陽菜も付きっきりで励まし続ける。
「相馬、懐中電灯買ってきた方が良かったんじゃね」
「ん?大丈夫。僕が持ち歩いているのがあるから」
「何でそんなもの持ち歩いているんだ?」
「習慣みたいなものだよ」
父さんから常に持っておけと言われている物の一つだ。
明かりは遠ざかり、闇が支配する時間になる。木々の間を涼しい風が吹く。四人の歩く足音がやけに大きく聞こえる。
「相馬君、少し足元照らしてもらっても良いですか?」
「了解」
腰につけているポーチから、懐中電灯を取り出し陽菜の足元を照らす。
「ありがとうございます」
陽菜は自分の鞄から虫刺されの薬を出して足に塗ると、絆創膏でその部分を保護する。
「こうするとかゆみを感じなくなるんですよ」
「へぇ」
知らなかった。
「陽菜ちゃん、私も良いかな?」
「良いですよ……虫よけスプレー持ってくれば良かったです」
突発的な企画だから仕方ないとは思う。
今更ながらまずい提案だったかもしれない。陽菜はサンダルにワンピース、布良さんもクロックスにロングスカート。
山登りに適している服装と言えるのは僕と桐野くらいだ。もう少し周りを見て提案するべきだった。
それでも、誰も下りようとは言わない。
「相馬君、後悔している顔をしていますね」
いつの間にか横に並んでいた陽菜、じっとこちらを見つめている。
「陽菜も布良さんもその格好じゃきついよなって。言い出しておいてあれだけど、もう少し考えるべきだったよな」
「誰も文句は言ってないですし、夏樹さんも楽しそうに歩いています。私も楽しいですよ。誰もここまで登ってきたことを後悔していません」
陽菜がこんなことを言い出すとはと驚いていると、水筒を渡される。
「どうぞ、さっきから何も飲んでいませんよね。水分補給は大事ですよ」
それだけ言って布良さんのところに戻ってしまう。
一口飲む、ひんやりとした麦茶がおいしい。
多分、もう少しで頂上かな。前に来た記憶はあるけど、いつ来たのかは覚えていない。景色自体は見覚えがあるから道には困らないし、迷うような道でもない。
その時、突然景色がひらける。木々が無くなり野原が広がる。
「ここだ」
記憶の中にある景色そのままの場所。町の明かりも届かないその場所。
「ここですか?」
「うん、ここ」
「へぇ、良い場所じゃねぇか」
「自然のプラネタリウムだ~」
周りが暗いから星がよく見える、星空に包み込まれているような錯覚に陥る。静かだ。街の明かりも届かず、星と月だけが、この場を照らした。
「風、強くなってきましたね」
横にいた陽菜が小さくつぶやく。
「そうだな」
「失礼しますね」
手を握られる感覚。
「こっちを見ないでください。恥ずかしいので」
慌てて上を見る。星に集中できる状況ではなくなってしまった。手なら繋いだ事はあるけど、それはあくまでも恋人のフリをしていた時だけだ。
また布良さんの差し金だろうか、それならきっとこちらをニヤニヤしながら見ているだろう。
暗い。星の光りだけが頼りだ。私はこっそりと相馬君の横に立った。今の私は幼馴染、メイドという立場より少し自由だ。
相馬君の横顔を眺める。私の中のこのもやもや、もしも抱いてはいけない感情だとしたら、私はどうしたら良いのだろう。
相馬君はきっと許してくれると思う。出会って三か月の相手にこんな感情を抱いてしまう。たまに本にそんな人はいる。
守ってもらったりして、数少ない、そんな出来事だけで恋しちゃう人たちを見て、何てちょろい人たちなのだろうかとか、思っていたけど、私も大差ない。
って、なんで私はもう恋している前提で話しているのだろうか。認めてはいけない、これは私の中でちゃんと処理しなければならない。ひっそりと解決しなければならない。
風が吹く、野原を強く吹き抜ける。それでも優しく頬を撫でる。
確かめよう。
「風が強くなってきましたね」
「そうだな」
優しい顔。胸が締め付けられる。
「失礼します」
手を握る。相馬君が驚いているのが握った手から伝わってくる。
「こっちを見ないでください。恥ずかしいので」
思わずそんなことを口にする。相馬君が上を見るのを確認して、私も上を見る。
心臓がうるさい、それはさっきまで山を登っていたから。胸が締め付けられる、慣れない状況で戸惑っているだけ。体が熱い、それは夏だから。
言い訳できる。だからこれはきっと違うのだ。
空が広い、私の悩みはきっとちっぽけなものだろう。また風が吹く、木々が音を立てる。このまま私のもやもやも吹き飛ばしてくれたら良いのに。
相馬君は、私の悩みに気づいているのか。それとも、私と同じ悩みを抱いているのか。
「陽菜」
「はい」
頬を優しくつままれる。
「柔らかい……」
そういえば後で触らせる約束していましたね。
「そんなに良いものですか?」
自分で反対側の頬をつまんでみる。よくわからない。
「こらー、二人ともいちゃつかない!」
夏樹さんが後ろから抱き着いてくる。相馬君の手を離す。手に残った温もりが寂しさを主張する。
「いちゃついてたわけじゃないよ布良さん」
「眼福眼福と言いたいけど暗くてよく見えないから、やるなら明るい所で私の目の前でやりなさい」
「やりませんよ」
人前でやる度胸何てあるはずがない。
「えー」
残念そうな声を出す夏樹さん。そんなに面白いものですかね。恋愛相談受け付けると言っていましたけど、するべきなのかな。
きっと夏樹さんなら、ちゃんと答えを出してくれるでしょう。そして私は、その答えが怖い。
やめておきましょう。
改めて空を見る。星は変わらず私たちを見下ろしている。しかし……夏樹さん、柔らかいですね。
山を下りてそのまま解散、僕と陽菜はそのまま家に帰る。
「陽菜、楽しめた?」
「はい、とても」
家に帰れば日常に戻ってしまう。非日常と日常の間にいる時間、いつもの日々に向かってゆっくりと歩く。
土日を迎え、月曜日。そこから片手で数えられる数だけ学校に行けば終業式。
高校生活で初めての夏休みを迎える。きっと楽しいことが待っているはずだ。
「相馬君」
「うん?」
「私は、相馬君の家、来て良かったですか?」
「もちろん」
「そうですか」
嬉しそうな笑顔、不意に見せる笑顔にはまだ耐性が持てていない。
こんな日々が続けば良い、そう思った。
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