第88話 神親王と飛王
時は千年前に遡る。
静かになった
飛王は一人、
バサバサバサッ
鳥がけたたましく鳴きながら飛び立った。
それを追いかけるようにして、金属のこすれぶつかり合う音が、森にガシャンガシャンと響き渡る。
飛王はほっとしたような顔になる。
十日あれば、みんなは
先頭の馬に乗った兵が、聖杜の城門が開いているのを見て、訝し気な表情になる。
誰もいないのを確かめながら、慎重に中へと入って来た。
奇襲を警戒するように周囲に気を配りながら、王宮まで進んできたが、神殿入り口に佇む飛王に気づくことなく引き返して行った。
誰もいないことを確信した様子で、
飛王は神殿前に出てくると、静かに時が来るのを待っていた。
しばらくして、
中からゆっくりと進み出て来た、騎乗の人。
威風堂々とした佇まいは、只者でないことを物語っている。
やや頬骨の出た精悍な顔立ちには、年齢相応の皺が刻まれている。
だが鋭い濃茶の眼光は、その場の全ての人を威圧し、その場の全ての空気を凍らせる力を持ち続けていた。
その瞳が、神殿前に立っている飛王を捉えた。
飛王の技量を推し量るかのように見つめる。
「民を逃がして己一人残ったとは、なかなか度胸のある男だな」
周りの護衛兵が慌てたように取り囲む。
ゆっくりと近づきながら、飛王の手元の剣を指差す。
「それが、
「ええ、これが
「
「いいえ! 私はそうは思いません。もうこの世には、充分な知恵があると思っています。その知恵を正しく使えるのか、自分達の首を絞めるような使い方をするのかと言うことを、我々がきちんと考えないといけないだけです」
「戦を経験したこともない小僧に何がわかる。お前の語るような世界は単なる理想論に過ぎない。戦の無い世の中にしたい? そんなことは余が一番思っている。だがな、よく周りを見回してみろ。あっちでもこっちでも戦ってばかりだ。みんな自分たちの利益のために、復讐のために。だから、もうこれ以上戦わないようにするためには、この世界を一つにするしかない。敵とか味方で無く、一つにな」
その言葉に、飛王の表情が変わった。
もしかしたら、
「余はこの国を一つにしたい。そうしなければ、また争いが起こってしまう。そなたの言うように、お互いに歩み寄れれば良いとは思う。でもそれは夢物語だ。実際の世の中は、もう古に争い始めてしまったのだ。お互いにお互いを傷つけ合い、長い年月を積み重ね、その感情は既に修復不可能なところにまで来ている。昨日の敵を明日から愛せるほど、人間は単純では無い」
「分かります! でも、どこかで終わらせなければ、私達人間はそれこそ滅んでしまいます!」
飛王の必死の言葉を、
「戦ったことの無い小僧の言葉に、重みは無いわ。失ったことの無い者に、失い続けた人の苦しみや悲しみはわかるまい」
流石の飛王も瞳に怒りが宿る。
失ったことが無いなどと……父を、仲間を、片割れを……俺だって失っている。
でも、それでも俺の悲しみ、苦しみは俺の中で終わらせなければ!
俺は俺の子どもに、同じ苦しみ悲しみを引き継ぎたくない!
飛王は呼吸を整えると、静かに
「私の差し上げたからくり箱はどうされましたか?」
「
「ああ、
飛王はほっとしたように頷いた。
飛翔が手掛かりを探して立ち寄る可能性が高い。
見つけてくれる可能性も高いはず。
飛王の様子に頓着無く、
「そなたには分かるまいが、争いを終わらせるためには、大きな犠牲が払われるものだ。だから、その犠牲を少しでも減らすためには、圧倒的な力を見せつけて、戦意を喪失させるしか方法が無い。だから、他国を凌駕する武力を! 有無を言わせず従ってもらえるような力を持つ必要があるのだ。さあ、泉を余に託せ!」
その時、大きく地面が揺れ動いた。
みんな慌ててしゃがみ込む。
「大きな地震だ!」
崩れるような被害は無かったが、みなが初めて経験するような不気味な揺れ方だった。
飛王は
「
その時、今度は地鳴りのようなくぐもった音が響いた。
人々の表情にますます恐怖の色が出始める。
飛王は構わず続けた。
「それに、もし一つになったとしても、恐らくそれは直ぐに崩れると思います。なぜなら、人は新しいことを求める
飛王は
そしてふわっと笑った。
「あなたの願いは美しいけれど、不可能だ」
その瞳に迷いが現れる。
「私は、一つにすることは望みません。それよりも、違うこと、変化すること、それをお互いに受け入れられるような世の中になって欲しい。自分と違うものを恐れ、排除すること、それが争いを産むからです。だから、違うものをお互いに認めあえるようになれたら、争いは、少しずつ減るのではないかと思うんです。未来の子ども達の意識の中に、違う物を、違う事を、恐れ無い心が広がってくれたら、受け入れる温かい心が増えてくれたら、いつの日か、平和な世の中が訪れるかもしれない……俺は、俺の子どもたちには、そんな幸せな人生を送ってほしいんです」
飛王は
「でも恐れが全て悪いわけでも無いんです。なぜなら、恐れは防衛本能だから。恐れるからこそ守れる時もあるはずです。この地震の揺れに恐れを抱かない人はいないと思います。どうしたら被害を最小限に抑えられるのか、それは考えないといけないことです。だから正しく恐れられるように、無用な恐れを抱かず、本当に恐れなければならないことだけ恐れることができるように。俺はそんな世の中になって欲しいと思います」
その言葉が終わると同時に、先ほどよりも大きな揺れが起こった。
揺れはだんだんと激しくなっていく。
遂に、
「何かが起こっているようですね。私たち人間の力を超えた何か。自然の脅威に立ち向かうのは難しいです。だから、あなたも早く逃げた方がいいです」
逃げ出す兵を気にもせず、
飛王の言葉が聞こえてもなお、剣の威力に魅入られたかのように、
飛王は寸でのところで身をかわし、
そしてそのまま神殿へ駈け込む。
地響きがビリビリと地を揺らした。
その揺れが、
転げた
「
素早く背を向け、剣を抱えたまま井戸に飛び込んだ。
井戸の水が盛り上がる。
飛王を迎えに来たかのように……
瞬く間に飛王を包み井戸の底へと引きずり込んだ。
その瞬間、轟音と共に神殿の屋根が井戸の上へと頽れた。
宝燐山から爆炎が上がり、火砕流が滑り落ちる。
恐るべき速度で、
慌てて逃げる人々。
そこに、
神殿の屋根の下、道半ばの思いを秘めたまま、土へと還っていった。
それはまるで、泉の真実を隠すかのようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます