夏は嫌いだ。

三井友弥

夏は嫌いだ。

夏は嫌いだ。嫌でも思い出すことがあるから。

思えば、彼女の名前が夏に起因するものだったのも、俺が夏を嫌う理由を増幅しているのかもしれない。


8月30日に、東京駅のコンコースを走った。入場券なんて買ってられなくて、新幹線改札を強行突破した。

親の転勤で引っ越すことになった、なんてのは少年少女にはよくある話で。

それでも、僕はちゃんと別れを言わなきゃいけなかった。そして、数日前の彼女が僕にぶん投げた問題に、答えを出さなくてはならなかった。




もちろん、彼女が親の仕事の都合で引っ越すという話は聞いていた。けれども、それを聞いたのは8月に入ってすぐくらいのことで、終業式が彼女との最後の邂逅になるなんて思っていなかった。


彼女は陽サイドの人間で、自分は当然陰サイドの人間。彼女の親の転勤が決まってから彼女は陽サイドの人間との予定がびっしりできて、俺と会うことは無い。


「ね、会えないかな」


彼女からそんなLINEが来たのは、8月10日だった。覚えている。朝起きてスマホを見たら、その通知が1番上に来ていた。


驚いた。彼女が陰の者の自分に合う時間を作るというのか。陽サイドの人間は何を考えてるか分からんな、そんな気持ちになった。

けれども、自分の中に最後の挨拶くらいはちゃんとしておきたいという気持ちがない訳ではなかった。彼女に快諾の旨を伝え、予定をすり合わせることにした。彼女に何日か候補を上げてもらって、陰の者の自分がそれにあわせればいい。そう思い、彼女の予定を聞いた。


「23日がいい」


幸いにも、23日は暇だった。それから、彼女はこんなことを付け加えたのだった。


「観覧車のあるところがいいな」


陰の者の自分が、ひたすら考えに考えて出た結論は、八景島だった。

ご存知だろうか?横浜のちょっと先には水族館と遊園地が一体化したテーマパークがある。クソガキ時代、イルカショーが好きだった自分はよくここに連れてきてもらっていた。確か、あそこは遊園地もあったな、なんてことを考えて。

でも、行ったことある人ならわかるが、あそこに観覧車はない。けれど、観覧車なら横浜にある。大観覧車がある。そんなことを考え、彼女に説明し、そこに行くこととなった。


陰の者が陽の者と遊園地、しかも相手は女子かあ……となると、相当厳しいが陰の者は1対1なら会話せねばならないので意外となんとかなる。会話しなくてもいいという選択肢が生まれる多人数になった瞬間空気と化すのだけれど。




そんなわけで当日が来て、よく居る中高生のカップルのように俺は彼女とシーパラを楽しんだ。や、初めて見る彼女の私服姿にかなり目を取られたけれども。


ひたすら遊んで、観覧車へと向かう時が来た。陰の者特有の「こういうなんか先にイベントがあると逆に会話に詰まる」状態に陥り、最初から横浜デートでよかった説あるな、いや待てこれデートじゃんか代……ってなってさらに会話に詰まるデッドロック状態になった。京急線の車内で、早く横浜に着くことだけを願っていた。


ふと気づいたら観覧車の中で、どうやら俺は思考を煮つめすぎてリアルワールドの認識すらままならなくなってたらしい。自分の顔を覗き込む彼女の瞳を認識した時にやっと周辺環境がどうなってるかに気づき、陰の者が対応出来る環境でないことに気づいた。


美少女、観覧車、2人きり。


これに対応する方法を義務教育では教わらなかった。義務教育の敗北がこれですか……なんて思って外をぼんやりと眺めていると、彼女が口を開いた。


「わたし、今日誕生日なんだ」


えっ。


「お、おめでとう、それは。けど、ごめん。知らなかった」


「いいの。言ってなかったし、わたしも」


「や、せめてプレゼントくらい用意させてくれ」


「いいよ。別に。私にとっては、これがプレゼントだから」


これがプレゼント?何が?観覧車が?

観覧車から見る横浜の夜景はたしかに煌めいていたが、それがプレゼントになるとは思えない。そもそも、観覧車に乗りたいと言ったのは彼女自身だ。

それに、彼女はもうすぐ東京から居なくなる。何か、自分が渡せるものがないだろうか。

陰の者の分際で、なにか彼女に形に残るものを渡そうと考えてしまった。けれども、彼女は自分が陰の者だから、とかそういう区別をしない人間だ。彼女は芯のある人間で、周りの評価で人物判断をしない。自分で見て、自分で確かめる。そんな信念がある女の子だった。


「横浜ならさ、デパートとか雑貨屋とかあるから。なにか送らせてよ。せっかくだし」


「ん、じゃあひとつ、欲しいものがあるかな」


彼女に向かってしどろもどろになりながら、誕プレの提案をした自分を彼女はじっと見て、そう言った。


「何が欲しい?さすがに、高いものは無理だからね。俺だって中高生なんだから」


「分かってるけど、そんなに高くないはずだよ」


「そうか、じゃ安心だ。横浜の駅前に確か高島屋があったから、最悪そこかな」


「……ねぇ、目瞑ってくれる?」


誕プレの話をしていた彼女は、突然会話をさえぎってそんなことを言った。僕らを乗せた観覧車は、てっぺんに来ようとしていた。

目の前にいたはずの彼女は、いつの間にか自分の隣に来ていた。訳も分からず、自分は目を瞑った。




狭い観覧車の中で、彼女と自分が重なった。観覧車はてっぺんを超えていた。




彼女が離れ、何が起こったのかを認識すればするほど、自分の脳はフリーズするばかりだった。訳が分からなかった。


「誕プレ、貰っちゃった」


「えっと……」


「ファーストキスじゃないけど、わたしの東京のラストキス。最初よりも最後の方が価値が高いと思わない?」


そう言って彼女が横浜の夜景をバックに微笑む。いくら綺麗な夜景がバックにあると言っても、自分の目は彼女の唇から離れなかった。


そこから記憶はなかった。気づいたら自宅にいて、布団に入っていた。毎晩続いていた彼女とのLINEは、途絶えてしまった。




いつの間にか、数日が経過していた。夏といえども、部活はある。学校に行かないといけない。その日も、自分はテニスラケットやらなんやらを鞄に詰め込み、部活へと向かった。


部活メイトの中でも、彼女の転校の話が話題になった。ああ、とか、うん、とかそんな相槌を打っていた。


「お前、仲良かったろ。会ったりした?」


「あー、まあ。でもそんな大袈裟なもんじゃないよ」


「……告った?」


部活メイトの清水が、爆弾を投下した。いや、自分は告ってない。と言っても、キスで告白が成立するのか自分は知らない。なので、あれがどういう位置づけなのかも分からない。


「や、俺は別にあいつのこと好きじゃないって言ってるだろ。気の合う女友達だってば」


そう言った俺に対し、清水はとんでもない爆弾を投下した。


「そんな顔して言うセリフじゃないだろ、それは。もっと軽い口調かつ明るい顔して言うセリフだ」


自分にとってそれは、ソ連が作った世界最大と言われるツァーリ・ボンバという水爆よりも威力の強いものだった。自分がひたすら、自分にも隠してきた彼女への思い、それを思いっきり表に出されたのだった。


自分でも誤魔化していた。彼女なんかが自分に振り向くわけがないのだから、無茶な恋はやめろと。


それでも、横浜のあの一件があってから、何が何だか分からなくなっていた。自分で自分を止めていた安全装置を、勝手に彼女が解除してしまった。


「明日、東京駅を出る新幹線。10時過ぎの新大阪行き。ま、フラれても向こうは引っ越すんだしなんも問題ないよ。綺麗に玉砕してこいや」


そう言って清水はケラケラと笑う。外堀を埋められてるような気分だった。




次の日、俺は東京駅のコンコースを走った。入場券なんて買ってられなくて、新幹線改札を強行突破した。彼女が乗る新幹線の出るホームへの階段を駆け上がり、気づいた。


「何号車か聞いてねぇじゃん……」


迂闊。陰の者大失敗。これだから感情に身を任せた行動ってのはどこかボロが出るんだよな。


途方に暮れた自分が時計を見ると9時57分。新幹線がホームを離れるのは10時3分。6分で彼女を探して彼女に自分の想いを伝える。無茶だしこんなギリッギリまで何も言わない自分に想いを告げられても彼女は困るだけだろうが、それでいい。


後ろでキャリーバッグを引く音が止まった。振り返ると、そこには彼女が立っていた。おそらく、姉と両親と思われる人らと共に。


彼女は自分のことをなぜか名前で紹介すると、なにかを理解したらしく彼女の家族たちは新幹線に乗り込んでしまった。これが好都合なのか不都合なのか分からないところに、自分の陰の者みを感じてしまった。


でも、人生1度くらい気張らないといけない時がある。陰の者でも、気張る時は気張らねばならない。今がその時だ。夏の新幹線ホームの気だるい空気を吸い込み、彼女にこう語り掛けた。


「別れの言葉を言ってない。それと、誕プレも渡してない」


ロフトの包装に包まれた雑貨を彼女に渡し、ホームの椅子に彼女と腰掛ける。


「今更、別れの言葉なんて。それに、海外に行くとか、ましてや死ぬわけじゃないのよ。名古屋なんてすぐそこじゃない」


「それでも、けじめを付けなきゃいけない。俺のわがままかもしれんけど、ここでちゃんと付けとかないと後悔すると思うんだ」


「私はね、あの観覧車がそのつもりだった。なのに、わざわざ追いかけてきて。誰に聞いたの?新幹線の時間なんて」


「あ〜……。清水。知ってるだろ?あいつ変なとこでお人好しなんだ」


「清水くんね。なんで新幹線の時間なんて聞いてくるんだって私は思ったけれど、こういうことだったのね」


そんな話をしていると、新幹線が出るまであと1分となった。彼女は立ち上がって、新幹線に乗り込み、そのままデッキに立った。


「ね、言いたいことあるんでしょ」


発車ベルがけたたましく鳴っていた。暑さから来るのか分からない汗が、自分の首筋を伝った。


「俺さ、お前のこと好きだ。絶対名古屋まで行く」


彼女は大きく目を見開いた。発車ベルがなり終わり、一瞬の静寂が生まれた。新幹線のドアが閉まった。目の前でホームドアも閉まり、彼女との距離を一気に感じた。


ドアの窓の向こうで、彼女が4文字の言葉を自分に向けて伝えた。けれども、その4文字は自分の耳に伝わることは無かった。


こうして、俺の夏は終わった。もっと早く、何か行動をおこせていたら。俺をそんな気分にさせる、夏が嫌いだ。

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夏は嫌いだ。 三井友弥 @Chartered_Stanley

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