外伝Ⅱ 妖花~その34~

 新離宮の建造が決定した数日後、ワグナスは再びロートン二世からのお召しを受けた。新離宮に関することかとややうんざりしながら私室を訪ねてみると用件は違った。


 「実は巷で流行っているオクニス一座の舞台を一度見てみたいと思ってな。聞けば宰相が一座を保護しているという。どうにかなるまいか?」


 新離宮建設についてまた無理難題を言われるのではないかと不安に思っていただけに、ワグナスはほっとした。


 「容易いことでございます。ただ一座は身分の低い者ばかり。皇宮に入れることができません」


 「ならば忍んで外に出るとするか。日程は家宰とよろしく打ち合わせてくれ」


 承知しました、とワグナスは退出した。新離宮建設のことを考えれば容易いことであった。




 さらに数日後、ロートン二世はわずかばかりの供回りを連れ、皇宮を出た。ワグナス自ら先導し、一座の劇場まで案内した。座長には事前に通告して最前の席を確保していた。勿論、皇帝が来るとは言わず、単にやんごとなきお方が来場するとだけ言っておいた。ロートン二世は平服を着ていると本当に街の市井の人にしか見えないのでばれることはないだろう。


 演目が始まるとロートン二世はすぐに一座の舞台に魅了されたようだった。呆けたように口を開き、子供のように目を輝かせながら繰り広げられる演目を見つめていた。すべての演目が終わると、ロートン二世は我先に立ち上がり、惜しみない拍手をずっと続けていた。


 「余は素晴らしいものを見た。余がこれまで見てきた歌舞音曲が偽物ではなかったかと思うほどだ」


 皇宮に辿り着くと、ロートン二世は興奮冷めあらぬ様子で熱っぽく語った。


 「特にフィスと言ったか。あの娘の踊りは格別であった。余はあれほど美しい四肢を持った女性を見たことがない」


 フィスの名前が出てきてワグナスは心中穏やかでなかった。ロートン二世は好色家でもある。フィスに対しても色目を持ったとしてもおかしくはなかった。


 ただ……とワグナスは思い直した。ロートン二世は賢愚の判断がつかない凡庸な皇帝であるが、家臣の妾を横取りするような人道から外れた真似をするような権力者ではなかった。ロートン二世にはすでにフィスがワグナスの妾であると話しているから下手なことはしないだろう。


 「あの者達に五等宮廷音楽師の称号を与えよ。さすれば皇宮への出入りもできよう。余はまた彼らの世界を堪能したい」


 「承知しました」


 ワグナスはそう応じながらも、わずかばかりの不安を抱いていた。その後、ロートン二世はしばしばオクニス一座を皇宮に招いたが、フィスに手を出したような素振りは見られなかった。




 「皇宮はどうだ?フィス」


 ある日の夜、フィスに酌をさせながらワグナスは尋ねた。昨晩もオクニス一座を皇宮に召されていた。


 「楽しゅうございます。まさか皇宮に出入りできるなんて、夢にも思っていませんでしたから」


 フィスはあどけない少女のように笑った。ワグナスが彼女と知り合った頃はまだ少女であった。しかし、わずか数年でフィスは少女から大人の女性に変貌していた。変貌させたのは他ならぬワグナスであった。


 『不思議な女だ』


 少女だった時は、時折大人の色香を匂い立たせ、大人となった今になって稀に少女らしさを見せる。フィスという女性の本質がどこにあるのかワグナスは時々分からなくなった。そこがフィスの魅力でもあると思っていた。


 『ひょっとすれば、俺は生まれて初めて真剣に女性を好いたのかもしれない』


 正妻であるアフィリアを愛していないわけではない。しかし、そこにはビルバネス家と誼を持つという打算が少なからずあった。フィスについては、そういう打算など一切なく、本気で愛おしく思えた。


 『渡してなるものか……』


 ワグナスはフィスの肩を抱きかき寄せた。香の匂いと体臭の臭いがワグナスの鼻を突いた。


 「あ、旦那様……」


 フィスが何か言おうとする間に、ワグナスは彼女の口を吸った。フィスはそれを待っていたかのようにワグナスの唇にむしゃぶりついてきた。ワグナスがスカートの裾から手を忍び込ませると、フィスの秘所はすでに湿っていた。ワグナスはそのままフィスを押し倒し、過ぎる時に任せてフィスを求め続けた。




 帝暦七二一年、日輪の月。驚くべき報告がワグナスの下に寄せられた。農政局からあがってきた報告で、今年の作況予想が前年の半分以下になるのではないかというものであった。


 今年の夏は稀に見る冷夏で、稲や小麦の実りがかなり悪くなっていた。それに加えて新離宮建設がさらに拍車をかけていた。


 新離宮建設にあたり、ワグナスは作業員を帝国全土から募集し、それらに給料を払うことにした。通常、宮殿などを建てる場合は民衆に対して労役を課した。ワグナスはそれをせずに作業員に給料を払うことで民衆の経済力を底上げしようと考えたのである。


 だがこれが仇となった。多くの農業従事者が農地を離れ帝都に集まったため、田畑が荒れ果てると事態も続出した。これは特に帝都周辺で顕著であり、一時的ではあったが帝都において食料の価格が急騰した。


 『これはまずい……』


 早々に手を打たねばとワグナスが焦り始めた矢先、最悪の事態が訪れたのである。帝国の有史上、最大規模の飢饉が始まったのである。

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