056話-いつかの刺客

 ボロ雑巾のように床に転がったまま、目の前にいるディックの幻影が剣を振り上げるのを見上げる。

 心配そうに俺を覗き込んでいた女性たちがビクッと身体をすくめ距離を取るのが解った。


 身体は固まってしまったように動かず感覚もない。

 もう片方の手には短剣を握っているはずなのだが、それも解らないぐらい身体が冷えていく。


(いや……だめだっ、こんな所で死ぬわけには行かないっ!!)


 ほとんど残っていない気力を絞り出すように意識を集中してなんとか手を動かそうとするが、眼前にはスローモーションで映る振り下ろされてくる狂剣。

 流石に無理かと目を閉じてしまいそうになったとき、先程まで俺を覗き込んでいた女性の一人が俺を庇うように覆いかぶさってきたのだった。





 女性のふわふわとした感触を感じた瞬間、断水していた蛇口から一気に水が溢れ出すような感覚に襲われる。


(熱い……なんだこれ、魔力がっ!?)


 なにがどうなったかわからないが、突如溢れ出した魔力を使い自分の身体を一気に回帰・・させる。

 自分の魔力光の輝きに驚いた表情で動きを一瞬だけ止めたディックの幻影。


火槍ファイアランスっ!!」


 魔技が使えないと考えていたためか、俺は咄嗟に溢れ続ける魔力を炎に転換しディックの胸元を狙い射出する。

 突如胸元を炎の槍に貫かれたディックは、剣を振り上げた体勢のまま言葉を発することなくスッと消え去った。




「……ああんっ? なんだぁっ?」


 少し離れた所にあぐらをかいて俺を切り刻まれるのを待っていただけのアドルフの驚愕の声が響いてくる。


(あいつに時間を作らせちゃダメだ!)


 そんな考えが頭をよぎるのと魔力で無理やり身体を動かし始めたのはほぼ同時だった。

 残り三人の幻影を無視し、アドルフへと一気に肉薄する。

 そして何も考えず無我夢中でアドルフの心臓を狙い、短剣をその胸元へと突き立てたのだった。



――――――――――――――――――――


「はぁっ、はぁっ……はぁっ!」


 胸に短剣を突き刺したまま大の字に転がるアドルフ。

 呼吸で上下していた胸板もやがて動きが小さくなり、体がビクビクと痙攣し始める。


(このまま死なせてやるものか……)


 腹の奥に湧き上がるドス黒い感情をそのまま魔力へと変換しアドルフへと流し込むと、胸から流れていた血液がスッと止まる。

 そして死なれないように少しだけ傷を治してやった。


「――っ! かはっっ……っ!」


 胸に刺さっていた短剣を抜くとアドルフの左掌に突き立てて地面へと縫い付け、ついでに右手も同じように短剣を突き立てガリバーのように地面へと縫い付ける。


『おい、聞こえるな?』


 どう料理してやろうかと思った時、すでに消えてしまったと思っていた六華の声が脳内に響いたのだった。




『こっちのディックを叩き起こしてお前の魔技を使えるようにさせたから、もう大丈夫だと思うぞ』


「あぁ、そういうことか」


『それで? 気づくのが遅れたが無事だったなら良いや。そっちに行ったハゲはどうした?』


「いま倒したとこだよ。そっちの簀巻四人はまだ生かしておいてくれる?」


『はいよ。終わったら声かけてくれよ。魔技の効果が切れたらどうしようもないから早い目にな』


 どうやら幻影がここに放り込まれると消えてしまうけれど、逆のパターンはそのまま残るようだ。


 俺は呻き声を上げているアドルフを『魂の束縛オプリガーディオ』の鎖でぐるぐる巻きにしておく。


 六華と話して少し冷静になった俺は、こいつの処遇は後にするとしてまずは女の子たちの無事を確かめようと部屋の端へと戻った。


 先程俺が放り投げられて滑った跡が床にリボンのように染み付いている。

 チラリとその汚れを見ながら、さきほど庇ってくれた女の子にもお礼をしなきゃなと考えるが、裸にされてしまっているので少し恥ずかしいが仕方がない。


(服の予備も入れときゃよかった……)


 そんな事を考えてもすでにどうしようもない。ぺたぺたと俺が歩く足音が妙に響くのが余計に恥ずかしさを掻き立てる。



「お疲れ!」


「あ、あの……さっきはありがとうございました。庇ってくれて」


 俺が近づくと、胸元までべっとりと俺の血で汚れてしまった女の子が片手を上げ軽い挨拶を飛ばしてくる。

 仕事が終わった同僚へ声をかけるような気軽さの気の抜けた声で、少しだけ残っていた緊張の糸も完全に解れてしまった。



「ふふーん。もっと感謝するといいさ! 私の魔力も無事に流し込めたみたいだし、ボンって爆発したらどうしようかと思ったよ!」


 二ヒヒと笑う赤黒い髪をショートカットの女の子。

 元気そうな様子なのだが、首と両手と両足にも枷が付けられており、手首から滲んだ血の跡が痛々しい。

 だがそんなことより、この子はとんでもないことをサラッと言った。


「魔力を……流し込んだ…………?」


 この時の俺は相当怪訝な顔をしていただろう。

 あまり視線を向けないように下を向いていたのだが、その言葉に驚き顔を上げる。


 裸のままペタンと床に座り込んでいる女の子だったが、胸元だけでなく口元までもが赤く染まっていることに気づいた。

 少し失礼かと思ったのだが、女の子の頭の先から足先まで視線を動かして観察する。すると髪も頭の怪我から流れ出た血のいせで真っ赤な髪が赤黒く染まってしまっていると気づく。




「なによーじっと見ちゃって……そりゃ、命の恩人だし? ちょっとぐらいは味見させてあげてもいいけど」


「い、いやそうじゃなくて。魔力を流し込んだって……」


「ん? 私の特技。黒に変換しちゃうから人によっては受け入れられないんだけどユキ君ってば凄いんだね!」


「――っ!?」


 突然名前を――ユキ君と呼ばれ、やっと目の前の女の子が誰なのかが解った。頭の中でカチャリとピースがうまるような感覚に襲われる。


 一瞬会っただけなのだが、その強烈な出会いだったので嫌でもその時のことは覚えていた。ただ、特徴的だったものが無くなっていたので脳内でイコールになっていなかったのだ。




「ふふっ、もしかしておねーさんの事忘れちゃった? ひっどーい」


 そう言って、ニヤリと笑う口元には、八重歯と呼ぶには相応しくないほど尖った牙が覗いていた。


「……ヴァレンシアさん……でしたっけ……?」


「お? およよ? へーっ! 名前まで覚えてくれているんだ! さっすが座長さん! いやーおねーさんうれしーなー!」


 ローシアの街を離れる前の日に街中で突然襲ってきた、いや襲いかかったのはアイナだったが、その時の二人組の一人。やたらとテンション高めの話し方で、強烈に印象付いていたのは頭の左右から生えた蝙蝠のような羽と血のように真っ赤な髪をした、あの女の子だった。

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