第75話 (イチロウ&シエス) 

 俺とシエスは、武者修行と称して街道ではなく森を突っ切っている。

 理由は単純に街道を歩くよりも魔物との遭遇比率が高いからだ。それに足場の悪い場所を移動するというのはそれだけで経験になる。

 目的地はドラゴンの棲家――ククリ山脈。

 メーボルン王国の北部は魔王軍の支配する魔界と称される魔物の跳梁跋扈する世界が広がっている。魔王を筆頭に上級の魔物に統率された中級、下級の魔物がメーボルン王国に向かって進軍しているのだが、北東に位置する場所にククリ山脈という標高4000メートル級の山々がそびえている。

 その山頂付近を棲家としているのがドラゴンである。


 ドラゴンは上級の魔物である。

 魔物であるのだが、魔王に従っているわけでもない。知性が高くその力は魔王を超えると称される。そもそも次元の異なる存在らしい。魔王どころか神に匹敵するとかしないとか。ドラゴンはククリ山脈に生息する魔物を支配下に置いているが、魔王の様に人族を滅ぼそうという考えは持っていないらしい。

 敵対しない限り攻撃をされることはない。それは人族に限らず魔族も含まれる。ゆえに魔王もまたククリ山脈を通って人の領域に進軍しようとは考えないのだ。

 そういうわけで、そこは双方にとって不可侵の領域となっている。ダンジョンに潜ることのできない俺としてはこれ以上の場所はないということだ。


 森を普通に進んでも修行にはならないという理由から、ゲームの縛りプレイのようにいくつかの制約を作っている。いま、俺とシエスは地面を歩かないように木々の枝から枝へ飛び移りながら疾走している。魔物が現れたときも、相手の強さに合わせて「逆立ちで戦う」「裏拳のみ」「頭突きのみ」「指だけ」「一か所から動かない」「カウンタのみ」など、何らかの制約を自らに課している。

 ほとんど下級の魔物しか出現しないため、まともにやっては経験値が積めずレベルアップにつながらないと考えてのことだ。果たして意味があるかはわからない。だが、ただでさえレベルの上がりにくい俺としては、ステータスを上げるためにできることをやるだけだ。

 

 正直言えば、シエスと組手をしている方が修行になっている気がする。

 シエスは速度特化であるが、少しずつ動きが洗練されつつあった。まだ、魔力の操作に関してはレベルは高くはないが、ナイフへの魔力を流すのはかなりスムーズになっている。轟流の瞑想についてはフランに劣っているけども、限界突破は一発で成功させているため出力を抑えた状態での発動も可能になっていた。それはスキルとしての限界突破ではなく、轟流のほうの奥義としてである。

 そのため、膂力で劣るシエスも少しだけ膂力が増している。素早さも相まって、片手で捌くにはつらいほどだ。


 そんな風に森の中を突っ切っていると開けた場所に出ると、大きな湖が広がっていた。


「きれいです」

「だな」


 数日前の雨が嘘のように広がった青空と、その延長上のような紺碧の湖。風もなく穏やかで静かな時間が流れている。周囲には魔物もいるはずなのに、まるで聖域のような清浄な空気に感じられる。まだ、空は明るく正午を少し回ったくらいくらいだろう。でも、急ぐ理由もない。


「今日はここで野営にするか」

「はいです」


 たまにはこんな日があってもいいだろうと、野営の準備を始める。

 シエスの袋から取り出したロープを二本の木に結んで、そこに大きな布をかぶせる。だんだんと寒くなってきているので、テントの前で焚火くらいはするつもりだ。それに最悪は火の魔石を布にくるんで眠ってもいい。虫よけの香を焚けば、蚊取り線香もなんのその害虫の類は一切寄ってこない。だから、そのまま地面に布を敷いて寝転がっても問題はない。


 とりあえずお昼を適当に食べて、狩りをすることにした。

 

「魚でも取ってみるか」

「おさかなさん?」

「そう、これだけきれいな湖なんだ。魚もいるだろう」


 といっても、釣りの道具も何もない。

 だから、素潜りで直接捕まえるくらいしかない。そんなに簡単なものでもないだろうけど、偶には泳ぐのもいいかもしれない。水は冷たそうだが。


「シエスは湖に入っても大丈夫か?」


 進化して毛でおおわれた部分が少なくなったとはいえ、服が水を吸って重くなるように毛も水を吸えば重くなる。


「うーん。泳いだことはないです」

「じゃあ、浅いところから少しずつ入ってみようか」


 誰もいないとはいえ、裸になるわけにはいかない。シエスは女の子だし。それに湖の中にいくつか魔物の気配があるので着衣のままナイフを手に湖に入った。貴重品の類はいつもどおりシエスの袋に入れておけば何も問題はない。

 濡れた服のまとわりつく気持ち悪さはあるものの、普段風呂に入ることがないため、水につかるのはちょっと気持ちがいい。冷たいが中に入っていれば徐々に慣れていく。

 湖岸は砂浜になっているため、いきなり水深何メートルということもないからシエスも問題はなかった。


「気持ちいです」

「うん。そしたら少し顔を水につけて体の力を抜いてみるんだ。そしたら自然に体は浮かぶから」


 小さい子供に教える様に、手を取って体を浮かばせる。やっぱり顔をつけるのは怖いようだけど、徐々に慣れていく。そして、バタ足をさせながら少しずつ”泳ぐ”ということを教えていった。

 シエスは人の話を素直に聞くし、そもそも身体能力は高い。

 だから、あっという間に泳ぎを覚えていった。

 とはいえ魚を捕るとなると、縦横無尽に泳げるようになる必要があるのでなかなか難しいだろう。それに、湖には魔物もいる。そんなわけで俺の後ろをついてきてもらいながら、湖中の魚を探した。木をイメージする轟流としては水中の技はない。

 ゆえにこれもまた修行になるかもしれないと考える。


 水はかなり澄んでいる。

 正確なところはわからないが20~30メートル程度は視界が確保されている。

 小さな魚が群れを成して泳いでいるのが見える。

 魔物のいる世界でありながら、そうでもない生き物も普通に生きている。不思議ではあるのだけど、魔物だって肉食動物がいても草食動物もいるのだからそう不思議でもないのかと思い直す。


 湖底にはワカメのような海藻類に、サンゴのようなものまで見えた。元の世界で湖を泳いだ経験などないから、これは普通かどうかはわからない。

 ときどき息継ぎをしながら湖中を見ていると、大きめの魚が優雅に泳いでいた。縞模様の魚で石鯛のような見た目だけど、薄い黄色と濃いピンクという中々の衝撃的な色をしている。食べれるものかはわからないが折角なので捕まえてみることにする。


「シエス」


 湖面から顔を出して、シエスと打ち合わせをする。

 大きく息を吸って水に潜ると、一気に加速した。枝を削って作ったお手製の銛を手に石鯛っぽい魚を追いかける。返しが付いている分、ナイフで挑むよりは何とかなるだろうと思ってのことだ。

 俺たちの存在に気が付いた魚が慌てて動き出すけども、俺もシエスも速度に特化したステータスをしている。地上よりも動きが制限されるといっても、魔物ですらない普通の生物が相手なら負けることはない。水中を滑るように泳ぎ、銛を突き出す。

 鋭利な先端が鱗を突き破り、胴体を串刺しにする。しばらく藻掻いていた魚も自然と弱まっていく。湖面から顔を出し、初めての獲物を日のもとで確認する。

 体長70センチくらいの肉厚の魚。

 見た目はともかく感慨深いものがあった。


「ぷはぁーっ。さすがお兄ちゃんです。今度はシエスがやるです」


 捕まえた魚をそのままシエスの袋に入れて銛を渡す。

 ついさっき泳ぎを覚えたばかりとは思えないほどスムーズに水中を動き回り魚を次から次に捕まえていく。

 そんな感じで日が暮れるまで湖で遊んだ後は、湖岸で焚火を熾した。服を着替えて濡れた衣類を乾かす。そこでハタと気が付いた。


「シエスは魚捌けるか?」

「……無理です」

「だよなー」

「お姉ちゃんたちなら出来たと思うです」

 

 そうだよな。

 いつも食事の準備をしてくれていた二人のありがたみを思い出す。彼女たちの価値はそれだけではないけども、料理なんて一度もしたことはないのだ。


「シエス。ごめんな。串焼きでいいか?」

「大丈夫ですよ」


 不思議そうに首を傾げるシエスをみて、なんとなく申し訳ない気持ちになりながらそこら辺の枝を適当に削って串を作って魚を突き刺した。それを火の周りに並べていく。

 料理と呼べるものではないけど、これはこれでいつもの野営と違ってなんかいい。時に魔物の肉を食べることもあったが、料理のできる二人は串焼きなんて単純なことはしなかった。

 シエスの袋から塩や香辛料を取り出して適当に振りかける。

 それだけでなんだかいい香りが漂ってきた。


「おいしそうです」

「だよなー。見た目はあれだけど、うまそうだな」


 皮がぱりぱりになったところで、串を一本ずつシエスと手に取りかぶりついた。見た目通り鯛のような白身で中々おいしい。皮もパリッとした食感がしてなかなかいい。


「お姉ちゃんたちに食べさせたいです」

「うまいもんなー。今度はみんなで湖とかに遊びに行けるといいな」

「はいです」

「二人で強くなって迎えにいこうな」

「シエスは頑張るですよ」


 ゴゴゴォと効果音を出すように拳を握りしめるシエスがかわいくて頭をそっと撫でた。食事をしているうちに、いつの間にか日が完全に沈んできたので俺たちは結界を張ってからゆっくりと横になった。たまにはこんな日もいいだろう。

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