カモメが飛ぶ日
Tohna
第一章 落日のカモメ
第1話 最終節-1
20xx年11月29日。
昨晩から降り続いた雨は朝には上り、すっかり道路からは水たまりも消え、空は晩秋の少し薄い蒼がどこまでも透き通って見えていた。
「さあ、泣いても笑ってもこれが最終節だ。もちろんオレはみんなに笑って終わって欲しい! 戦術の確認はすんだな?」
ガビアータ幕張の監督代行、高橋実は試合前のブリーフィングで檄を飛ばしていた。
サッカーのプロリーグ1部である
「今日は札幌の事は考えず、勝つことだけを考えろ! いいな⁉︎」
千葉県千葉市をフランチャイズとするガビアータ幕張は、昨節までなんとか勝数8、引分数7、負数18の勝ち点合計31、得失点差が-23の15位で当節を勝利を飾ることで来期の1部残留を決めることができる大一番を迎えていた。
勝ち点差2でガビアータを追う16位のオッソ札幌が3点差以上で勝ち、負ければ当然ながら、ガビアータが引き分けると勝ち点は32で並ぶ。
そして得失点差では-23となり、オッソが1点上回るためにガビアータは2部の3位チームとの入れ替え戦に回る可能性がある。
現実的には、オッソが3点差で勝つことは難しいように思えた。
なにしろ、オッソの今日の対戦相手は今季の優勝を当節に掛けているアンギーラ浜松だったからだ。
アンギーラ浜松は爆発的な得点力を持つ攻撃陣が今季の成績を支えていて、中でもベンハミン・ヘススは今季22得点を挙げていて、ほぼ得点王を手中にしていた。
今季からスペイン二部リーグの離島のチーム、レアル・カナリエンから来た、「
また、3人の日本代表選手を擁しており、戦力は明らかにアンギーラに分があるように見える。
サッカーは戦力の優劣だけで勝敗が決するようなそんな簡単なスポーツではないことに論を持たぬが、
一方、ホームのガビアータの最終節の相手はリーグ最下位の群馬カルバロス。
カルバロスとの今季のアウェーでの対戦では、3対0で完勝している。
―― 少なくともガビアータは引き分けるだろうし、オッソはきっとアンギーラには勝てない――
戦前の評価はそのように固まっていたが事情は簡単ではない。
監督代行の高橋が熱を帯びるほど、選手たちの反応は冷めていく。
なぜなら、今年度の降格争いは熾烈を極めており、16位のオッソ札幌と18位のカルバロスとの勝ち点の差はなんと1点という異常事態で闘志よりも緊張が勝っているのだ。
もっとも17位のセカラシア福岡は昨日土曜日の試合で負け、降格が決まっていた。
もし、この試合にカルバロスが勝てば、カルバロスは自動降格を免れ、JSL-2の3位チームとのプレーオフに進める可能性がまだあった。
得失点差ではカルバロスの方が上だから、下手をすると当節でガビアータの今季は終了という事だ。
一方、ゴール裏に陣取る「カモメボーイズ」と名乗るガビアータのサポーター達は、マスコミの戦前評価を全く信用していなかった。
なぜなら、過去に受けた仕打ち――つまり大切なゲームで勝てそうな試合を簡単に落とす黒歴史を繰り返してきた事を忘れることはなかったからだ。
当節はホームスタジアムである「
昨晩の雨で適度に保湿されたピッチの洋芝は青く、今日の大切な一戦のためにグラウンドキーパーによってやや短めに刈られ、スタンドから見るときれいなチェック柄になっている。
幕張の浜の一部の調整地に2010年ごろ建設されたこの近代的なサッカー専用スタジアムにはおよそ4万人を収容することができる。
その二年前、千葉市が空き地の目立つ幕張新都心埋め立て地を何とかしようとして地元企業の川島製鉄に「幕張サッカータウン」構想を持ち掛けたのがきっかけだった。
それまでは稲毛区天台にある*県営総合スポーツセンターの第一陸上競技場で運営してきたが、2004年に招聘したアイルランド人監督の名将マクドゥーエルがチーム最高順位であるリーグ2位まで押し上げた事で、チームは創設時以上の人気に火がついた。
「サッカー専用スタジアム」の必要性をマクドゥーエルは説いて回った。
ピッチから観客席が遠く試合の一体感に欠ける天台陸上競技場をマクドゥーエルは嫌ったのだ。
また、天台のスタンドの座席数は9700、リーグ規定を満たしていなかったが、芝生席となっているバックスタンドに追加の工事で座席を約5000隻増設し基準を満たす計画書を提出することで使用が暫定的に許されてきた。
ところが県知事が変わり公約は破棄され、リーグからの警告を受け始めたころでもあったのだ。
マクドゥーエルのおかげで客の入りも絶好調で収益の面でも目途が立ち、その人気の立役者がそこまでいうなら、という事で川島製鉄が保有権および運営権を得ることで建設が承認された。
ところがである。
建設の調印が終わってわずか半年後、アイルランド代表監督を務めたこともあるマクドゥーエルは、その後まもなく監督人事でWカップドイツ大会で惨敗を喫した日本代表監督として協会に引き抜かれた。
当時のフロントは慰留もせず、むしろ協会に目を付けられたくないと、むしろ積極的にマクドゥーエルを差し出した疑惑すら出てきた。
マクドゥーエルは、自分の子飼いのアイルランド人ヘッドコーチを後継者に据えて、自分の路線を引き継がせたが所詮本物のカリスマ性には敵わない。
チームはそこから下降線を描き、成績は低空飛行を続け、サポーター数も減り続け、4年後に完成した威容を誇るスタジアムには相応しくない客の入りとなってしまったのだ。
そして今日の大一番である。
不人気のチームにあって、それでも今日のこの試合にはかつてないほどのサポーターがスタジアムに押しかけているように見えた。
しかし、7割方埋まった観客席を一見するとカルバロスの緑のゲームシャツに身を包んだサポーターが2/3を占めている。ホームゲームの大一番に黄土色のチームカラーのユニフォームでスタジアムが埋まらない。
正に無様であった。
その原因は、マクドゥーエルのその後にある。
マクドゥーエル率いる日本代表は、アジア大会を優勝し、これからと言う時に彼は心筋梗塞に倒れ一命をとりとめたが帰国を余儀なくされた。
残ったのは日本蹴球協会と川島製鉄に対するガビアータサポーターの怨讐の念、そしてこの立派すぎるスタジアムだけであった。
*実際の県営総合スポーツセンターの第一陸上競技場は照明塔がなく、大型のスコアボードも設置されていないためJリーグの基準をもともと満たしていません。
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