エピソード・ゼロ b
b
「おやすみなさい、わたしのかわいいパシェニャ」
「おやすみ、おかあさん……」
パシェニャは静かな愛の祝福に包まれて眠っていた。
毎日、毎晩、祝福にはさまざまな
「おはよう、パシェニャ」
「まだねむいよ、おかあさん」
「そうね、わたしも眠いわ」
「あとちょっとだけねてたい!」
「わかるわ……でも、もう行かないと――」
そこでパシェニャは目を覚ました。
また母の――間違いなく実の母親の――夢を見ていた。
いつもの夢だった。
夢をすぐに忘れてしまうのは、ひどく残念な気分だった。
だが、祝福につつまれて眠りにつく、その場面だけは覚えていた。母親の千の祝福は限りなく心地よかった。
これは彼女が九歳の頃のお話である。
九歳の頃のパシェニャは、薄汚い物扱いされることがかなり多かった。
「薄汚いピチカータ!」
「ゴミ溜めピチカータ!」
「バカのピチカータ!」
今日もまたいじめられていた。
「バカっていうほうがバカなんだぞ、このうすらボケどもが!」
そうジョークで言い返すことくらいはできていたが、内心かなり傷ついていた。
あいつらにしてみたらたんに見くだしてからかっているだけのつもりだ、パシェニャにはわかっていた。本気のケンカもしたことがあった。相手に全治二週間の打撃を加えたこともあった。
それでもイジメはやまなかった。
パシェニャをわざと怒らせて遊ぶやつはあとをたたなかった。
彼女の名は、ピチカータ・ミハイロヴナ・マノヴィチ。
両親はともにロシア人であり、そのようなふざけた名前をつける程度にその子、本名ピチカータからきた愛称「パシェニャ」を愛していたかもしれない。両親はロシアを出国してイタリアに移り住み、そこでパシェニャが産まれたのだった。その両親は、なぜかパシェニャが五歳のとき失踪したわけではあるが、離婚してパシェニャがジャマになって捨てたのか、単に二人で逃げる事態があったのか、それはわからなかった。
パシェニャはイタリアのスラム街で、街路清掃、要するにゴミあさりをして過ごすことになった。
街路清掃業者には市長からわずかばかりのほどこしもあった。ちなみに一番の好物は、時々ある、オマケシールだけ取られた残りのチョコウェファース、いわゆる捨て菓子だったかもしれない。しかし、週に一回か二回は、少ないお金を使って普通の食事もできていた。
そんななかでのある日、『ある事件』の被害に遭い、通りすがりの名も無き男に救けられ、呼ばれた警官が現れ、なんだかんだあって、ロシアの孤児院に送還された。両親はどうしたのか、どういう二人だったのかとイタリアの保健師に聞かれたとき、パシェニャはロシア語で、
「もうこの世にはいないけれど、ロシア人――二人ともロシア人で……」
と言ったため、ロシアの孤児院に行くことになったのだった。
両親がロシア人で、ロシア語とイタリア語の両方を知っている九歳の彼女にはちょうどよかったかもしれない。
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