外伝Ⅱ 妖花~その24~

 帝暦七一八年、桜花の月二十日夜。遅くまで仕事をしていたバナジール・ウミナスは皇宮を出て、下宿先への帰路に着いていた。


 いつもならば目抜き通りに寄り、定食屋で夕食を済ますか、惣菜を買って帰るのだが、この日は遅くなってしまったので多くの商店はすでに閉まっていた。あまり酒を飲む習慣のないバナジールは、歓楽街へと足を向けることもなく、真っ直ぐと下宿先へと帰ることにした。


 バナジールの下宿先は帝都の郊外にある。大通りから離れてしばらく歩くと、人家が疎らで外灯などない裏道に至る。わずかな月明かりだけが、バナジールの行く先を照らしていた。


 ざざっと物音がしたと思うと、バナジールの前に人影が立ち塞がった。人数は分からない。どういう成りをしているかも分からない。しかし、明らかなのはバナジールに対して敵愾心を持っていることであった。身の危険を感じ、バナジールは後ずさったが、その背後からも物音がした。


 「何者だ!」


 バナジールは叫んでみたが、彼らは応えず剣を抜いた。磨かれた刀身が月明かりでぎらりと光った。


バナジールは賊に囲まれてしまった。身構えたが、逃げ道などまるでなかった。バナジールはここで切られて死ぬしかなかった。しかし、


 「賊だ!捕らえろ!」


 その号令一下、さらに人影が湧き出てきた。その数は十数名に及び、賊徒達を囲んだ。賊徒達は自分達の方が大多数に囲まれたことを悟った。彼らはバナジールを襲うことを諦め、逃走しようと試みた。ばらばらの方向へと走り、切り抜けようとした。


 多勢に無勢であった。しかし、夜の闇が賊徒達に多少味方した。何名かは脱出することに成功した。それでも二人が切り死にし、一人は舌を噛み切って自害した。号令のとおりに生け捕りすることはできなかった。


 「大丈夫か、ウミナス君」


 戦闘が終わると、号令を下したワグナスが腰を抜かしているバナジールに手を差し出した。


 「ザーレンツ先輩……。駄目かと思いました」


 「ちゃんと助けると言っただろう」


 「でも、計画通りに生け捕りにできませんでした……」


 マベラ達がバナジールを襲撃する。ワグナスはそれを予知し、バナジールを密かに警護していた。そこで襲撃犯を捕らえ、素性を調べた上でベイマン家を糾弾するという計画であった。


 「安心したまえ。これでも十分だろう」


 ワグナスは地面に落ちていた剣を拾い上げた。従えてきた兵士が松明を持って来て照らしてくれた。 


 「ふん。相当な業物だな。帝都でもそう造られていまい。これで足を辿ることもできる」


 後はハスマン商会だな、とワグナスは拾った剣を兵士に預けた。


 同日同時刻。ベイマン家の手勢が帝都にあるハスマン商会の本店を襲おうとした。強盗を装って焼き払う予定であったが、これもワグナスが先手を打って阻止された。こちらの方はバナジール襲撃よりも凄惨な戦闘が行われ、襲撃犯は全員切り死んだ。打ち手にも一人死者が出たが、ハスマン商会本店は焼かれずに済んだ。


 


 翌二十一日。二つの襲撃に失敗したマベラは病を理由にその日の朝議を欠席し、息子のジネアも登庁しなかった。その朝議において、バナジールとハスマン商会襲撃事件が取り上げられ、帝都争乱の嫌疑として司法局長ハーマンス自身が捜査に乗り出すことが決定した。


 桜花の月三十日。ハーマンスによる捜査結果が朝議で報告された。バナジール襲撃犯が落とした業物の剣が、ベイマン家の使用人によって購入されたことが判明。またハスマン商会襲撃犯の一人がやはりベイマン家の使用人からの約定を懐に忍ばせており、両襲撃事件がベイマン家によるものであることが確定すると同時に、第五皇帝直轄地からの金流用疑惑も濃厚になった。


 帝暦七一八年、若葉の月一日。司法局長からベイマン家に対して捜査協力の使者が派遣された。ベイマン家は門を閉じ、使者を拒んだ。その使者は恐るべき情報を持ち帰ってきた。


 『ベイマン家は門を閉じ、外壁は要塞のようになっております。また多数の兵士が詰めている様子です』


 事態は緊迫度を増した。しかし、この事態に対してロートン二世は強気であった。かつてのロートン二世ならば、事態を憂いて慰撫の勅使を派遣したであろうが、この度は査問の勅使を派遣することを決めたのだった。ロートン二世としてもここまでお膳立てをされれば、今こそベイマン家を追い落とす好機であると判断するより他なかった。


 一方のマベラ・ベイマンは、窮地に追い込まれていた。バナジール・ウミナスとハスマン商会さえ消せば万事上手くいくと考えていたのだが、それに失敗してしまった。今の今までこのようなことに失敗したことのないマベラは完全に進退窮まり、門を閉じるしかなかった。


 しかも勅使が派遣されるとなれば、流石にこれを拒むことはできない。拒めば反逆罪になる。その時点でベイマン家は現在の地位を失うことは確実であった。


 ここでマベラには二つの選択肢があった。一つは武力に訴えて皇帝を握り、反対派を逆に追い落とすこと。もう一つは帝都から逃れ地方で再起を図ること。


 マベラは前者を選択した。

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