オタクとバレたら終わり

はづきてる

おもて

 この出会いは運命だったんだと、今になってはそう思う。


 出会いは、受験の頃だったと思う。

 中学の部活も引退して、なにかで塾も休校になった平日の午後6時。

 今日はもう受験勉強もお休みだと、リビングで何気なくテレビを付けて映った7チャンネル。

 いわゆる夕方アニメが流れていて、ああ、昔はこういうアニメを見ていたなと思った、気がする。気がするというのは、どうも見始めてからの記憶が曖昧になっているからだ。


 染み入っていた。

 見入るなんてものじゃない。受験勉強で疲れた体に、ぼんやりとした将来を見ようとしていた眼に、カケルくんの頑張りが、キョウちゃんの苦しみが、離れても思い続ける2人の絆が、知らず傷ついていた私の穴という穴に染み入ってきて、気がつくと私は泣いていた。画面には製作委員会の表示が出ていて、時計を見ると30分ほどが経っていた。

 端的に言って、私はそのアニメにハマった。沼った。そして恐ろしいことに、ひとつのアニメ沼は別のアニメ沼に繋がっていたらしく、現代の技術たるスマホを介して私は深夜アニメにも、ゲームにも手を出し始めた。

 そうして、数ヶ月のうちに私はいわゆるオタクとなったのだ。


 ******


 さて、私がアニメ趣味に走ったからといって、別に困る人はいない。

 いやいた。私だ。私自身が困るのだ。


 幼稚園くらいの頃にアニメを卒業してからこの方、私が見るテレビといえばドラマ。お金の使い先といえば服や話題のスイーツ。あるいは部活用の小物。それをスマホで取ってSNSにあげたりしていた。

 そういう活動をしていると、そういうグループができる。いわゆるオタク活動とは無縁の、むしろ教室の隅でにやにやしているようなグループにはちょっと馬鹿にした目線を送るような、そんな中学時代。すみませんでした。いやほんとうに。知らなかっただけなんです。ごめんなさい。

 懺悔はこれくらいにして、なにが困るかというと、そのグループの友達とは同じ高校を受けると約束し、実際受かってしまったのだ。新しい環境と呼ぶには知り合いが多すぎる。

 一度入ったグループを抜けるのはかなりの覚悟がいる。そもそも別に友達が嫌いになったわけでもないし。

 だから、私はこの新しい趣味を隠すことにした。

 本来、私がアニメ見るようになったと言ったくらいで即座に友達を辞められるような間柄ではない。話題のアニメ映画なんかをデートで見に行った話なんかもするし、みんなそこまで度量の狭い人ではないのだ。

 「でも、これはちょっとまずいよなぁ……」

 ふと部屋を見渡せば、壁紙が見えないくらいのポスター、ポスター、タペストリー。棚という棚にはアクリルフィギュアやミニぐるみ。そして謎にピンバッチの張られまくった専用の鞄。

 1年前の私がこの部屋を見たら、恐怖すら覚えていただろう。

 でも、今の私にとっては天国だと、胸を張って言える。

 いやすみません。胸は張れないです。心の中で、そっとつぶやくだけです。


 *****


 そんなわけで、高校で私の趣味はオープンにせず、通学鞄にさりげないストラップを付けてるのと、奥にクリアファイルを忍ばせているだけにしている。案外バレないもので、この1年と少し、友達にも突っ込まれることはなかった。よかったよかった。


 けど、最近はちょっと厄介なことがある。

 いつもの電車のいつもの車両に乗ると、いつものお団子ヘアが目に入る。その厄介の種は私を見るなりぱあっと顔を明るくさせ、ほどよく空いた車内で距離を詰めてくる。

 「おはようございます、お姉様」

 「……そのお姉様っていうの、いい加減やめない?」

 このおかしな口調の少女こそ、私の厄介の種であり、そして高校のひとつ下の後輩である。

 出会った時からいままで、お姉様はやめろと言い続けているが、相も変わらずにっこりと笑ってごまかしてくる。そしてかわりの話題でも探すように私のことをじっと見てきて、そうして鞄に目を付けた。

 「あ、そのストラップ」

 ドキリ、心臓が早鐘を打ち始める。

 「たしか前は違うの付けてましたよね」

 「あ、ああ、そう。昨日クレーンゲームで拾ったからせっかくだし付けようかなと」

 嘘だ。クレーンゲームのプライズなのは本当だが、私にそんな腕はない。これはフリマアプリで買ったものが、昨日届いたのである。

 そんな私の嘘には気付かぬ様子で、へーとか言いながらストラップを眺めている後輩ちゃん。……気付かれないとは思うけどそんなに見ないでほしい。

 「今度、私も連れて行ってくれますか? ゲームセンターって、あまり行ったことがないんです」

 「え? まあ、また今度ね」

 嘘、というよりは社交辞令だ。ゲーセンに連れていったらさっきの嘘がバレるじゃないか。それに、このストラップの正体にだって気付かれてしまう。

 深く興味を持たれるとオタバレのリスクが上がるので、あまり私に気を向けてはほしくないのだけれど、この子はどういう訳か出会った時からぐいぐい来る。

 それならば電車の時間を変えろと思うかもしれない。まったく正論だが、そうできないから厄介なのだ。

 この後輩ちゃん、顔がいいのである。別に私にそっちの気があるとかでなく、ただただ顔がいい。口調と相まって、物語のお姫様のようなのだ。

 そんな子が「お姉様」と慕ってくのを、どうしてはねのけられようか。電車をずらすと休み時間にクラスに乗り込んできて、「体調を崩されたのかと心配しました」と言われて、どうして罪悪感を覚えずにいられようか。

 そう、オタクは美形に弱いのだ。


 *****


 「よーし今日は、というか1学期の授業はここまでだな。委員長、ノート集めて放課後に持ってきといてくれ」

 チャイムとともに先生の号令が出て、午前の授業が終わった。お弁当はだいたい中学からの友達と一緒に食べている。

 お、今日はゼリー入りだ。と思ったところで、ポロンと音が聞こえた。目を向けると、ゆりかがスマホを向けていた。また許可もなく人の顔を撮ってからに。

 「ちょっと」

 「ごめんごめん。いい顔してたから」

 言いながらもゆりかは顔をこちらに近づけて、そのまま自撮りで私とツーショットを撮る。まあカメラを向けられているのが分かってるならそこまで不満もないけど、さっきの分で不満顔だ。

 「ちゃんと顔隠せよ」

 「分かってる分かってる。はいちーず」

 ゆりかはことあるごとに写真を撮って、それをSNSにあげている。正直こんな頻度で撮る意味は分からないけど、まあ実害もないだろうということで、私を含めみんな苦笑いで受け止めている。

 「あそうだ、これありがと」

 ジュリがさっき貸したシャーペンと消しゴムを返してきた。

 「もういいの?」

 「実は筆箱見つかったんだよね」

 まああるならいいか。ひとまず受け取って自分の筆箱に戻す。……消しゴム、ずいぶんきれいだ。あんま使わなかったのかな。

 「別にご飯食べてからでもよかったけど」

 「いやほら、そろそろでしょ」

 よっしーのああ、という声とほぼ同時に教室のドアががらりと開けられた。

 「お姉様! ご飯は食べ終わりましたか?」

 ……突然の来訪者、突然のセリフにも反応する人はあまりいない。もう日常になってしまっているのだ。ため息をついて、弁当を掻きこむ。

 「もーらいっ」

 「あ、ちょ、ちょっと」

 ……楽しみにとっといてたゼリーをよっしーに取られた。そのうえ取り返そうと手を伸ばす前に、後輩ちゃんが私の膝の上に座ってくる。こうなるとばたつくのも難しいので、仕方がないので今のところは諦めよう。

 「あとで奢りだかんな」

 よっしーにはこれでよしとして、まずは後輩ちゃんだ。このままだと足が痺れる。近くの椅子……は空いてないか。仕方がない、足を広げて、その間に後輩ちゃんを落とした。不満そうな顔を向けてくるが、無視だ無視。

 無視のために顔を上げると、ニヤニヤ顔が三つ。

 「……なに」

 「いや、ほんと姫ちゃんに弱いなって」

 姫ちゃんというのは、後輩ちゃんのあだ名だ。てれるから私は呼んでないけど。

 にしても、事実だからなにも言い返せないな……。


 今日は、どういうわけかジュリがトランプを持ってきてたので大富豪をすることになった。戦績は……そこそこ。後輩ちゃんのアドバイスのおかげでもある。

 「そういえば週末なんだけどさー」

 私が次の手に悩んでる間によっしーが声を上げるので、耳をそちらに向ける。

 「ゆめんち集まらない?」

 ……吸っていた息が喉に詰まった。咳き込んでると後輩ちゃんに心配された。私の家だって? ひ、ひとまずは手番を進めよう。

 「あ」

 「え?」

 「いえ、お姉様がそうするなら」

 なんかマズったかな。まあとにかく、ウチに来られるのはまずい。

 「だから、前から言ってんじゃん、鬼汚いからウチは無理だって。てかウチじゃないとだめなの?」

 「いや別にそんなことはないけど。でも中学ん時はゆめんちにも行ってたからさ」

 「お姉様のお家……」

 いかん、後輩ちゃんが興味持ち出してる。さっさと話を切り上げよう。

 「とにかく、ウチは無理だから。ゆりかんちは?」

 「また? まあいけるけど」

 「じゃあゆりかんちに集合で。あそうだ、姫ちゃんも来る?」

 「わ、私ですか?」

 ちらりとこちらを見上げてくる。……考えてみれば後輩ちゃんとは登下校と学校以外で会ったことがない。後輩ちゃんの私服姿か……。いやいや、休日にまで会うようになるのはまずいって。一線がね。あるというか。

 いろいろ考えて逡巡していると、後輩ちゃんが小さく笑った。

 「せっかくのお誘いですけど、こうやって昼休みの間だけでもお邪魔できて幸せですから」

 「そう? あ、上がりね」

 「え」

 ゆりかの手札が本当にもうない。あれ、私まだ結構残ってるんだけど。

 「はいこっちも終わり」

 え? アレ?

 ……結局そのままジュリにも上がられて、私は大貧民で終わった。

 「も、もう一戦」

 言い終わったところで無慈悲にもチャイムが鳴った。

 「じゃあ、今日はゆめの負けってことで」

 ……別に何かあるわけじゃないけど、悔しいのは悔しいのだ。


 ******


 部活の時間はある意味癒やしだ。後輩ちゃんもいないし、オタバレの心配もほとんどない。ただただテニスをしてればいいわけだし。

 しかも硬テと違ってウチの軟テ部はガチめじゃないから、割とみんな好きにテニスして帰るみたいな感じになってるし、休んでも特になにも言われない。

 「お疲れ様です~」

 ゲームを終えてマネージャーからタオルをもらう。こんな適当な部活にマネージャーがいることもないと思うのだけど、いてもらえると助かるのは確かだった。タオルまで用意してくれるし。部活動の報告のためといって、なんかいい感じのカメラで写真を撮ったりもしているのだ。

 そんなことをしみじみと考えながらマネちゃんの方を見るともなく見ていると、マネちゃんがもじもじしだした。

 「あ、あの。何かついてますか?」

 「いやー、いつもありがとうね」

 心からの言葉のつもりだったが、マネちゃんには鼻で笑われた。

 「なんですかそれ。あ、そういえば今日は大丈夫なんですか?」

 「なにが?」

 尋ね返すとマネちゃんは時計の方を見やった。

 「先輩、水曜はいつもこのくらいの時間には帰ってたなと思ったので」

 言われてみるともう5時近くになっていた。まずい、確かにそろそろ帰らないと。

 「あーうん、そろそろ帰るわ」

 「じゃあ、タオル受け取りますね。塾かなにかですか?」

 「まあそんなとこ」

 タオルを渡しながら適当に返す。……まさかアニメを見に帰るとは言えない。まあ人生の大事なものを学んでいるのだから、大きな視点では間違ってないな、うん。

 「じゃーまた金曜に」

 「お疲れさまでした~」

 一応部長にも声をかけて、ちゃちゃっと部室に戻った。


 そのまま帰るつもりが、まさか教室に宿題を忘れていたとは。むしろ気づけてよかった。

 そんなわけで教室に戻る途中、ノートを抱えた委員長が部屋から出てくるところに出くわした。

 「あれ、委員長。まだノート出してなかったん?」

 「あ、あれ。中城さん。こ、こんなところで、奇遇というか」

 なんでこんな慌ててんだ? 部屋をよく見ると……印刷室? ……ははーん。

 「いやー委員長も意外と悪だねぇ」

 「え、な、な、なにが?」

 「なにがって、ノートコピーしてたんでしょ? 大丈夫、先生には言わないからさ」

 私も前にジュリのノート移させてもらったことあるし。……あれ、でもコピー機でコピーしても則バレなような――

 「お姉様」

 後ろから急に声をかけられてびくりと振り返る。声の掛け方から予想はついてたけど、私の後ろで後輩ちゃんがにっこりと笑っていた。

 「今日はもうお帰りですか?」

 「あそうだった、教室に宿題忘れてきたから、それ取ってきたら帰る。委員長もまた明日」

 「あ、ま、またあした」

 ……あんなに慌ててノートを落とさないのだろうか。まあいいや。

 教室の方に足を向けると、当然のように後輩ちゃんはついてきた。まあ分かってたけど。


 *****


 帰りの電車の中。行きも割とすいてるけど、帰りはもっと空いてるから助かる。普通に2人並んで座れるくらいだし。

 空いている車内で、どういうわけか今日は後輩ちゃんもあまり話しかけてこない。なんとなく沈黙が気まずい。

 声をかけようかと思ったところで後輩ちゃんの方から口を開いた。

 「あの、お姉様は、やっぱり休日にまで私と会いたいとは思っていないのですよね」

 ……唐突な話題に目をぱちくりとさせる。

 「えっと、なんで?」

 「お昼休みのとき、お姉様はなんだかあまりいい顔をしてませんでした。それに朝だって、お姉様のお返事はその場だけのものでしたよね」

 「あー」

 まあ、否定しきれないところはある。会うとまずいと思っていた部分があるのも事実だし。

 「やっぱり、ご迷惑ですよね。いつも私が勝手に押しかけているだけですし」

 「まあ、そうかも」

 つい同意してしまうと、後輩ちゃんがますます沈んでしまった。違う違う。

 「じゃなくて、確かに私から会ったりはしなかったなって」

 「それは……私に会いたくないから」

 「だからそうじゃないって。そもそも、会いたいとか思う前に後輩ちゃんがいるわけだし」

 まあウザいと思うことはあるけど、別に会いたくないというほどじゃない。

 「だから…‥まあ、会いたい気持ちの差は大きいとは思うけど、別に後輩ちゃんが嫌なわけじゃないから」

 「そう……なんですか?」

 「そうそう」

 「では今度のお休みにお会いできますか?」

 「いい……けど次の休みはゆりかんちだから、来週なら」

 つい流れでOKしてしまった。まあ、デートコースに注意すれば問題ないだろう。

 「じゃあお姉様のお部屋に」

 「それはだめ」

 即答したら舌を出していたずらっぽく笑った。……美少女にしか許されない動きをしおって。


 また静かになったと思ったら、右肩にずしりとした重みが乗ってきた。後輩ちゃんの方を見ると、すやすやと眠ってしまっているようだった。安心したら眠たくなったとかだろうか。

 しかし、こうやって見るとどこかのお嬢様かといわんばかりの可憐さだ。いったいどういう因果でなつかれるようになったのかは謎だし、困るところもあるのは確かだ。

 でもこの子なりにわきまえているし、なにより困ることの大半は私が悪い。

 私が悪いのは……わかってるんだけど……どうしようもないのだ。

 なんてうだうだ考えてたけど、後輩ちゃんを見て、なんだかどうでもよくなった。

 いつか私の趣味がばれたとき、この顔がどうなってしまうのか、この子との関係がどうなるのか。そんなことも、今は忘れてしまおう。

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