024話-深夜の惨状

 俺たちは風呂から出た後、直ぐに宿屋へと戻り一階の食堂で夕食を頂いた。


 座長が明日に備え早々に寝ることと全員に伝え、俺達はそのまま部屋へと戻ったのだった。




(夜も騒がしくなるかと思ったけど、平和的に終わった……お風呂気持ちよかったなぁ……)


 同室のハンナとヘレスはお風呂に浸かり過ぎたといって早々にダウンしており、エイミーとリーチェも流石に疲れているのか、気持ちよさそうな寝息を立てていた。


 俺はみんなを起こさないように布団に潜り込み、ほのかに灯るランプの光を眺めているうちに睡魔が襲ってきて、そのままおとなしく目を閉じた。


(明日の公演が終わったら、次はどこにいくんだろう……そういえばこの世界の地図も見たことないな……)


 そんなことを考えているうちに、俺は眠りに落ちたのだった。





――――――――――――――――――――




 それは誰もが寝静まった深夜、突然の出来事だった。

 突然隣のベッドで寝ていたリーチェが飛び起きた。



「え……リーチェ……?」


 寝ぼけ顔で隣に視線を向けるが、既に上着を羽織ったリーチェは俺の声に反応すること無く、一目散に部屋を飛び出していった。



(……トイレかな?)




 まだ働ききっていない頭でそんな事を考えた瞬間、扉の向こう側から誰かの叫び声が聞こえてきた。




『リーチェ! 包帯とお湯! ありったけ持ってきて! 早く!』


 ただ事ではないアイリスの叫び声とバタバタと一階へ走っていく足音。


「――っっ!!」


 俺が驚いて飛び起きるとアイリスの声で目を覚ましたのか、エイミーとハンナ、ヘレスも飛び起きたところだった。



「え、なっ、なに?」

「わからない! 様子見てくる!」



 俺はハンナに手早く答えるとベッドから飛び降り、扉をそっと開いて廊下を確認する。




(――えっ!?)



 そこで見たのは、板の廊下にべっとりと溢れたどす黒い液体。

 しかもソレが向かいのアイナたちの部屋へと続いていたのだった。



 一瞬、夜食のスープでも溢したのかと思ったのだが、すぐに誰かの血だと頭が理解してしまった。


 俺は一瞬躊躇ったが、少しだけ開かれた向かいの部屋の扉からアイナのうめき声が聞こえ、慌てて向かいの部屋の扉を開いた。





「――っ!? アイナ! 座長!?」


 そこはまるで野戦病院のような惨状だった。

 鉄のような血の匂いが鼻をつき、床には廊下と同じように大量の血が溢れていた。



 そしてベッドに横たわるアイナと座長に、アイリスが両手をかざして回復魔法を使っていたのだった。



(えっ……まって……なに……これ……)



 アイナの脇腹からはおびただしい量の血が流れて シーツを赤く染めている。

 座長に至っては下腹部に大きな穴が開いているように見えた。




「アイナ! 座長!」

「ユキ! 部屋に戻ってな!」



 俺に気づいたケレスが俺を部屋から出そうと俺の腕を掴む。


 だがそんなケレスも、頭から生えていた立派なツノが片側だけ根元から折れていることに気づいた。



「ケレス、これは一体!」



「あ、アイ……リス……私はいいから……座長を……げふっ……私を庇って……」

「アイナ黙ってて!」



 額に玉のような汗を浮かべ、必死に魔法を掛け続けているアイリス。

 俺の怪我も治してくれた回復魔法――治癒ヒールを両手で二人同時に掛け続けているのだとわかった。




 だが止めどなく溢れ続けるアイナと座長の血の量が変わらない様子を見ると、アイリスの魔法は明らかに効果が出ていないように見える。


 いや、効果が出ていないというより、二人同時だから効果が足りていないと言ったほうが早いだろう。




「ぐぅっぅ……治れ……治ってよっっ!」

「アイリス……だめ……よ……わたし……は、捨て……て、座長を……」

「アイナ!」


 自分を捨てて座長を助けろと懇願するようなアイナの声に、思わずケレスを押し除けベッドの隣へと走り寄る。


 俺はアイナの手を握り名前を叫ぶと、アイナは血で汚れた片目を少しだけ開けてくれた。


「ゆ……き……ごめ……ね……」

「アイナ、喋らないで!」



 アイナの脇腹をよく見ると、そこだけ抉り取られたようになっており、どう見ても助かりそうにない状態だった。


 唯一回復魔法が使えるアイリスは、今にも倒れそうな様子で必死に魔力を絞り出している。


「タオルとお湯持ってきた! ハンナ退いて!」


 リーチェが頭と腕にタオルを大量に引っ掛け、両手にお湯が入った桶を持ってきて座長のベッドにタオルを放り投る。

 サイラスは受け取ったタオルで座長の腹を抑えて止血を試みようとする。


 「ユキちょっとどけて!」


 俺はアイナの手を離さず少しだけ身体をずらすと、リーチェがアイナの脇腹をタオルで押さえつける。


「ううっ、アイナしっかりして! 寝ちゃ駄目だからね!」



 リーチェが必死にアイナに呼びかけるが、俺の手を握り返していたアイナの握力が徐々に弱くなり、俺は慌ててギュッと握り返す。



(くそっ! 俺には何もできないのか……俺に回復魔法は使えないのか!)



 俺は一縷の望みをかけて例の手帳を出現させパラパラとページをめくるが、座長の魔技が記載されたのを最後に、他の部分は真っ白いページのままだった。



 心を落ち着かせてアイリスが今まさに使っている治癒ヒールをじっと観察するが手帳に変化はない。

 やはり魔技は記録されても、魔法は記録されないようだった。



(どうすれば……どうすればいいんだ……)


 俺は混乱する頭を必死に働かせ、なんとかならないかと考える。


(回復魔法は……怪我を治す……元の状態に……治す)


 アイリスと座長が言っていた。

 魔法とは魔力が有れば、あとはイメージさえ出来れば簡単だと。

 だから見たことのない現象を心で理解できないと使えない。


(この世界で回復魔法を使える人が殆ど居ないのはそのせいだ……)


 人の身体や臓器がどういう構造になっていて、どういう状態が正常なのかを理解していないといくら魔力を流した所で、回復魔法として発動しないのだ。



「ユ……キ……」


 アイナが必死に唇を動かして掠れた声を出したのだが、既にお腹に力が入らないのか何を言っているのか聞き取れないほどの弱々しいものだった。


 俺は慌ててアイナの口元に耳を近づけると微かに「あり……が……と」とだけ聞き取れた。






「ふざけるな……ふざけるなよ……アイナ! 俺が……俺が治すから黙ってろ!!」



 人体の構造なんて医者でもない俺には理解できない。

 それを魔法で元の正常な状態に戻すという現象も何度考えても出来る気がしない。



 だけど――元気なアイナなら思い出せるし、理解できる。

 むしろ今の死にそうなアイナのほうが理俺の頭では解できない。




 俺は無我夢中で、先ほどまでの元気いっぱいのアイナの状態を想像ながらありったけの魔力をアイナの手から流し込んだ。


「――っっ!?」


 俺を中心に突如発生した銀色の光がアイナを包み込む。





「ユキ!?」

「ちょっ――ユキ!」


 俺は目を閉じたまま、周りの声を無視して必死にアイナの元気な姿を想像しながら魔力を全力で流し続ける。



 だがそれも数秒だった。

 突然意識が遠くなり、目の前がブラックアウトしたのだった。



――――――――――――――――――――



「――ぅ……っ!!」


 すぐに目を覚ましたつもりだが、何秒、何分、何十分たったのか全くわからない。

 俺はいつのまにかアイナにもたれ掛かるように倒れていたようだった。


 慌てて上半身を起こしアイナの上から退けるが、今度は後ろに倒れそうになる。



「ぐっ……あ、アイナ……」

「あっ、ユキっ! エイミーお願い!」


 リーチェの声に、すぐ横にいたエイミーが倒れかけた俺を抱き止めて支えてくれた。


「え、エイミー……アイナが……」

「大丈夫よユキ! アイナ、大丈夫だから」


 再び気が遠くなりそうになるのを必死で堪え、アイナの抉れていた脇腹に視線を向ける。


 そこにあった傷口は綺麗さっぱりなくなっており、横たわるシーツに黒い血の後だけが残っていたのだった。





「アイナ……はぁっ、はぁっ……よかった……」


 俺はエイミーに支えられて隣のベッドへ座り込むと、なんとも言えない気怠さと頭痛に吐き気が襲ってくる。




「ユキ、魔力の使い過ぎよ……もう少し使ってたら危なかったわ……」


 エイミーに「ごめん」と言って座長のほうを見ると、アイリスが引き続き回復魔法を掛けている。



「あ、アイリス……座長は……はぁっ、はぁっ……だいじょ……ぶ?」

「大丈夫……アイナが……ユキがアイナを治してくれたおかげで……なんとか……!」


 俺がアイナを治せたおかげで、アイリスは座長の怪我に集中できたようだ。


 アイリスもかなりキツそうだが、座長も助かるなら良かった。

 なにがあったのか直ぐにでも知りたいが、今は聞けるような状況でもなさそうだ。


「ユキ、五分で良いから寝て……そのままだと次はユキが倒れるよ」


 エイミーがベッドに上がり、俺を後ろから抱きしめてきて無理やり横にされる。


「ユキ……あとで話てあげるから……ね?」


 子供をあやすようなエイミーの声を聞きながら、俺は一瞬で眠りに落ちてしまった。

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