龍の能力

「龍神さん、龍神さん」

「何でぇ、嬢ちゃん」

「龍神さんは、変身とか出来ますか?」

「……どうしたんでぇ、いきなり」

「いえ、漫画とかの龍って、なんか、変身……変化? とかするらしいんですよ。だったら、自称高位の龍である龍神さんも、出来るんじゃないかと思いまして」

「待て嬢ちゃん。自称ってとこに含みを感じるんだが」


 顔をのぞき込むように彼が動いたので、ふいっと目を逸らす。


「……まぁいっか」


 いいんだ。


「しばらくやってねぇが、多分出来ると思うぜ。嬢ちゃん、リクエストとかあるかい?」

「え? いえ、特には……」

「強いて! 強いて!」

「えぇ? 強いて言うなら……イルカ、とか、見てみたいですね」

「よし、イルカな」


 龍神さんは呟くと、青い鱗をぞわりと動かした。ぐるりと体が回り、静かな水槽に渦が生まれる。白い泡に青い体と鬼の目が隠れて消えた。瞬間、不意に沸き上がった不安に、私は立ち上がって、アクリルガラスに手を当てる。


 泡が消える。もし、これが消えたとき、龍神さんすらいなくなっていたら、私はこれからどうやって生きていけばいいんだろう。


 だが、そんな不安は、ピュイという可愛らしい鳴き声で一掃された。

 目を上げると、青の中に、一頭の、優しい目をした生き物が泳いでいた。

 想像よりも大きい流線型の体。灰色の、たくましい筋肉。


 バンドウイルカだ。


「わぁ……」


 思わず感嘆のため息を漏らす私の前で、龍神さんが化けたイルカは、くるくると自由に水中を泳ぎ回り、たった一人の観客の為だけに、ショーを見せた。


「すごい……! すごいです龍神さん!」


 歓声を上げる私の前で、調子に乗ったバンドウイルカはキレのいいスピンを見せてポーズを取り、高らかに宣言した。


「じゃあ次行きます! はい、亀! エイ! 水草!」

「わぁっ、リュウグウノオトヒメノモトドリノキリハズシ!」

「…………何て?」


 それから、龍神さんは様々な生き物を私に見せてくれた。彼の化ける生き物は、皆一人で、だが、皆楽しそうだった。珍しく笑う私を見て、変化の度、泡に浮かぶ鬼の目は、嬉しそうに輝いていた。


 ──そして、私は良心の呵責から逃げるので精一杯だった。


 だって、あの悪夢を私は覚えている。忘れたフリをしてしまっているけれど、そして、本当は忘れるはずなのだろうけど、私はオカシイから覚えている。

 両親が死んだ夜、どういうわけかここへ来てしまった私を、龍神さんが優しく守ってくれたことも、生きてほしいと体に帰してくれたことも、全部、全部覚えている。


 だから、私は申し訳ない。なぜなら、馬鹿な私は、その願いを破ることばかり考えてしまうから。


 ごめんなさい、龍神さん。私、もう……。


「どうした? 嬢ちゃん」


 顔を上げると、目の前に人魚がいた。青い鱗の下半身に、美しいブロンドの髪を持つ彼女は、しかしその美貌に似合わぬ声で、私を不安げに気遣う。


「大丈夫か? やっぱり、人外は気持ち悪いか?」


 ……あぁ、何て嘘の下手な。おどけたように笑う顔が、ひきつっているなんて最悪だ。


「いいえ」


 首を振って、私は彼に見本を見せる。


「人外だろうと何だろうと、気持ち悪くなんてありませんよ」


 ──それが、あなたであるならば。


「……そうか」


 納得していない声で頷いて、目の前の美女はくるりと回転すると、今度は人間の男性に変じた。


「でも、しんどかったらすぐ言えよ。嬢ちゃんは何かと頑張りすぎる」


 その声が、その目が、こちらを真に気遣うものだったから、私は不意に泣きそうになって、唇を噛んだ。


「はい。ありがとうございます」


 きっと、今の私、龍神さんより酷い顔してる。

 何だか気まずくて、私はそっと視線を下に落とした。


 そして、そこにあるものを目にした瞬間、涙も何もかもが引っ込んだ。


 今度は、明確な気まずさをもって、私は素早く視線を横へ逸らす。

 どうしたどうしたと、心配げに声を上げる龍神さんを押し留めて、私は彼に声をかけた。


「龍神さん、龍神さん」

「何でぇ、嬢ちゃん」

「その……女子高生を気遣って、見目麗しい男に変化してくださったのは有り難いのですが、真っ裸は止めてください」


 あ? と龍神さんが素っ頓狂な声を上げて沈黙した。


 数秒そのまま経過する。


「あの、その、何て言うか……ごめんな」

「いえ、事故なので……」


 苦しげに謝る彼に、私はそう返すので精一杯だった。

 絶望的な気分は、あまり嬉しくない方法でぬぐい去られていた。

 だが、そのことが、私には妙に嬉しかった。

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