外伝Ⅱ 妖花~その23~
帝暦七一八年天臨の月三十一日。この日の朝議はいつもどおり波風が立つことなく終わらんとしていた。いつもの朝議は、各行政の長からの定例の報告があり、それらが一通り終わるとロートン二世が一言も発せずに立ち上がってそれで散会になるのだが、この日は報告が終わっても立ち上がらずにいた。
誰もが不審に思いながら、ロートン二世の挙動を見守っていると、それを待っていたかのように口を開いた。
「そう言えば最近、帝都で妙な噂が広がっているな」
皇帝の一言に、一堂が青ざめた。妙な噂とは、ベイマン家の金流用のことであることは間違いなかった。皇帝の一番近くに座るマベラに遠慮して声を発する者がいない中、一人の男が立ち上がった。
「それは国務卿にまつわる噂でありましょうか?」
司法局長のハーマンスであった。法の番人というに相応しい男で、いかなる派閥に属さず、法の下の公平さこそ正義であるということを心情としている気骨溢れる男であった。
「ふむ。よろしくない噂だな」
「御心を騒がせる噂でありますが、噂でしかございません。噂をもって罰することができません」
ハーマンスは司法局長としての見解を述べた。現時点ではマベラを追求することができないが、明確な証拠があれば調査するという意思の表明でもあった。
「左様。噂は噂でしかないな」
ロートン二世はそれだけ言って黙った。散会とも言わず、立ち上がることもなく、遠くに視線を飛ばしていた。衆目はマベラに向けられた。当事者であるマベラが何か言わぬ限り、この場が収まらないのは明らかであった。
当のマベラは表情を崩していなかった。平然としていて、噂などまるで気にしていないと言わんばかりであった。
「宸襟を騒がし、厚顔の至りですが、当家としてはあらぬ噂であり、憤りを感じております」
「火のない所には煙は立たないと言う。どうであろうな、司法局長。その噂の出所を調べてみては?余は騒がしく、波風が立つのは好ましくない」
以上だ、と言ってようやくロートン二世は立ち上がった。これで散会となったが、司法局長はこの件について調査をせざるを得なくなった。勿論、噂の出所の調査であったが、それを追うということは疑惑自体を追求することにもなりかねなかった。
この時点に至ってもマベラは事態を甘く見ていた。ベイマン家の権勢を恐れぬ司法局長であっても、単なる噂だけではまともに調査はしないであろう。噂の出所を探る程度で終了するだろうと高を括っていた。
『証拠などないのだからな』
証拠など見つからない。巧妙にやってきている手口なのでばれるはずがない。そういう自信が驕りとなってマベラは打つ手が完全に後手に回ってしまった。
『しかし、誰がそのような噂を流したのだ……』
そればかりは気がかりであった。長年隠し続けてきた不正が、どうしてこの時点で明るみになったのか。微かに胸騒ぎを感じていたが、これについて下手に騒ぎ立てては逆に怪しまれると思い、平然と構えていることにした。
帝暦七一八年桜花の月十五日。戦慄するような情報がマベラの下に届けられた。皇帝直轄地管理局にいるベイマン家の息が掛かった者からの報告であった。
報告者曰く、ベイマン家が金を不正流用していると判断するに相当する疑惑が判明したというのだ。その疑惑とは、ベイマン家お抱えの商人が第五直轄地から帝都に至るまでの関所で、荷物の数量を誤魔化しているというものであった。
通常、商人が荷物を運ぶ場合、その数を関所毎に届けなければならない。ここ数年分のベイマン家お抱え商人であるハスマン商会の記録を調査してみると、第五直轄地を届けた時の数量よりも、帝都に到着した時の数量が少ないというのがかなり散見されたというのだ。
「そんなことがありえない!捏造だ!」
ジネアが拳を何度も自らの腿に叩きつけ激昂した。確かにこれは明らかに捏造であった。何故なら不正に流用された金は、ハスマン商会しか知らぬ裏道を通って帝都まで運ばれているから、関所の記録など関係なのだ。
『あるいはハスマンが過失を犯したか……』
流石にマベラも平然とはしていられなかった。対応を誤れば、取り返しのつかないことになってしまう。
「父上!抗議いたしましょう!そのような記録は捏造であると!」
「馬鹿者!まだ世に出ていない資料をもって捏造であるなどと叫べば、直轄地管理局から情報が漏れたことがばれるだろうが。それに表沙汰になったとして、何として捏造であると主張する。本当は裏道を通っているますとでも言うのか?」
「しかし、父上……」
「分かっている。これは座視できぬ事態だ。その調査をした奴は誰だ?」
「直轄地管理局のバナジール・ウミナスとかいう小僧です」
知らぬ名だった。ジネアが小僧ということは相当若い官吏なのだろう。
「正義感ぶったことを冥界で後悔させてやろう。後、ハスマン商会ものだ。押し込みを装って全てを消すのだ。宰領はお前が取れ、ジネア」
「了解しました」
「しくじるなよ。ベイマン家が生きるか死ぬかの分水嶺だ。お前も将来はベイマン家の頭領となる身だ。これしきの時代は乗り越えてみせろ」
勿論です、とジネアは自信満々に応えた。この程度のことならばジネアでも十分に対応できるとマベラは信じて疑っていなかった。
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