第2話乱れた心
生き残ったわずかな側近たちとともに
奥の小部屋に立てこもった信長は今や虫の息になっている
乱の体にすがりついて悲嘆に暮れていた。今の信長にとって
肉体的苦痛よりも目の前で愛人(男)が
死んでいくのを見る方がつらかった。
まだ幼い小姓たちは身を寄せ合って
迫りくる死の恐怖に恐れおののいていた。
「なんてこった!
天下人についていれば一生安泰だと思っていたのに
卑しい雑兵ごときに追い詰められて死ぬなんて」
「お母ちゃーん! 助けて!」
「もっとやりたいことがいっぱいあったのに。
死にたくないよう!」
と口々に叫ぶ姿はまことにあわれであった。
少年たちが嘆く声は兵士たちの
雄叫びや激しく争う音によって
むなしくかき消されていった。
信長は今から自分の道連れになって死んでゆく
年端もいかない小姓たちには目もくれず、
「乱! わしをのこして死ぬでない!
くそう! ここから出られたら
キンカン頭(光秀のあだ名)を八つ裂きにして
犬のえさにしてやるものを!」
と半狂乱になってわめいていた。
髪を振り乱し、目は血走ってその姿はさながら悪鬼のようである。
そのとき、勢いよく扉が開いて色黒の大きな男が入ってきた。
ついにここも落ちたかと小姓たちの間に
緊張が走ったが、信長がうれしそうに
「
というのを聞いて安堵のため息をついた。
「上様、ひどいお怪我をされたと
聞いたので昔、遠い異国で手に入れた
万能薬、もってきた! ほんの
ちょっとしかないから大事に使って!」
と早口でまくしたてながら
中にはごくわずかの銀色の粉が入っている。
ところが信長は自分の傷にではなく
乱の胸の刺し傷に全部かけてしまったので
その場にいた誰もが度肝を抜かれた。弥助は
「上様、何している!
ご自分の傷はどうでもいいんか?
せめて半分ずつ分ければよいものを!」
と絶叫したが、信長は
「黙れ! わしのやることに口を出すな!」
と言い返した。二人が言い争っているうちに
今まで死んだように動かなかった乱が元気よく起き上がって
「あれ? おれはさっき変態に刺されたはずなのに全然痛くない」
と不思議そうにつぶやいた。信長は大喜びで
「お乱!」
と叫びながら愛人(男)を抱きしめようとしたが、
さっとよけられてしまった。信長は
「何でわしに冷たくするんだ!?
助けてやったのに」
と憤慨した。ほかの小姓たちも口々に
乱の忘恩を責め立てたので乱は
「申し訳ございません。つい取り乱して
しまいました。私のようなとるに足らない者を
上様の尊いお体より優先していただけるとは
何とお礼を言ってよいやら」
と言ってごまかした。信長は乱の体をひしと抱きしめたので
鉄砲で撃たれた傷からあふれ出た血が乱の背中にべっとりついた。
ひどい痛みでいよいよ意識がもうろうとしてくると、
信長はその身を床に横たえて愛する小姓に語りかけた。
「乱、わしはもう長くない。この身が敵の手に
落ちるくらいなら今ここで決着を
つけようと思う。おまえにとっては
地獄の責め苦にも等しいであろうが……」
「はい、
と妙に生き生きした声で乱は答えた。信長は
「あれ? おかしいな? すごく嘆き悲しんで激しく
取り乱してくれると期待していたのに」
と落胆しながら天井を見つめていた。
主君がよそ見しているすきに
乱は大胆にも弥助のたくましい体に
自らのなまめかしい体を密着させ、腰に手を廻して
誘惑を試みていた。死を目前にしている今、
乱の心の中では愛の炎がいよいよ激しく
燃え盛っていたのだ。
弥助は異国の地で自らを取り立ててくれた主に
申し訳ないと思いながらも、色気の塊のような
少年の誘惑をきっぱり拒絶することが
できずにいた。以前から乱と二人きりになると
弥助は耳元で愛の言葉をささやかれて
困惑していたのだが、その一方で
危険な海に飛び込んでおぼれてみたいという
心の迷いを振り切ることができずに苦しんでいた。
信長は目の前で起きている裏切りに気付かないまま、
「弥助、おまえに頼みがある。わしのせがれのところに
走っていって都から落ち延びるように伝えてくれんか」
と命じた。振り向きもせず弥助はすぐさま走り去った。
乱は名残惜しそうに愛しい人の去っていった方角を見つめていたが、
「乱、近う寄れ」
という信長の言葉に渋々従った。
その直後、弥助と入れ替わりに目に見えないものが
スッと部屋に侵入してきたことに誰も気づかなかった。
その正体は隠れ蓑を着た
瞬間移動に失敗し、少し離れた部屋に
到着したせいで余計な時間がかかった上に
部屋を探しあてたときにはすでに弥助がいたので
怖くて入ってこれなかったのである。
そのため厄介な先客が立ち去るのを待って忍び込んできたのだ。
信長の首を取りに来た作兵衛だったが乱が
元通り復活しているのを見てひどく驚いた。
だがすぐに平常心を取り戻し、信長が
「わしが腹を切ったら首をはねてくれ。くれぐれもわしの髪の毛一本
明智の手に落ちることのないように気をつけてくれ」
などと切腹や遺体の処置についての指示を与えている
様子を注意深く観察していた。
「自分でやるより首が落ちた瞬間に
すばやく奪い取るほうが手間が省けていいな」
と考えた作兵衛は息をひそめて
成り行きを見守ることにした。
乱は扇のように長いまつげを伏せながら
こう言った。
「はい。かしこまりました。ですが最後に
どうしても上様にお伝えしておきたい
ことがあります」
「なんじゃ、申して見よ」
と言った後で信長はほかの小姓たちに
部屋を出ていくように合図した。
「お乱はわしへのあふれんばかりの愛情を切々と
訴えるつもりに違いない、ムフフフ」
と期待に胸を膨らませていた信長だったが、
「実は私、上様を少しも愛しておりません」
ときっぱりとした調子で乱が告げたので耳を疑った。
「何を申すか!? 先ほどは命がけでわしを守ろうと
敵の前に飛び出したではないか?」
「いいえ、あれは愛情からではなく、ただ単に
主君に仕える小姓としての義務を果たしたまでです。
私が本当に愛しているのは弥助で、何度も
誘いをかけましたが断られました。その一方で、
あのキンカン野郎にも心惹かれるものを感じていましたが、
胸の内を告白したところ侮蔑の眼差しで見られて
腹立ちのあまりに城を奪い取るという
愚かしい真似をしてしまいました。そのせいで
あいつが
苦境に陥れてしまい、まことに申し訳ありません」
「もうよい、聞きたくない! よくも裏切ったな!」
と絶望した信長は叫ぶと、懐から大量の火薬を
取り出してまき始めた。本心を言葉にしたおかげで
気分がサッパリした乱は終わりが近づいているのに
平然としていた。
「なんてこった! 首を取れないどころか
こっちまで巻き添えになっちまう!」
とあわてた作兵衛はとっさに乱の着物の袖をつかむと
瞬間移動の呪文を唱えた。その直後、
火薬に火がつけられて轟音とともに
部屋全体が吹っ飛んだのだった。
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