夢みる灰は

雨野 無花

1

ランプの仄明かりを頼りに、若い女たちがオトギリを摘んでいた。

彼女らの小さな鼻歌が夜風と共にそよぐ。

あれは何年前だろうか。シノもあの娘たちのように夏至祭の前夜にはオトギリを摘みに出かけていた。

刺繍のように蔓延る黄色い小花を家に持ち帰り枕の下へ隠して眠ると、夢に聖者が現れて加護を与えてくれる。歳若い未婚の娘ならば、将来の夫の姿を夢の中で知ることが出来るという。

(でも、彼は夢枕に立ってくれなかったわ)

それより今は夢摘む女たちが振り返らないうちにこの草地を抜けなければ。

生い茂る草花で視野が狭いが、お陰で這うように低く駆けるシノの姿を隠してくれる。それでも身体を擦る草の音が乾いた空気の向こう、どのくらい彼女らの耳に届いているのか。


街の北側、草地の終わりの森に住む魔女が匿ってくれると、"仲間"たちの間ではもっぱらの噂だった。信じない者たちは諦めた顔で街に残ったが、どうせ尽きる命なら少しでも可能性のある方に賭けたい。

(どこまでも往生際の悪い女ね、わたしは)

それでも、あの人が願ってくれたから。


娘たちの口ずさむ調べが聴覚の果てへ消える頃には、身に絡む雑草はまばらになっていた。代わりに木の根が地をうねりはじめ、徐々に森へと道を誘う。


森の細道を半里、そこから西へブナの木7本分。マシューの巨木がいたら、魔女に会いたいとお願いをする。

魔女の手がかりはそれだけ。

森の中は暗く、踏みしめる土は夏だというのに素足に染み入る冷たさだった。しじまに息を潜める獣たちの微かな呼吸を気にしつつ、魔女の家の門番を目指す。


マシューの巨木は、樹齢数百年はあろうかという立派な樫の木だった。根元から大きく捻れた幹には苔が生し、その姿に威厳を与えている。しかし不思議と威圧感はない。宵の森にあって、暖かみすら感じさせる樹木だった。

思わず息を飲み仰いでいると、マシューの巨木はさわさわと葉をくすぐらせた。

「おや、これは魔女によく似た黒い髪だ」

まるで木が意志を持っているかのように、こちらに語り掛ける。

長い歳月を生きた樹木には精霊が宿ると聞いたことはあったが、実際に相対するのは初めてだ。

マシューは、宿主である樫の雰囲気によく馴染む、穏やかな男のような声だった。

「しかし珍しい、樫の実のような美しいつるばみ色の瞳をしている」

太い幹には目も口もないが、なぜだかまじまじと見つめられているような感覚に、むず痒い気持ちになる。

「分かっているよ、魔女に逢いに来たんだろう」

頷くと、応えるように樫が枝を揺する。広く方々へ伸びたそれらは振るうだけで空気を波立たせ、シノの身体を扇ぎ、自らの足元に降り積もっていた落ち葉たちを舞い上がらせた。

露わになった樫の根元、幹の下には、シノがやっと通れるかと言う程度の隙間が見える。覗き込むと、鼻先をかすかにくすぐる風を感じた。

「さぁ、お行き。……そのつるばみの瞳に、光が映らんことを」

シノは礼を言い、樫の身体の下へ潜り込んだ。


半ば滑り落ちるように降り立ったそこには、吹抜け洞窟が細く続いていた。森の中より一層明かりの届かない場所だが分岐もなく、石壁に伝いに進んでゆくとやがて小さな明かりが確認できるようになる。

それは小さな、どこか不格好にも思える木造りの小屋だった。

ドアベルを鳴らすと、程なく型ガラスに人影を浮かばせてゆっくりと扉が開く。

「いらっしゃい」

鮮やかな色のストールを羽織った女が、まるで知人を招き入れるように部屋の中へと誘う。隙間から零れる部屋の明かりで、女の垂らした黒髪がゆらゆらと輝いていた。

(魔女だわ……街の人たちが言うのとは違う、本当の魔女)

頭を下げて部屋へ踏み込むと、すっかり冷えていた素足の裏から身体に、じわりと熱が広がる。

魔女は椅子へ腰かけ、シノに自らの前へ座るよう促した。

部屋の中で向かい合うと、魔女の顔がよく分かる。彼女は今まで見た限りの誰よりも老いた顔をしていた。時折食事を分けてくれていた街で最長齢のマルセルは40歳を目前に先月亡くなったが、それよりもう幾年か歳を重ねているように見える。


「あんた、魔女だね」

そう口を開いたのは魔女――シノの目の前に座る森の魔女の方。

「その姿になってから長そうだが、まだ人の心が残っているんだろう。ねぇ、猫の魔女よ」

穏やかな瞳と声には、同類相憐れむ心情が滲む。

「そうよ」

と答えるシノの喉から、みゃあ、と洩れた。

部屋の壁に立て掛けられた大きな鏡には、魔女の足元にかしこまる痩せた黒猫が映る。鏡だけではなく、街の誰しもがシノの姿をそう認識しているだろう。

森の魔女は目を伏せ、小さく首を振った。

「可哀想に。わざわざそんな姿を願ったがばかりに、あんたは街で追われなくちゃならない」

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夢みる灰は 雨野 無花 @amemi06

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