5



「ソラ、どこにいるのかしら?」


 買い物を終えたエイネはソラを探していた。

 ソラが駆けていった方に来たはいいものの、子供が集まっているところもソラの姿も見当たらないのだ。


「あの、すいません。子供たちを見かけませんでしたか?」

「いや、見てないな。どこかへ走って行く姿は見たんだが」


 道行く人に聞いても、返答は皆同じだった。

 おかしいなぁとエイネは頭を掻く。あれだけの人数の子供がいたのだ、誰か一人くらいその場を見ていてもおかしくないのだが、誰も見ていないのだという。


(もしかしたら、どこかの建物の中でやっているのかも)


 ひとつ可能性も思いつき、エイネはひとまず周囲の人にいろいろ聞きながら歩いて回ることにした。


「あの、すいません。この町でなにか催すために作られた場所かなにかありますか?」

「いや、そんなのがあるなんて聞いたことないが」

「そうですか。すいません、ここでなにか――」


 何人も同じ質問を投げかけてみた。が、これも子供たちの行方同様にわからないと答えるものばかりだ。

 店を営む人間に聞いても、これまた答えは同じ。町の役場に聞いてもそんな場所は存在しないという答えまで返ってきた。

 エイネは次第に焦り始めていた。これだけ見つからないとなると、どこかへと連れ去られたのではないかという不安が過る。

 それに、聞いて回るうち町に違和感を覚えていた。子供の帰りを待っていると思しき親の姿も無ければ、子供を探す親の姿もないのだ。

 まだ昼過ぎだから気にしていない、というのもあるかもしれないが、それにしてはどうもなにかがおかしい。


(誰も彼も、なんだか答えの歯切れが悪いというか)


 そう、これだけの人で賑わっているというのに、町に活気を感じられないのだ。来たときにはあれだけ話し声があったというのに、今は一切ない。まるで町そのものが死んでいるかのようだ。

 エイネはもう居ても立ってもいられず走り出した。

 取れる手段はもうひとつしかない。音だ、音を聞き取るしかない。これだけ静かになってしまったのであれば、笛の音を聞き取ることなどそう難しいことではないはずだ。

 走り、ひたすら走って、エイネは耳を澄ませた。


「――っ!?」


 不意に、耳に微かな笛の音が入ってきた。咄嗟に耳を塞ぐエイネ。


(今の音、まさか誰かが催眠魔法を!?)


「くっ……!」


 エイネは笛の音に魔力が込められていることを瞬時に感じ取っていた。それだけ彼女も魔力を感じることに長けているということだが、喜ばしい状況ではない。

 今のエイネは魔力が少ない状態だ。そんな状態であれば誰にでも操られてしまう。魔法を使い耐性を上げることも出来るが、魔力を消費するわけにはいかない彼女にとってそれは悪手でしかない。


(でもこれじゃ音を聞くどころじゃ)


 焦りがエイネの判断を鈍らせる。音が聞こえなければ、ソラの居場所を見つけるのは難しい。だが笛の音が聞こえたとあれば、場所はそう遠くはないはずだ。そう考え、エイネは周囲を見渡した。

 見渡し、エイネは思わず息を呑んだ。町の住人がまるで操られたかのように、生気を失った目でその場に立ち尽くしている。異様な光景だ。

 これはもはや猶予はないのかもしれない。エイネはそう判断し、魔力を高めて身に纏った。


「あぐっ……痛っ……!」


 直後、エイネの視界が揺らぐ。頭に痛みも走る。今の状態で魔力を使えばこうなるのは必至。だが堪えるしかなかった。

 笛の音は聞こえなくなっていた。それでも気を緩めるわけにはいかない。いつ何時、またあの音が聞こえてくるのかわからないのだ。

 魔力を身に纏ったままエイネは耳を澄ませる。どんな微かな音でも聞き逃さないように。


――たす……けて……。


「――っ!? ソラ!?」


 微かだが、助けを求める声が聞こえた。とてもか細い声だったが、エイネはそれがソラの声だと聞き逃さなかった。

 エイネは再び走った。声の聞こえた方向に。全速力で。

 行き着いたのは小さな建物だった。人がそれなりの人数入れるであろうこの建物は、子供に笛を演奏して聴かせるには十分な大きさである。

 そして先程見て回った時には無かった建物だ。おそらく犯人が認識を逸らす魔法を建物に掛けていたのだろう。

 すぐさま扉を開けようと手を掛けるが、どうやら鍵が掛かっているようで開かない。

 どうにかしてこじ開けようと試みた時、またエイネの耳にソラの声が入ってきた。


――エイ……ネ……。


 この声で、エイネはすぐに悟った。ソラの身に何かあったのだと。

 ギリッと歯を強く噛みしめる。堪えることの出来ない怒りが、エイネの胸の奥からこみ上げてくる。今までにない形相で扉を睨み、そして――。


「はあぁぁーッ!!」


 雄叫びとともに、エイネは扉を拳で吹き飛ばした。


「なんだ?」


 笛吹きの男は、破壊された扉の方に目をやる。


「お前……私の大事な子をどこに連れて行くつもりだ……」


 男の目に映ったのは、微かな光を纏った少女の姿だった。


「答えなさい……ソラを、子供たちをどこに連れて行くつもり?」


 エイネの問いに、男は鼻で笑う。


「ガキが一丁前に英雄気取りか?」


 男の目にはただの幼い少女にしか映っていない。彼女が一人の母親だということを知りもしない。故に、エイネの次の行動に反応できなかった。


「あまり、私をイラつかせないでくれるかしら……?」


 ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ目を離した隙に、エイネと男との距離はほぼゼロになっていたのだ。


「なにっ!?」


 男は驚きを隠せず、ただ目を丸くするだけ。

 その隙にエイネは拳を握り、男の腹に思い切りたたき込んだ。


「ぐがぁ!?」


 衝撃に男の体は耐えられず、壇上に向けて弾き飛ぶ。壇を構成していた木材が砕け、パラパラと散る。エイネの放った拳がどれだけの威力を持っていたのか、一目でわかるだろう。

 男は身を起こし、口に溜まった血を吐き捨てると目をぎらつかせた。


「くそが……さっきのガキといい、どうしてこうも邪魔しやがる」


 気にくわない。そう表情に出ている。唇を噛み、笛を強く握りしめて、怒りを露わにしている。

 一方のエイネは涼しい顔で男を見ていた。


「相手を甘く見るからそうなんのよ」


 エイネが笑う。


「くそが……くそがくそがくそが、くそがああああっ!!」


 突然、男が叫び声を上げた。その圧は尋常では無く、空気全体が揺れている。エイネが思わず耳を塞いでしまうほどであった。


(この男、一体なにを)


 これが何かの合図であると気づいた時、エイネの視界が大きく揺れた。


「がっ……!?」


 耳を塞いでいた隙を狙い、操られた子供の一人が椅子でエイネの後頭部を殴打したのだ。平衡感覚を失ったエイネは、バランスを保つことができず地面に伏してしまう。

 それを見計らったかのように、ほかの子供たちが一斉に襲いかかった。エイネの背中や後頭部を目がけ、椅子で何度も強打する。


「みんな、やめて!」


 エイネが必至に子供たちに呼びかけるが、彼らにその声が届くことはない。男の術中に捕まってしまった子供たちは、男のいいなりに動くしかなかった。

 だが一方で、彼らに残った微かな心が反応しているのか、子供たちの目には涙が溢れている。

 エイネはそれに気づき、歯を食い縛った。この男はなんて卑劣な奴なんだと。


「あなた……子供たちに、こんなことをさせて……何も思わないわけ?」


 男は高らかに笑い声を上げた。


「なにを思う必要がある? 俺はただ道具を上手く扱っているだけだろう?」

「道具? 道具、ですって……?」


 子供たちの猛攻を受けながら、エイネは立ち上がった。


「あんた、この子たちが涙を流しているのが見えないの?」

「見えないなぁ? そんな道具たちがどうなっているかなんてなぁ」


 瞬間、エイネは地面を強く蹴った。先ほどと同じように、男との距離を一気に詰めようとしたのだ。だが――。


「二度も同じ手が通用するかよ」


 エイネの行く先に、二本の槍が現れた。


「しまっ……」


 一度放たれた速度を緩めることが出来ず、エイネは咄嗟に両腕で防いだ。


「ぐぅ……!」


 槍の切っ先が腕に刺さる。

 エイネは痛みに顔を歪めるも、槍を無理矢理抜いて距離を取った。が、背後に気配を感じすぐさま身を翻して、防ぐ体勢に入った。

 振りかざされたのは、鉄で出来た護身用の警棒だった。それがエイネの傷口に直撃する。傷口がさらに開き、血が飛び散る。衝撃が骨にも響き、嫌な音を立てた。

 使い魔の体が魔力で出来ているとは言え、構造も痛みも人間と変わらない。漏れそうになる悲鳴を必至に堪え、エイネはなんとか耐えた。


(まずい、意識が……かすむ……!)


 流血は魔力を消費することと同義だ。今すぐに出血を止めなければ、魔力を減らす一方。ましてや今は身体強化の魔法を自身に掛けている状態だ。このまま下手をすれば、自身の体が消えてしまい兼ねない。

 だが治療する余裕はなかった。エイネは完全に囲まれてしまっていた。


「せめてあの子だけでも」


 ソラだけでもどこか安全な場所に移動できないかと思考を巡らせる。容易なことではない。今もなお、男に操られた町の人々が集まってきているのだ。こんな状態では例えソラの身を救出できたとしても、そうしている間に逃げ場がなくなってしまう。

 エイネは、思わず太腿のナイフに手を掛けようとする。掛けて、自分を呪った。町の人々はただ操られているだけだ。罪もない人間を殺すわけにはいかないというのに、それだけ彼女は追いつめられていた。


(ここはもう……撤退するしかない……か)


 そう考えた瞬間、町の人々が一斉にエイネ目がけて襲いかかってきた。

 必至にエイネは猛攻を躱す。が、彼女の息は上がっていた。体力の消耗も激しく、本来ならば立っているのもやっとな状態なのだ。

 なんとか隙を見て、この場から脱出しなければならない。今いる場所はあまりに狭い。躱すスペースさえ見つけるのが難しくなってきている。


「あまりこういうことしたくなかったんだけど……」


 ついに壁際にまで追い込まれた。

 だがエイネにとってこれは却って好都合だった。

 拳に魔力を込めて、壁に打ち放つ。すると激しい音を立てて破壊された。

 出来た穴は思惑通り外へと繋がっている。町の建造物を壊すのは気が進まなかったが、もはや気にしている余裕などない。

 骨に響く衝撃を堪えながら、エイネは外に出る。足に魔力を込めて高く跳躍し、家屋の屋根に着地した。

 逃げようとしたとき、彼女の体はすでに限界に達しようとしていた。それでも力を振り絞り、その場から退散する。最愛の子を救うために死んではならないのだと。


「逃げたか」


 エイネが姿を消して間もなくして、開いた穴から男が出てきた。

 空を見上げ、鬼気とした表情で笑みを浮かべる。


「だが、この笛の力があれば……もう誰も俺を止めることはできない」


 男は天に向かって、大きな高笑いを上げた。


「これで俺の欲望が満たされるってもんだ!」


 男は周囲に集まった操られた人々に目をやることなく、中へと入っていく。


「おい、いくぞガキども」


 そして子供たちだけを連れて、その場から去って行った。


 一方、エイネは町の外、森の中まで来ていた。この場所まで来れば、さすがに追ってくることはできないだろう。

 木にもたれ掛かり、荒れた息を整える。額からは大量の汗が流れている。

 服の裾を破り、それを包帯代わりにして傷口を覆った。これは気休め程度のものでしかない。完全に傷口を塞がなければ、魔力が減っていく一方だ。

 しかしエイネにはもう思考するだけの余力が無かった。体が少しでも魔力を得ようと、睡眠を促す。睡眠と食事は魔力を得るのに必要な要素だ。

 視界が暗くなっていく。体を起こそうとするが、力が入らない。


「戻ら……な……いと……ソ……ら……」


 そのままエイネは意識を失った。



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