龍のいる水族館

水森紫季

 大通りを川沿いに北へ。アジサイの咲く路地を抜けて、薄暗いコンビニの陰を曲がったら、小さな公園を突っ切る。すると、茶色く錆びたフェンスの隙間から、赤くて丸い郵便ポストと灰色の四角いビルの間に、青黒いガラスの建物が見えるだろう。


 水族館。


 かつてそう呼ばれ、親しまれていたこの建物が、今もひっそり営業していることは、この街のほとんどの人間の記憶から消えて久しい。喧噪のないレジャー施設は、まるで時が止まったかのように、ただそこに存在し、これまでも、これからも、きっと、私が死んで、何千回何万回生まれ変わろうとも、永遠に在り続ける。


 現実から少しズレた、悠久の時を、そこで刻み続ける。


 ローファーでタカタカ地面を蹴って、『受付』と書かれた札の下がったガラスの奥に、小さな硬貨を差し込む。すると、曇りガラスの奥に凝る闇がもぞっと動いて、券を差し出してくれた。


『小人 一人 100●』


 書かれた情報を確認して、頭を少し下げると、闇が再びもぞっと動く。どうやら会釈を返してくれたらしい。いつも通り礼儀正しいヒトだ。まあ、そうでなければ、受付なんて務まらないだろうが。


 改札に似た機械に券を通して、照明の絞られた館内に足を踏み入れる。たくさんの水棲生物が泳ぐ水槽を横目に見ながら、惚けたようにそれを眺めるほんの少しの人間の間を通って、私はお目当ての場所へいそいそと足を運ぶ。

 どこからか聞こえる妖しい歌を無視し、水槽の向こうから愛想を振りまく生き物から目を逸らし、たまに出会う常連さんと目が合わないよう下を見ながら、走らない程度の早足で、私は建物の真ん中へ向かう。


 不意に、全ての音が消えた。


 この建物で一番大きな部屋。プレートには、『大水槽』と書かれている。深い青一色のその部屋に、私は引き寄せられるように入った。


 天井まで届く巨大な水槽。そして、それいっぱいにとぐろを巻く、青く美しい鱗を持つ蛇の体。サメやシャチですら丸飲みに出来そうな大きな口と、鰐を思わせる顔つき。その額にそそり立つ、水棲生物にはあり得ない、鹿のような角。

 一般に、鬼のそれとされる瞳が、ゆっくりとこちらを向き、笑むように小さく揺らいだ。白い、白い泡が、その口から漏れる。


「よぉ、嬢ちゃん。また読書かい? お疲れさん」


 地の底から響くような声。優しくて温かい、この世の真理を教える声。それを聞いてやっと、私の肩から力が抜けた。


「こんにちは、龍神さん。そうですけど、お疲れではないですよ」


 部屋の真ん中に置かれたソファに座って、私は目の前の生き物に話しかける。

 応えて、龍と呼ばれる伝説の生き物が、巨大な水槽の中で、楽しげに笑った。弾みで震えるアクリルガラスの音を聞きながら、私は学校鞄を開け、本を取り出して読み始める。

 龍は再び眠りについた。きっと、呼ぶまで起きないだろう。



「龍神さん、龍神さん」

「何でぇ、嬢ちゃん」

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