第三章 飛王の即位

第35話 飛王の疑念

 聖杜せいとの神殿。

 飛翔ひしょうが井戸へ落ちた時に遡る。


 音も無く沸き上がった水が飛翔を飲み込んだ瞬間を、敵である真成しんせいも、暗殺部隊ですらも見つめて、一瞬神殿の中の全ての動きが止まった。



飛翔ひしょうー!」

 飛王ひおうの悲痛な叫びだけが、神殿に響く。


 


 その時、ドゥオン! という大きな音をたてて、神殿の扉がこじ開けられた。


 同時に、瑠月りゅうげつ率いる近衛兵がなだれ込んで来た。

 真成しんせい率いる暗殺集団と死闘を繰り広げる。


「飛王様、遅くなりました!」


 駆けつける瑠月に、飛王が叫んだ。

「飛翔が水の中に!」


「なんと!」

 慌てて飛び込もうとするのを、飛王が抑える。

「いや、恐らく……」


 飛王の悲し気な表情を見た瑠月は、無言のまま飛王の腕を引っ張って外へ連れ出した。


 天空国チャンコンの暗殺部隊は精鋭ぞろいであったが、流石に聖杜の近衛兵の圧倒的な数に追い詰められた。隠密部隊である彼らに残された手段は、自死。

 もう逃げられないと悟ると、自ら舌を噛んで絶命した。


 残るは真成しんせいただ一人。

 元々神官の真成しんせいは何の武力も無く、瞬く間に捕縛された。


 禊祭みそぎさい天空国チャンコンの大量の血が流れて幕を閉じたのだった。



 

 議事堂の控えの間まで戻って来た飛王はドカッと椅子に崩れ座ると、ぽつりと瑠月りゅうげつに言った。


禊祭みぞぎさいが行われる前にこんなことになってしまって……俺はまだ王では無いのだろうか?」


「恐れながら私にはわかりません」


 飛王はこの不愛想で忖度を知らない親友を見つめた。

 

 飛王と飛翔の幼馴染であり、この若さで近衛隊長に任命され、今は片時も離れずに二人の警護を引き受けてくれている。

 青い髪を持つ聖杜の民の中でも、一番色の薄い、青グレーに近い髪色を持つ瑠月は、昔から冷静沈着で何事にも動じない。

 その切れ長の美しい目は、全てを見通すような鋭い光を帯びていた。

 こんな非常事態の時でさえ、今日の襲撃すらも想定内とでもいうように、淡々と後始末の指示をしている。


「飛翔は、井戸の水に飲まれていった。泳ぎが得意な飛翔が、溺死するはずは無い。しかもあの時、井戸の水が自ら飛翔を迎えに来たかのように、溢れ飲み込んだんだ。これはどういうことだろう?」


 飛王は自問しているように呟いているが、ちゃんと瑠月が聞いていることを意識している。

 これもいつもの二人。

 

「飛翔は、もしかしたら、伝説どおりに時の輪をくぐり抜けられたのかもしれない」


「そうかもしれませんし、ちがうかもしれません」


「はあ~相変わらず瑠月は事実しか言ってくれないな。少しは希望の持てるような言葉を言ってくれてもいいじゃないか」


「そう言われましても、私にはわかりかねます」


「そうだよな……悪かった」

「でも、もし飛翔様が時の輪をくぐり抜けられたということであれば、星光石の指輪ルス・エストレアは、無事逃げおおせたことになります。飛翔様が受け入れられたとすれば、飛王様の『ティアル・ナ・エストレア』継承の儀も、王位継承の儀も滞りなく行われたことになると思いますが」


 理論的な瑠月の言葉には、妙に説得力と安心感があった。

 飛王は少しだけ希望を見出して顔をあげたが、また新たな疑問を口にした。


「瑠月、碑文には、星砕剣ロアル・エスパーダは、泉を独占の危機から救う神器と記されているよな。でもあの時、この剣は何の反応もしなかった。なんの力も持たなかったんだ。それは俺がまだ王で無いからなのか、それとも、この剣の役目は他にあるからなのか……」


「なるほど、それは判断に迷われますね。ならば、玉座に座ってみてはいかがですか? 何かわかるかもしれませんよ」


「そっか。そうだな」



 花崗岩で建てられた王宮内は、本来であればお祭り厶ードで溢れているはずだった。

 それが先ほどの騒動のせいで、空気が一変した。

 あちらこちらで慌てたような大声が飛び交い、殺気立った雰囲気が漂っている。


 普段のんびりと過ごしていて、こんな事件は皆無の聖杜の人々にとって、青天の霹靂であった。

 いや、二回目。

 彰徳王しょうとくおうの毒殺。


 聖杜の行く手に暗雲がたちこめてきたことは、誰の目にも明らかだった。


 みんなを安心させなければ……


 飛王は覚悟を決めた。


 飛王がひょいと立ち上がると、瑠月は飛王の着替えの準備をするよう係の者に言った。血の付いた服では、即位式に臨めない。


「瑠月! グリフィス先生とリフィアの身は大丈夫か?」


 飛王は急に焦ったように瑠月を見た。


「大丈夫です。禊祭が始まる前に、既に近衛兵に警護に行かせてありましたので」

「ありがとう。二人の立場は微妙だからな。無事で良かった」


「そうですね……スパイ容疑で疑われる可能性が高いですからね」

「流石、瑠月! 頼りにしているぜ!」

「恐れ入ります」


 瑠月は礼儀正しく礼をしたが、ふと飛王の顔を盗み見た。

 

 濃群青の髪に半分隠れている琥珀色の瞳が、深く影を帯びている。

 普段通りの口調を貫いているが、飛翔が居なくなったことには相当ショックを受けているようだ。

 もちろん、瑠月自身も寂しかった。


 飛翔……無事でいてくれ!


 二人の思いは同じだった。







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