外伝Ⅱ 妖花~その7~

 晩餐会が終わると、オルトスはワグナスと連れ立って皇宮を出た。人気のなくなった帝都の裏道を月明かりだけを頼りに肩を並べていた。


 「それはそうと、下宿先は何処なんだい?」


 「まだ決めていない。しばらくは宿暮らしさ」


 帝都に上るにあたり、メーナが骨を折って下宿先を探してくれたが、この時期は帝都への人口流入が激しく、結局見つからないでいた。そのため見つかるまでは試験の時に泊まった宿から通う羽目になってしまった。


 「だったら私の下宿先に来るかね?あまり綺麗ではないが、パン屋の二階だから食い物の確保には困らないぜ。確か私の正面の部屋が空いているはずだ」


 「それはいい」


 下宿先を探す手間が省けた上に、ワグナスと同じ場所となればこれ以上のことはない。


 「では早速来たまえ」


 もうそこだ、とワグナスはオルトスを誘った。


 ワグナスが案内した下宿先は、本当に何処にでもあるようなパン屋であった。夜ということもあって店の扉は閉じられていたが、中から灯りが漏れていた。


 「こっちだ。まだ旦那は起きているみたいだけど、この刻限になれば裏から入らなければならないんだ」


 建物の裏に回ると小さな木戸があった。ワグナスは鍵を取り出すと鍵穴に差し込み木戸を開けた。中は薄暗かったが、快活な女性の声が聞こえてきた。


 「挨拶をしておこう」


 ワグナスは奥に進んだ。細い通路を行くと、やや広めの土間があった。そこにはパンを焼く竈と、その前の机でパン生地を捏ねている男と娘がいた。


 「戻りました。精が出ますね、親父さん」


 「おう、ザーレンツ様か。何、貧乏暇なしって奴だよ」


 だはは、とパン屋の親父は笑った。ちょっと強面だが、陽気で人が良さそうだった。彼と向かい合っているのは親父の娘だろうか。まだ若い娘で、にこにこと笑みを湛えていた。


 「おや、そちらは?」


 「私の友人のオルトス・アーゲイト君です。実は今年、官吏となったのですが、下宿先がまだ決まっていないので、ぜひ空いている部屋を紹介したいのです」


 「そりゃいい!帝国の官吏様が二人も我が家に下宿するとなれば名誉ってもんだ。なぁ、ファラン」


 「何を言っているのよ、お父さん。別にお二人が商売をしてくれるわけじゃないんですからね。でも、変な輩よりいいわよね。家賃を滞納されることもないでしょうし」


 ファランは、陽気に笑った。オルトスはこの二人に好感を持った。ここを下宿先と決めるのに迷うことはなかった。


 「ぜひ、よろしくお願いします」


 「おう。空き部屋になっているからすぐにでも使ってくれ」


 こうしてオルトスは下宿先を確保することができた。




 オルトスの官吏としての生活が始まった。所属先は皇帝直轄地管理局となった。


 『直轄地の管理局か……』


 オルトスはやや失望した。その理由には多少の説明がいる。


 当時の帝国の政治体制は非常に単純で、皇帝の下に軍務卿と国務卿(宰相)がいるだけで、行政機構では国務卿の下に財務局や民政局などが置かれていた。そのため国務卿に様々な権限が集中し、後に各局が独立することになるのだが、それはレオンナルド帝以後のことである。


 皇帝直轄地管理局は、国務卿の下に置かれて局のひとつで、名前のとおり皇帝直轄地の管理運営を行う部署であった。一見すると花形部署のようであったが、ここに勤める官吏はある程度経験をつむと、皇帝直轄地の代官として派遣されるので、帝国中央の政治から離れてしまい、帝国での出世が望めないとされていた。そのため皇帝直轄地管理局を敬遠する者も少なくなく、どちらかというと不人気な部署であった。


 ただ旨味はあった。賄賂である。皇帝直轄地の代官となると、そこの地主や商人から多大な賄賂を受けて私服を肥やすことができた。そのため出世を望まない者は進んで代官となる者もいるほどであった。


 「そんなに気に病むことじゃないよ。特に君は一年間、カールネーブルで領の経営に携わってきたんだ。その成果を存分に活かせるよ」


 そう慰めてくれたワグナスの配属先は花形部署の財務局であった。オルトスも、官吏になった以上は職責を全うせねばならぬと思い、黙々と職務に精錬した。




 それから二年の歳月が流れた。オルトスもワグナスも勤勉さをもって己に課された仕事をこなしてきたが、日の目を見るような機会には恵まれなかった。


 しかし、ある事件を契機にワグナスは衆人の注目を浴び、皇帝の目にも留まることとなった。カップナプル事件である。

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