エピソード・ゼロ 4

   4


 パシェニャはディアナと友達になった。

 ドッジボール。フットサル。鬼ごっこ。高オニ。三角ベース。カードゲーム。チェス。一日一時間だけゆるされたクラシカルPP(注・プレイパームというポータブルゲーム機。ここでは初代のモノクロ画面の機種)のテトリス対戦。孤児院の子供たちは六班にわかれているのだが、それぞれの班の持ちまわりで週一回ずつのファミコンソフト。そして決闘ごっこ。もちろん、読み書きソロバンの勉強も。そうしたものを、パシェニャはディアナと孤児院のみんな、文字通りみんなとやるようになった。

 しかし、歌は歌わなかった。

 あるとき、ディアナが訊ねた。

「パシェニャはどこで剣術やらボクシングやらを習ったの?」

「だいたいのことは、本で覚えた。それと、スラムでの野良犬、野良猫、いじめっ子なんかの相手、そんなところからかも。犬は人間より強い。それをあしらえる程度には強くなれた」

「ウソでしょ!? でも、そういえば、パシェニャは図鑑とか伝記とかよく読んでたわね。でもそれだけでできるはずがないと思うのだけれど……トトロス=ノトスを完璧に使えるのは尊敬するわ」

「見よう見まね……わたしの一人部屋からディアナの特訓が見えた。目はうまれつきかなりいいの。あとは一日二時間ほど、それの真似っこ。聖騎士団奥義は見てなかったけどね」

「へ、へぇー……」

 ディアナは悔しさに満たされた。わたしが直に指南された剣術を、見ていただけで盗まれるとは……しかし、今はパシェニャを完全に信頼していた。そんなことを言い、ディアナは続けた。

「でも、いいライバルができたのは素直にうれしかった。本当に。あの決闘がなかったらわたしは、どこかなまけていたかもしれない」


 そうして、三年が過ぎ、パシェニャは一二歳になっていた。

 ディアナはすでに聖騎士団に引き取られ、孤児院をさっていた。

「またいつか。じゃあね」

 ディアナはそんなそっけない言葉だけ残し、しかし涙を見せながら、皆と、そしてパシェニャと別れた。


 そして一二歳のパシェニャも孤児院を去るときが来た。孤児院にある男が現れた。パシェニャの身元を引き受けるのだという。

 パシェニャは男を見て、

「生きてたのね!」

 果たして、男は『あのときの』男だった。男はいくらか怒っていた。

「身を潜めるようにしたはずだったんだがな。歌うと俺が

来ないという条件付けでな。なんで剣術やボクシングなんかで目立っているんだ? というか話によれば『君臨している』レベルだと言われたぞ」

 パシェニャはなんでもないかのように、

「銃は扱ってない。歌も歌ってない、約束は守ってる。そこ以外はフツーにしているつもりだったよ? 剣とボクシングと――銃の早打ちの鍛錬――は毎日二時間、本とディアナのマネしただけで」

 もちろん、「歌」と「銃」だけが禁止だと勘違いしたフリだった。

「屁理屈だな。あいつの娘ならこんなことになるだろうとは思ってはいたが」

 さて、パシェニャのお別れ会が開かれた。

「銃はないけど……歌を歌ってもいいのかな? かな?」

 上目づかいで男に訊ねるパシェニャ。

 男は、

「勝手にしろ」

「じゃあ、それでは、コンサートを始めます!」

 孤児院の小さな教室の、一段高くなった教壇という名のステージで、パシェニャは歌い始めた。

 できそこないのジャイアンリサイタルか? 誰かがつぶやいた。

 それが始まってみると、母ゆずりのプロのオペラ歌手の歌というのがちょうどいいものだった。鈴虫の声の響き、涼しげな風鈴であり、考えうる最高のソプラノ歌手をも超える祝福だった。イタリアのカンツォーネは皆の眼前にたゆたうヴェネチアの水の流れを現し、優雅な午後のカフェの一息をつかせた。

 続けて、ロシア、イギリス、アメリカ、日本、韓国、中国、フランス、スイスの国家を歌い上げ、最後にイタリア国歌を力強く歌った。

 皆は盛大な拍手と、

「アンコール! アンコール!」

 の絶賛でこたえた。

 パシェニャは『ドラゴンクエストのテーマ』をどの世界のどこの言語でもなくラララでもハミングでもない歌詞で歌った。

 さらなる万雷の拍手。

「スゴイ!」「なんで今まで歌わなかったの? 結局?」「もしかしてプロだったのが恥ずかしかったとか?」

 パシェニャは一言、

「変な約束しちゃったからよ」

 意味不明な応えを吐いた


「じゃあね。またいつか」

 と、男の車に乗ろうとしたパシェニャに、

「ディアナとおなじこと言ってる!」

 一人の女児が気付いた。

「覚えてたの!? そう、ディアナにも多分また会える。あなたもね」

 パシェニャは孤児院をあとにした。


「冗談でなく、この後、どうするんだ? プロの歌手になるほうが善い気がしてきたぞ」

「いや、お父さんのあとを継ぐわ」

「『サモルグ』は容赦のない組織だ。きみの両親『サモルグ』に殺されたといえるのかもしれないのだぞ……詳しくは言えんがね」

「それなら、容赦を覚えさせればいいんじゃないの?」

「ふむ。一言ボスに気をつけて匿名で伝えておこう」

 この後、パシェニャは『サモルグ』の殺し屋になり、結局は『サモルグ』を抜けることになり、極東の島国でだれそれと出会ったりするのだが、それはまた別の話だ。

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