第一話 マキアとトール


 メイデーア。

 それは、誰かが最初に叫んだ、この世界の名前のこと。


 南の大国ルスキア王国。

 その東端に位置するデリアフィールドのヒース荒野ですら、朝焼けはとてもれいだ。

 この日、早朝から魔法の勉強をしていた私は、珍しく魔術書をほったらかしにして窓辺からぼんやりと外を眺めていた。

 昨日、妙な世界の夢を見たの。

 女友だちに遠慮して、好きな男の子に告白すらできなかった、意気地なしでえない女の子の夢。

「バカな子。好きな男にはれ薬でも盛って、ライバルから奪ってやりゃよかったのに。私だったらそうするわね」

 夢の中の〝知らない誰か〟だけど、本当に御愁傷様。最後は突然出てきた謎の男にみんな殺されるバッドエンド超展開だし、何かもう、いかにも夢って感じ。

「マキア、起きているかい」

「あ、はい。お父様」

 部屋をノックして顔をのぞかせたのは、ワイン色の髪とあごひげが渋い紳士だ。

 父、エリオット・オディリールである。

「今日はお前の十一歳の誕生日だ。ちょうど市場に行こうと思うが、プレゼントも一緒に買うかね」

「もちろん! そのために早起きしていたようなものです」

 私は窓辺の出っ張りから飛び降りて、壁に立てかけた鏡の前に立つと、それなりにワクワクしながら支度を始める。

 私の名前は、マキア・オディリール。今日で十一歳の、小さな魔女だ。

 じりのつったアーモンド型の目元は、ぱっちり二重と長いまつに縁取られ、一族特有の〝海色〟の瞳を大事そうに抱いている。

 リボンで飾った色の長い髪。揺れるとつやが綺麗に波打ち、お母様はこの髪をベルベットのようだと言う。

 我ながらとんでもない美少女だけど、真顔だとけんにシワがよってどこかふてぶてしい。

「ニッ」

 なのでわざと微笑んで見せると、途端に悪巧みしてそうなニヒルな笑顔になる。

 口の端を指でり上げ、無理やり大きな笑顔を作ると、真っ白で並びの綺麗な歯が作り物のようで怖いだけ。毎日お祖母ばあ様特製の歯磨き粉で歯を磨いているせいね。

 おかげで誰もがこう言う。

 これは将来、オディリール家らしい極悪の魔女になるぞって。

「よし。準備完了」

 えん色のドレスの上から黒い薄手のローブを羽織って、右手の中指にはめている白銀の指輪を確認する。

 そして部屋を飛び出し、屋敷のせん階段を駆け降りる。玄関にはお母様がいた。

「マキア、忘れ物はない? 迷子になったらフレディを呼ぶのよ。可愛すぎて誘拐されそうになったら、思い切りつねってやりなさい」

「はい。火傷やけどするまでつねってやります!」

 お母様は懐からチェリー色のリップを取り出し、私の小さな唇にしっかり塗る。これは外出時のおまじない。

 そして頬にキスをして、耳元で囁いた。

「いいこと、お誕生日だからって、お父様に無茶を言ってはいけません。だけど本当に欲しいものがあるのなら、しっかり交渉なさい。良い魔女とは欲しいものを必ず手に入れる女のことよ。それで私もお父様を手に入れたの」

「いーなー。私もお父様が欲しいです」

「ダメよ。お父様はお母様のだん様だもの。でもね、今朝のカード占いでは、マキアが欲しいものを見つけると出たから、あなたが何を持って帰るのか楽しみに待っているわ」

 欲しいもの、か……

 馬車に乗り、どこまでも続く広大な荒野を見渡しながら、それが何なのか考えていた。

 この荒野を〝デリアフィールド〟という。荒野の真ん中にポツンと建つ、やりのようなとんがり屋根のお屋敷こそ、我がオディリール家の住まいだ。

 オディリール家はデリアフィールドを任されている男爵家であり、由緒正しき魔術師の家柄だ。私はその一人娘。

 父も母も、魔術師であり魔女である。

 私もまた、十六歳になる年に魔法学校に入学し、卒業したらしばらく王宮魔術師として王宮で働く。そしてゆくゆくはお父様の後を継ぎ〝魔女男爵バロネス〟になるだろう。

「マキアは、何が欲しいかな」

「新しいマンドラゴラの苗が欲しいです、お父様。あと、上質な朝焼けのしずくにじ蜘蛛ぐもの糸と、チョコレートとキャラメルと」

 足をブラブラさせ指折り数えるのは、ここ最近練習している魔法薬の材料と、大好きな甘いお菓子。お父様は困ったように笑い、首を傾げた。

「そんなものは誕生日でなくとも買ってあげよう。マキアは本当に魔法の勉強が好きだね。私がマキアの年の頃は、魔法の勉強なんて嫌で仕方がなかったというのに……。今朝も早起きして勉強してたろう?」

「だって魔法は最高です! やればやるだけ、できるようになるんだもの。魔法学校にも絶対落ちたくないから、今から頑張ってるんです」

「アッハッハ。なぜ今から受験の心配をしているのだろうね。マキアほどの才能があったら、心配しなくとも一発で合格できる」

「うーん。わからないけど不安なんです」

 なぜだろう。幼い頃から、私は魔法学校の受験に対し、妙な不安を抱いていた。

 昨日の夢で見た冴えない女の子も、どこかの学校の受験を心配していたしね。

 あれ、多分私の深層心理を表しているわ。

「マキアには特別な才能が備わっている。我が家はかの有名な〈くれないの魔女〉のまつえいであるが、マキアはお祖母様の見立て通り、その魔女の力を色濃く受け継いでいるようだ。だからこそ、時には勉強から離れ、本当に欲しいものを強請ねだってもいいんだよ。かの魔女は、欲しいものを何としてでも手に入れたというからね」

「本当に欲しいもの……うーん」

 腕を組んで、小さな体をくねらせて考える。

 お父様はこう言うけれど、今の私は魔法に夢中だし、お人形も、ドレスも靴も、もう十分に持っている。

 だけど、本当は一つだけ、願いごとがある。

 物心ついた頃から、抱いていた〝誰かに会いたい〟という謎の渇望。

 その人がどこにいるのか、誰なのか、なぜ会いたいのかもわからない。

 ど田舎どころではないへんな場所に住んでいて、兄弟もいないから、私はただ近い年頃のお友だちが欲しいのかもしれない。



 さて。私とお父様がやってきたのは、馬車で3時間かかる港町カルテッドだ。

 カルテッドは表向き華やかな街だが、路地裏に入ると各国の〝よろしくない〟品物が手に入る闇市があり、お父様はよくここで魔術に使う材料を揃える。

 十一歳の子供が誕生日に来るような場所ではないけれど、特に怖くはない。

「これはこれはオディリールきよう。例のものは手に入りましたよ。ささ、こちらへ」

 ようたしのお店でお父様は何かを買うようだった。

 店主がお父様を奥へと招く。お父様は私に、店の中を見ているようにと言いつけた。

 世界のこつとう品を扱う店だ。いわく付きのものも多く、古書が「アケテ、アケテ」とささやいていたけれど、

「やかましいわね。開けたらどうせ、私のこと引きり込むんでしょ」

 私、知ってる。こういうの開けちゃダメなのよ。

 という訳で、本に重たい置物を載せたりしていたら、窓越しに馬車を見つけた。

 ボロをまとった一人の少年が、その馬車から黙々と積荷を降ろしている。

「あの子……指輪なしで魔法を使ってる」

 思わず窓にへばりつく。私より少し年上かしら……

 幾つもの木箱を重ね、軽々と持ち上げているように見えるが、実は荷箱に浮遊魔法をかけている。つえじゆもんもなく、ただ自らの感覚だけで。

すごい、凄すぎるわ。浮遊魔法って難しいのに!」

 その男の子が気になって店を飛び出た。

 ボサボサにのびた黒髪。ひどくせた体。そしてその髪の間から見えるひとみは、印象的な〝すみれ色〟で、神秘的な光を抱いている。

 魔術師の世界では、最高位と言われている瞳の色だ。

「ねえ。何をしているの」

 話しかけてみると、その子は横目で私を見ただけで、再び視線を落として作業にいそしみ、面倒臭そうに答えた。

「何って見たらわかるだろ。積荷を降ろしてるんですよ、貴族のお嬢様」

 やけに嫌味ったらしく聞こえたけど聞き間違いじゃなさそうだわ。

「魔法を使って荷物を浮かせてるんでしょう? 私さっき、見たわ」

「…………」

 その子は作業の手を止め、にらむように私を見下ろす。

 長めの前髪から透けて見えるその瞳は、やはり紫水晶のように美しい。

「私、これでも魔女なのよ。それで、あなたの魔法が面白いなって」

「面白い……?」

 その子は目元に嫌悪感をにじませ、フッと鼻で笑う。

「奴隷仕事を見ているのが面白いなんて、さすがはお金持ちのお嬢様だ。見た目の通り、意地が悪い」

「な……っ」

 こっちは純粋に褒めようと思っただけなのに。

 思わずムスッとしてしまい、腕を組んでそっぽを向く。

「じゃあ言い直すわ。凄いわねって言いたかったのよ。呪文も杖も指輪もなしで魔法が使えるなんて天才だから。それに私は意地が悪いんじゃなくて、意地が悪く見えるだけ」

 少年は、私の話を聞いているのかいないのか、荷箱を降ろす仕事を再開する。

 チャリ……チャリ……

 少年の足元から金属音がした。彼の両足は、歩幅しかない鎖でつながれている。

「ねえ、その足の鎖……」

「ああ。これが奴隷のあかしですよ」

 私が眉間に深いシワを刻んでいると、少年は声を上げて軽快に笑った。

「あははっ。鎖で繋がれた奴隷を見たのは初めてですか? なーんでこんな世間知らずのお嬢様が、闇市なんかに来てるんだか」

 最後の荷箱を降ろしてその上に腰掛けると、彼は大人びた表情で私の顔を覗き込む。

「なあお嬢様。この世界には親の借金のカタに売られたり、誘拐されて奴隷になる子が大勢いるのが現状ですよ。俺は西のフレジール皇国出身で、親に売られてこの国に連れて来られた。ま、あんたにはそれがどういうことだか、わからないでしょうがね」

 ……わかるわよ。それがひどいことだってくらい。

 カルテッドで禁止されているはずの奴隷売買が横行しているという話は、聞いたことがあった。特に異国の子供を、この国の大人が買うことがあるんだとか。

「足、痛いでしょう、凄くれてるわ」

「そりゃあまあ。ずっと外してないですから。足が腐り落ちるのも時間の問題ですね」

「なら……私が鎖を切ってあげる」

 私はその場にしゃがんで、少年の両足を縛る鎖を握り締めた。

「メル・ビス・マキア───鉄の鎖は溶け落ちる」

 第一呪文と第二呪文を丁寧に唱えると、指輪が淡く光り、握った場所から鎖が赤く熱を帯びてドロドロと溶ける。これは私の得意な【火】属性の熱魔法であり、呪文で指定した鎖以外にその熱は伝わらない。

 ひようひようとしていた奴隷少年も、これにはびっくり。鎖だけがれいに溶け落ち、足には何の火傷もないことに目を丸くさせていた。

 溶けた鉄には、オディリール家特製の氷塩でもふりかけておきましょう。

「どう? 魔法って凄いでしょう?」

 得意げに顔を上げるも、少年の表情は硬かった。

 さっきまであんなに生意気な態度だったのに、今は何かを恐れているかのようだ。

「小僧! 積荷は運び終わったのか!」

 怒声が聞こえ、少年は私を隠すように前に立つ。

 やがてここへやってきたのは、頭にターバンを巻いたガタイのいい男だった。

 いかにもな海賊風情で、この少年の主人らしい。すぐに少年のあしかせが外れていることに気がつき、「ああっ!?」と野太い声をあげる。

「どういうことだ!? てめえ逃げようとしやがったな!」

 男は少年の顔を、その大きなこぶしで殴る。体の軽い少年は、そのまま背後の荷箱に体を激しく打ち付け、き込んだ。

「な、何するの! その子の鎖を勝手に溶かしたのは私よ!」

 恐れもあったが、私は男の前に飛び出し両手を広げて睨み上げた。

「あ? なんだこのキーキー声の生意気なガキ」

 しかしあまりに体格差があったので、胸ぐらをつかまれて宙に持ち上げられてしまう。

「あああ、下ろして下ろして!」

「ほほう。こりゃまだまだ乳臭いガキだが、とんでもねえ上玉だ。どこのガキだか知らねーが高値で売れるぞ」

「親分、その娘は貴族ですよ! 手を出してはいけません!」

「うるせえ、俺に指図するな! 貴族の娘がこんなところにいるわけねーだろうが!」

 注意した少年を、今度は思い切りばす。

 少年は痛みで顔をゆがめ、頭や口の端からは血を流していた。

 その時、空から「カアカア」と一羽のカラスが舞い降り、男の頭をくちばしつついた。

 男は悲鳴を上げ、私をブンブンと振ってカラスを追い払おうとする。酔いそう……っ。

「マキア、外にいるのかい? ……おや」

 ここでカラスの鳴き声を聞いたお父様が、店から出てきてくれた。

 カラスはお父様の肩にとまる。あの子はお父様の使い魔、フレディ。

 お父様は男に掴み上げられている私を見て、スッと怖い顔になった。

「オ、オ、オディリールのだん様!?」

 どうやらお父様を知っているようで、男はすっかり青ざめている。

 私は静かに笑みを浮かべ、そろーっと手を伸ばし、男の腕を思い切りつねった。

「痛っ、このクソガキ何してやが……あっつっぅう!」

 私は熱体質を持つ【火】の申し子。私がつねればもれなくそこが火傷やけどするし、この火傷はなかなか治りづらい。

 男はやや焦げ臭い腕を振るって、パッと私を放した。危うく地面にしりもちをつくところだったが、直前に体がわずかに浮き、ワンクッションの後にふわりと下ろされる。

 これは奴隷少年の浮遊魔法だ。彼は必死な顔をして、私にその手をかざしていたから。

 ───うん。決めた。

「お父様! 私、この子が欲しい!」

「え?」

「絶対、絶対、この子が欲しいです! お父様」

 私はお父様に駆け寄って強いまなしで訴えた。私が指差していたのは、奴隷少年。

 流石のお父様も、これにはびっくり。もちろん奴隷少年も、その主人である男も。

「ふむ。奴隷か……うーむ」

 お父様がやっとまともに悩み始めると、ターバンの男が腕を押さえながら首を振る。

「こいつは、こいつはいけません旦那様! いくら旦那様のご要望でもこいつだけは! こいつ目の色が珍しいらしく、すでに買い手が付いておりまして」

 しかし父は男を無視して、奴隷少年の前髪を払い、瞳をのぞき込んでいた。

「菫色の瞳か。魔力を最も宿しやすい、神秘の色だ」

 奴隷少年は何も言わない。

 お父様があごを掴んで顔を引き寄せても、ものじせずじっとお父様を見返している。

「お父様。その子さっき、魔法を使っていたんです。杖も指輪も、第一呪文も持ってないのに。きっと誰にも教えられず、無意識にやってのけたのだと思います。凄い才能だわ!」

「なるほど。マキアの見立ては正しいかもしれないな。たぐまれな魔力の持ち主だ」

「ねえお願いです、お父様。私、いつか王宮魔術師として働き、お金を返します。だから、お誕生日に免じてこの子を買って下さい!」

「十歳のお前が親に借金するつもりかい? アッハハハハハハ!」

 お父様、腹を抱えて爆笑。私は「今日から十一歳です」と訂正。

「では一つ聞いておこう。マキアはこの子を、いったい何に使うんだい?」

「使うだなんてとんでもない。この子に私たちを使んです」

 私はただただ必死だった。誕生日プレゼントが無理なら、ああ言ってこう言ってと、あらゆる強請ねだり方をしようと思っていたのだ。

「まずは門下生に置くべきです。強い魔術師を輩出するのは、オディリール家の復興に繋がる……そうでしょう、お父様?」

 オディリール家は五百年続く魔術の名門だが、衰退の一途を辿たどっていることを私は知っていた。荒野を出て王都に行けば、没落貴族だとか、悪い魔女の一族だとか言われて、さげすまれていることも。

 没落の理由は色々あったが、後継者不足が何より深刻だ。一族復興のためには、数多くの優秀な魔術師を我が家から輩出しなければならないのだった。

 お父様は「ふむ」とあごひげでる。私の意見を、様々な角度から思案していたのだろう。

「なるほど、お手上げだよマキア。では奴隷商よ、この子を買いたいのだが」

「だからこいつはダメだって言ってるでしょう! もう買い手がついてるんですよ!」

「それでも買うわ。私、この子が欲しいの」

 私が強く見上げると、ターバンの男は面倒臭そうに舌打ちした。

 しかし徐々に、男の目元はとろんと溶けて、ぼんやりした顔つきになる。

「で、いくらだね?」

 お父様が後押ししてくれた。

 私たち親子の海色のひとみは、少しばかり魔力を帯びていたかもしれない。



 言い値で買った奴隷少年は、馬車に乗せても警戒心を解くことはなく、無意識だろうが魔力をピリピリとまとっていた。

「知ってるぞ。あんたたちオディリール家の魔術師だろう。人の生皮をいで、血を抜いて、目玉や骨を魔法の材料に使ってるって聞いたことがある。俺のことも、何かの魔法に使うつもりなのか?」

 私とお父様は顔を見合わせた。

 我慢しきれずお父様が噴き出し、ひざたたいて笑う。こう見えて笑い上戸だ。

「アッハッハ。いや~なかなか警戒心の強い子だね。ひねくれ者はこっちの世界じゃ将来有望だが」

 お父様は宝石のついたステッキを、元奴隷少年にシュッと突きつけ、

「いかにも、我々はオディリールの魔術師だ。だからこそ、君が類い稀な強い魔力の持ち主であると、我が娘のマキアが気がついた。今まで何度か、不思議な力を使ったことがあるだろう?」

「……それは」

 少年は目をらしつつ「便利だったから」と答えた。

「それこそが〝魔法〟だ。君には才能がある。ゆえに、それを育てたいと思っている」

「……育てる? 奴隷のこの俺を?」

「もう奴隷じゃないわ。あなたは私と一緒に魔法の勉強をするのよ。私、ずっと同じ年頃の魔術師のお友だちが欲しかったの」

「お友だち?」

 少年はまだまだ解せないという顔をしている。

 そう言えば、私はまだこの少年に大事なことを聞いていない。

「あなた、名前はなんて言うの?」

「俺に名前なんてない。親に売られた時に、一緒に捨ててやりましたよ」

 忘れたわけではないのだろうが、一度捨てた名を私たちに言うつもりも無いらしい。

「じゃあ、そうねえ……ううーん」

 この時、私は腕を組んで体をくねらせながらも、無意識にこの世界の【いにしえの魔法】を、一つ使った。

「なら私が新しく名前をつけてあげる。あなたの名前は〝トール〟よ。絶対にこれがいいと思うわ!」

「…………」

 天啓のように、降ってきたその名前。

 少年は化かされたような顔をしていたけれど、前髪の隙間から見える強い眼差しは、迷いなく私を見つめていたと思う。


 デリアフィールドの屋敷に戻ると、お母様が使い魔の蛇を連れて出迎えてくれた。

 そして「まあまあ」とお母様なりに驚いた顔をしている。

「この子はいったいどうしたの? いけないものを買ってくるとは思ってたけれど、少年を買ってくるなんてびっくり。どういうことか説明して、エリオット」

「マキアが私に借金すると豪語して買ったんだ。名はトール。これもマキアが名付けた」

「まあ、何それ面白い!」

「だろう。君は面白がると思っていたよ、ジュリア」

 両親がイチャイチャし始めたので、私はトールの手を引いておに連れていく。

 お風呂場では使用人のダミアンが掃除をしていた。

「あんれまあ、マキアお嬢様。いったいどうしたんです、この薄汚れた子」

「闇市で奴隷を買ったの」

「奴隷を買った?? これまたオディリール家の魔女らしき悪道でございますなあ。何かのいけにえにするんですかい?」

「違うわ。多分お父様は使用人兼、門下生に置くんじゃないかしら。あ、この子お風呂に入れてあげて。私はお洋服を用意して、傷薬を持って来るから」

 パタパタと忙しく風呂場を出ていく。

「使用人兼、門下生ねえ。お前さん、名前は?」

「……

「歳は?」

「多分、十二」

 あの子はツンケンしていたが、私のつけた名前をちゃんと言ってくれた。

 お風呂から上がると、今度はお母様に髪を切られたのだけれど、

「まあ見て、マキア。あなた意外と面食いだったのねえ」

 どうやらこの子、ボサボサ頭とボロボロの服のせいで気がつかなかったが、目鼻立ちの整ったとんでもない美少年のようだ。髪を短く切りそろえると、切れ長で二重の涼しげな目元が、すごく誰かに似ている気がしたんだけど思い出せない……

せてしまっているけれど、ちゃんと食べて鍛えれば、見目麗しい少年になるでしょう。魔術師に見た目は大事よ。美しいって、それだけで魔力なの」

「……はあ」

 流石のトールも、お母様のどこかなまめかしい雰囲気にまれつつある。

 そう、それこそが魔力というもの。

 お母様はようえんな美女だけれど、そのぼうこそが魔力を帯びており、声を発するだけでも立って歩くだけでも人をほんろうできる。

 トールの髪を切ったあとも、上機嫌で「夕飯はごそうにしましょう」と言いながら、この部屋を出て行った。お母様はこの家の奥様ではあるが、料理が趣味で、これをやってないと暇で仕方がないらしいので、自ら台所に立っているのだった。

「トール、体の傷を治すわ」

 私は、オディリール家特製の魔法薬〝リビトの傷薬〟を持ってきていた。これは柔らかななんこうで、鎖でつながれ青くんでいた足首に塗ると、たちまち傷が治るのだった。

 あとは殴られたり、られたりしてできた傷。身体中にアザや傷があったから。

「どう? もう痛くない?」

「……ええ」

「服も着替えて。うちには男の子がいないから、お父様の子供時代の古着で悪いけど」

 それにしても、髪を整えまともな服を着ただけで、さっきまで奴隷の子だったとは思えない、気品すら漂うたたずまいだ。

 見た目が整っているのと、十二歳の子供にしては大人びた雰囲気のせいだろうか。

「これは、お情けのつもりですか、お嬢様」

 だけどトールは鏡ごしに私を見て、皮肉たっぷりに鼻で笑った。

「俺に情けをかけて、こんな風にれいにしてやって。それで俺が喜んでいると思い込んでいるんだ。俺は感謝の言葉の一つや二つ、言った方がいいんですかね?」

「それは……」

 トールは私のエゴだって言いたいんだろう。

 そう思うのも無理はない。結局、奴隷商からトールを買い取ったことに変わりはなく、トールにしてみれば買い取り手が別の人になっただけの話で。

「確かに……私はあなたを、親にお金を借りて買った。否定しないわ。だけど、それはあなたが魔法の力を持っていたからよ」

「魔法? 魔法が使えたら助けてもらえるのか? あの場所には奴隷なんてたくさんいたのに。俺なんかよりずっと不器用で、ひどい仕打ちを受けていた哀れな子どもたちが!」

「そうよ。だって私は、あなたしか見つけられなかった」

 これは、酷く不公平な話かも知れない。

 だけど、多分、嘘をついてもこの子は見抜く。私を信用しないだろう。

「あなたを見つけられたのは、あなたに魔力があったせいよ。私、ひと目見てすぐに分かった。あんなところで、奴隷として終わらせていい子じゃないって」

 そして私は、その名を口にした。

「だって、この世界は〝メイデーア〟だもの」

 メイデーア。この世界をこの名で呼ぶ者はだいたい魔術師である。

 この世界で最初の魔術師が、そう

「……メイデーア?」

「この世界の総称のことよ。もう、一般人には忘れられた名前らしいけれど。メイデーアは、各国の歴史的な大魔術師が、善かれ悪かれ時代を動かしてきた世界なの」

 私はこの部屋の本棚から一冊の童話の絵本を取り出すと、トールをソファに座らせた。

「知ってる? 『トネリコの勇者』のお話」

 トールはしばらく黙って、私の持つ本の表紙を見つめていたが、やがて首を振った。

 だが、その瞳には興味の色がにじんでいる。

「五百年前、この世界には偉大な魔術師が三人いたの。一人目は〈黒の魔王〉、二人目は〈白の賢者〉、そして三人目は〈紅の魔女〉。彼らは力くらべをするうちに、やがて世界を巻き込む戦争を引き起こしてしまった。五百年前の魔法大戦よ。これが、メイデーアの魔法の技術を一気に押し上げたと言われているわ……」


  雪国の獣たち

  四肢を折られて繋がれた

  黒の魔王の奴隷にされた


  湖の精霊たち

  だまされてなべで煮込まれた

  白の賢者に忠誠を誓うまで


  美しき乙女たち

  燃え果てるまであぶりだ

  紅の魔女はれんのごとくしつ深い


  ああ怖い

  扉の向こうの魔法使い!


 一ページ目は、そんな童謡ではじまる。

 ルスキア王国の子どもなら皆知っている歌だが、トールはピンとこないみたい。

「トネリコの勇者ってのは?」

「三人の魔術師の暴走を止めた、一人の若者のことよ。彼は黄金の剣を手に、四人の仲間を引き連れて、三人の魔術師を打ち滅ぼしたの」

 童話には、子供にもわかりやすいよう、その過程はとても簡易に描かれている。

 トネリコの勇者は、まず自分の師匠だった〈白の賢者〉を倒した。

 次に、魔物を従えて一国家を築いていた〈黒の魔王〉を葬った。

 そして最後に、最も凶悪だった〈紅の魔女〉の自爆に巻き込まれて死んだ。

 こうして世界は、勇者の命を礎に平和になったという。

「我がオディリール家の先祖こそ、三人の魔術師の一人〈紅の魔女〉よ。五百年前の大戦で、メイデーアの真ん中にドでかい穴を開けちゃった」

「紅の魔女は……聞いたことがあるかもしれない」

「そうでしょう? この世界で一番悪い魔女のことだもの。おかげで子供を脅かす代名詞になっちゃった」

 オディリール家の先祖〈紅の魔女〉は、最終決戦で〈トネリコの勇者〉を巻き込み、大爆発を起こしたという。

 その力を受け継いでいるせいか、私のようなオディリール家の女子は【火】の申し子である確率が高い。だからトールの足の鎖を溶かす熱魔法を、簡単に使うことができた。

「この世界における魔法の才能は、良い意味でも悪い意味でも、世界を動かす力になりうるの。気に入らないことがあるなら、魔法を磨いて、大魔術師になって、そしてあなたが世界を変えればいいじゃない。この三人の魔術師のように」

 パタンと、本を閉じる。

 歴史に名を残したような大魔術師は、誰だって、この世界を変えたいと思って何かを成し遂げたのではないかな。

 理想を抱き、その夢を追いかけて……

 それが最終的に、どんな結末を迎え、悪者として語り継がれてしまっても。

「……お嬢様、あんた変わってますね」

「そう? 私はいたって正気のつもりだけど」

 クスッと笑い、私はトールに向き直ると、自らの胸に手を当てた。

「改めて名乗るわ。私はマキア・オディリール。得意な魔法の属性は【火】で、魔法薬の勉強も大好き。あとどこでも寝られるという特技があるわ。底意地が悪そうな顔はきっと〈紅の魔女〉譲りよ。私はこの世界で一番悪い魔女の、まつえいなのだから」

 たとえこの世で一番嫌われ、憎まれた魔女の末裔であろうとも、私はそのことを誇りに思っている。ゆえに私は、ご先祖様から譲り受けたものは大切にして、彼女のような偉大な魔女になりたい。

「あなたがまた鎖で繋がれるようなことがあったら、私が必ず溶かしてあげる」

 今日、自分が名付けた〝トール〟に、私は手を伸ばした。

「だから、二人でメイデーアを動かせるような大魔術師を目指しましょう。私、ずっとね、お互いを高め合えるような〝誰か〟を、探してたの」

 トールはしばらくこの手を見つめていたが、

「……はあ。わかりましたよ、お嬢様。とりあえず、あんたについてってみます。意外と面白そうなので」

 相変わらず嫌味っぽく笑い、結局この小さな手を取った。

 彼の心にも、私を利用して成り上がってやろうという野望くらいは、ともったのかもしれない。


 この世界は、現代も魔術師たちが運命を左右するメイデーア。

 私とトールの出会いが、のちのメイデーアの歴史を大きく動かすことになるなんて、この時の私たちは知る由も無い。

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