第三節 愛されている少年と裏切られた少女




(誰かが呼んでいる気がする)


 真っ暗闇の世界に、ソラは一人立っていた。いや、果たして立っていると言えるのか。不可思議な感覚にソラは戸惑う。

 おとぎ話に出てくる、世界が誕生する前の状態がこれだったのだろうか。


――……ラ……起……ソ……。


 また闇の中で声が聞こえてくる。

 この声に、ソラは聞き覚えがあるような気がしていた。


(エイネ?)


 果たしてこんな声だっただろうか。はっきりと聞き取れないため、判別できない。

 ソラは耳を澄ませた。


――ソラ……きて……。


(違う……エイネの声じゃない……?)


 だが確かに聞き覚えのある声だ。つい最近、聞いたことのある声。

 闇の中に、一筋の光が見える。ソラはそれに向かって、大きく手を伸ばした。


「ソラ! お願い、起きて!」


 叫び声に、ハッとソラは目を覚ました。

 目前に一人の少女の顔があった。少し赤みの掛かった綺麗な栗色の髪をした、少女の顔が。


「トゥネリ?」


 謎の男の笛による演奏会。そこではじめて知り合った少女が、心配した表情でソラの顔をのぞき込んでいる。


「あぐっ……」


 意識が覚醒した瞬間、体に痛みが走る。


「そうだ、ボクは……!」


 なにが起こったのかを、ソラは思い出す。あれからどれくらいの時間が経っているのかの判断がつかない。


「大丈夫? 無理に動かないで?」


 トゥネリが今にも泣きそうな声で言った。

 しかしそういうわけにもいかなく、ソラは身を起こして周囲を見渡す。

 すすり泣く声が至る所で聞こえる。何人かが身を寄せ合って、地面に座り込む子供たちの姿があった。


「ここは……どこ?」


 周囲は明るくはなく、見通しが悪い。かろうじてあるのは、鉄格子を超えたところにある松明の明かりだけ。空気は冷たく、今にも凍えてしまいそうなほどだ。ぴしゃり、ぴしゃりとどこからか水が滴り落ちる音も聞こえてくる。

 この不気味な空間に、どうやら閉じ込められているようだとソラは理解した。


「ごめんね……ごめんね……!」


 ふと、トゥネリが泣きながらソラの服を掴んでそう言った。


「どうしたの?」


 ソラはあやすように、トゥネリの肩に手を当てる。彼女の体は小刻みに震えていた。


「わたし……わたし……!」


 歯がガチガチと音を立てて、声も震えている。

 ソラはもう一度周りを見渡した。どうやら他の子供たちも寒さに凍えているようだ。


「ちょっと待ってて。今ここ温かくするから」


 震えるトゥネリの頭を優しく撫でると、ソラは微笑んで立ち上がった。


「いてて……えーっと、こう? かな」


 ソラはそっと天井に手のひらをかざす。すると、手のひらから赤い光を放つ小さな玉が生まれた。それがパッと花開くように割れると、先ほどの寒さが嘘のように温かい部屋に変わった。


「どうみんな? 温かい?」


 子供たちが感嘆の声を上げ、ソラの方を見た。


「きみ、魔法を使えるの?」


 一人の少年が声を上げる。するとほかの子供たちも声を揃えて「これ、魔法?」と聞いてくる。


「ああそっか、子供が魔法を使えるのってごく稀なことなんだっけ」


 対しソラは小声で呟いて、頬を掻く。だが後悔はない。凍えている姿は放ってはおけない。


「えっと、まあ、一応?」


 すると子供たちから歓声が湧き上がった。


「すっげぇ! 魔法を使える子供なんてはじめて見た!」

「待ってきみ歳いくつなの?」

「え? えっと、まだ六歳……かな……」

「すごい! わたしと同い年なのに魔法が使えるなんて!」


 わいわいと子供たちはソラを囲んだ。こんなに大勢の同い年くらいの子に囲まれたことのなかったソラは、それだけでなんだか嬉しくなった。だが。


『うるせぇぞガキども! 大人しくしてろ!』


 どこからか響いてきた怒声に、子供たちは縮こまった。

 ソラもその声に身の毛がよだつ。


(今の声、まさか!?)


 そう、聞こえてきた声は笛の演奏を行った男のものだった。

 どうやらこちらに近づいてくる気配はない。ひとまず胸をなで下ろし、ソラは怯えるほかの子供たちに「大丈夫だよ」と笑った。

 とりあえず状況を整理しようと、ソラはその場に座る。座って、気がついた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 トゥネリが体を震わせて、何度も何度も謝罪の言葉を口にしていることに。


「大丈夫? まだ寒い?」


 今度は両の手のひらに魔力を込めて、トゥネリの肩に手を当てた。


「違う、違うの……!」

「なにが違うの?」

「わたし、わたしの……わたしの……っ!」


 トゥネリの目からは止めどなく涙が流れていた。

 きっとなにか辛いことがあったのだろう。そう思い、ソラはトゥネリを抱きしめてその胸の中に顔を埋めさせた。エイネにした時と、同じように。


「大丈夫だよ。ほら、泣きたいときは我慢しなくていいんだよ?」


 ソラの言葉が、トゥネリの箍を外す。

 そしてトゥネリはしばらくの間、ソラの胸の中で叫くように泣いた。

 この時ソラは彼女の声を響かせまいと、周りに《音を遮断する魔法》を用いるのであった。





 ひとしきり泣いたトゥネリは落ち着きを見せていた。


「もう大丈夫? 落ちついた?」

「う、うん。ありがとう」


 トゥネリを顔を真っ赤にして俯く。恥ずかしさから、ソラのことを正面から見れずにいるようだ。

 恐る恐る顔を上げてみると、ソラは笑った。まるで太陽のように明るい笑顔に、トゥネリは思わず見惚れる。が、すぐに顔を反らして別の方を向いた。顔がまだほんのりと赤い。

 一方のソラは、落ちついた様子のトゥネリを見て胸をなで下ろしていた。いざ抱きしめたはいいものの、まだ会って間もない少女の涙には幾ばくかの戸惑いがあった。果たして自分の行動は正解だったのだろうかと、少し不安にもなっていたのだ。

 その心配は無用だった。トゥネリの表情は先ほどよりも柔らかいものとなっている。少しでも彼女の不安を取り除けたのであれば、それは正しい行動だったのだとソラは自信を持てた。

 これなら大丈夫と判断し、ソラは今の状況の分析に入る。ある本にも「危機的状況に陥ったときこそ、冷静に物事を見なければならない」と書かれていた。今それができるのは自分しかいないという責任感が彼の背中を後押ししていた。


 まずはここがどこかを把握しなければならない。見たところ、町のどこかにある牢獄施設なのはわかる。鉄格子から隣を覗くと、今居る部屋と同じ構造の部屋が幾つかあるのが見受けられる。

 そして今いる部屋の目の前には通路があった。この先の部屋のどこかに、あの笛吹きの男がいるのだと思われる。

 もう一度、子供たちを見てみる。人数はざっと見たところ十数人。この人数を一度に収容しておける部屋を、果たして牢獄施設に設けるのだろうかとソラは疑問に思った。普通は人一人が入るのに十分な大きさでいいはずなのだが――。

 ソラは気になり、地面を調べてみる。石畳で出来た床だが何やら少し湿っぽい。どこからか水の滴る音が聞こえていることから、昨晩の雨の水が隙間から落ちていると考えるのが妥当なのだが、ソラはどうしても気になり、床に僅かな光を当てて見てみた。


(――っ!? これは、血……?)


 床に染みついた赤い何か。これが血だとすれば、この部屋は一体なんなのか。ますます疑念が深まるばかりだ。

 ソラは一通り今居る場所を眺めて、考えた。どうにかしてこの場所を脱出することはできないだろうかと。

 そのときだった。


「さぁて、そろそろお楽しみと行きますかねぇ」


 そう言って、あの笛吹きの男が部屋の前にやってきた。

 ソラは思わず生唾を飲み込む。一体この男は何を目的として、子供たちを連れてきているのかがわからないからだ。

 ガチャリと鉄格子の鍵が解除され、扉が開けられる。


「ん? やけに温かいな。まあどうでもいい。それよりもだ」


 中に入ると、男は子供たちをなめ回すようにじっくりと眺め始めた。


「そこのお前は最後の楽しみに取っておいてやる」


 男が不気味な笑みを浮かべて、ソラを指さした。

 男の瞳に射されたソラは、立ちすくむ。男の目はおよそ人がするものとは思えないほどの狂喜に満ちていた。

 男がここにいる今、絶好の逃げる機会のはずだ。そう思っていても、一瞬にして恐怖に落とされたソラは動けなかった。

 男はもう一度眺めると、近くにいた少女の手を掴み無理矢理立たせた。


「な、なにするつもりだ!」


 近くにいた少年が声を上げて、立ち上がる。


「あん? お前には関係ないことだろ。ガキは大人しくしていろ」

「お兄ちゃん! やだ! 怖いよ!」

「うるせぇなぁ。いや待てよ? ははっ、今いいことを思いついたぞ」


 男が突然満面に笑みを浮かべた。


「お前たち兄妹か。なら一緒にここから出してやる」


 男は少年の腕も掴むと、鉄格子の部屋から出て鍵を閉めた。


「さあ、俺と一緒に行こうか? 楽園の世界へ」

「やめろ、どこに連れて行くつもりだ! 離せぇ!」

「やだやだやだ! 離してよ、離してぇ!」


 二人の子供は恐怖から涙を流して抵抗していた。二人とも本能的に感じ取っていたのだ。この男は、ここから解放するために出したのでは無いと。

 二人の声が遠のいていく。それを聞いていたソラの顔は青ざめていた。


(あの人、なにをするつもりなの?)


 残された子供たちも青ざめた顔で固まっている。

 特にトゥネリは体を抱えて、まるで何かを聞かんとするかのように耳を塞いで蹲っている。当然その肩は震えている。

 ソラは震える足で近づき、通路を覗くようにして鉄格子を握った。そして耳を澄ませる。恐怖で息が上がる。

 しばらくして、静寂を切り裂くように遠くから声が響いてきた。


「やめろ! 妹になにをするつもりだよ!」

「やだあああああ! お兄ちゃああああん! 助けてえええええ!」

「やめろ、なんだよそれ! そんなのでなにを! やめてくれ……やめてくれええええ!!」

「いやあああああああぁーッ!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! 助け、助け――」


 突然、音が途切れた。かと思った直後。


「うわああああああーっ!! あ、ああああアアああああああーッ!!」


 少年の悲痛な叫び声が響き渡ってきた。

 一体向こうで何が起きているのか。最悪の想像がソラの頭を過った。

 ソラの頭も真っ白になっていた。今まで冷静でいられた彼の心は、一瞬にして瓦解していた。もう冷静に物事を見ることなど出来そうにない。


「もうやめて……! お父さん……!」


 そんなときふと、掠れた声がソラの耳に入ってきた。

 思わずハッとして、辺りを見回す。その声はまたしても聞き覚えのある声だった。


「まさか……」


 声の主に目をやる。声の主は蹲り、肩を震わせ、そして耳を塞いでいる。

 ソラはそっと近づき、少女の肩に触れた。

 ビクッと、体が跳ねる。そしてゆっくりと、少女は顔を上げた。


「ソラ……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……!」


 すがるように、少女トゥネリはソラの胸に飛び込む。

 ソラは思い出した。トゥネリが何かに対してずっと謝罪を言っていたことを。その理由が今わかった。


〝――わたしはね、ソラの笑っている顔が大好きなんだから〟


 脳裏にエイネの言っていた言葉が響く。本当の母親ではない、しかし本当の母親のように接して育ててくれた人の言葉が。ソラはギリギリっと歯を強く噛み締めた。


「大丈夫。大丈夫だよトゥネリ」


 ソラの言葉にトゥネリが顔を上げる。顔は涙に濡れ、ぐしゃぐしゃになっている。

 ソラはそっと、トゥネリの涙を拭って笑った。


「ボクがなんとかする。だから、君のことを少しだけ教えてほしいんだ。君と、あの男の人の関係を」


 ソラの唇も体も震えていた。なんとかできないかもしれない。それでも、なんとかしなければならないと。瞳だけはまっすぐ、前を向いていた。

 トゥネリは意を決して、ソラに話し始めた。


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