外伝Ⅰ 朝霧の記~その26~
勅使タシルは意気揚々とジェノイバ領に戻っていったが、待っていたのはグランゴーの叱責であった。
「馬鹿者め!このような誓書、貰ったところで何の役にも立たんわ!」
グランゴーは誓書を一読すると、そのままタシルの顔にたたきつけた。
「な、何が……」
「何が、ではない!この誓書では『帝国』とか『皇帝』としか書かれていない。これではどちらでも取れるではないか!」
「しかし……フェドリー陛下のことも……」
「『フェドリー陛下のご健勝のために最善の手を尽くす……』。正統帝国に属するとも書かれていないし、サラサ・ビーロスと戦うとも書かれていない。誓書の意味がまるでないではないか!」
ようやく自分の失態を悟ったタシルは、今にも泣きそうな顔になった。
「とっとと去れ!小僧の使いもできんような輩は必要ない!」
グランゴーの剣幕に、ひいと悲鳴を上げたタシルはおたおたと背を向けて去っていった。
「まったく……」
「これは思いやられますな。ナガレンツは小さいながらも兵は精強。これを傘下できないとなると、痛手ですな」
グランゴーとタシルの一連のやり取りを冷徹に見守っていたレスナンがため息交じりに言った。
「しかし、ナガレンツなしでも七千の兵は集められます」
すでに新帝国との戦争は不可避の状態になっていた。新帝国は、その南部に兵を集結させており、その数は一万近くになろうとしていた。まだこちら側に攻め入る様子は見られないが、正統帝国としてはサラサを偽皇帝としている以上、これを討つための軍を起こさねばならなかった。
その機会は間をおかずに訪れた。新帝国に帰属することに決めたマニール領を、その南にある正統帝国側のテトラン領が攻撃したのである。テトラン領からすれば、戦端が開かれた時に真っ先に攻められるのは自分達である。その恐怖心から機先を制してマニール領を占領しようとしたのだった。
『先走ったことを!』
グランゴーは唇を噛んだ。グランゴーの考えでは少なくとも一年は新帝国との衝突を避けたかった。一年あれば動員できる兵力も増え、新帝国軍とも渡り合えると踏んでいた。しかし、先走った暴走とはいえ、戦端が開かれた以上、これを助けなければ正統帝国の結束が乱れてしまう。グランゴーはフェドリー帝の名の下で北伐を宣言せざるを得なかった。
これに対して新帝国軍の行動は素早かった。南方に展開していた部隊をマニール領に派遣し、これの防衛にあたった。さらに皇帝直轄軍に動員命令を下した。
当初、この命令に際してサラサは自らも出陣しようとした。当然ながら周囲の者達は必死に止めた。流石に自分の立場を弁えたサラサは断念し、代わりに国師であるアルベルトを自らの代理とした。
『何かと政治的案件も出てくるだろう。それらはすべて国師に一任する。あなたなら間違いはないだろう。良きようにしてくれ』
アルベルトは皇帝代理として、今回の出師の総大将となった。野戦軍の指揮官としては大将軍バーンズ・ドワイト。動員されたのは第一軍と第四軍であった。
第一軍の大将はジン・ジョワン。サラサが行動を起こした黎明期からこれを支えてきた人物で、戦場での経験は豊富であった。
第四軍はリーザ・ウェフェルが率いる。彼女もまた数々の戦場を活躍し、特に攻撃面での破壊力には定評があり、『粉砕のリーザ』という異名を名づけられたほどであった。余談ながらリーザはこの半年後、かねてから恋仲であった国務卿のテナルと結婚する。それからはまるで人が変わったように温和な性格になり、挙句には民政長官になるのだが、この時はまだ『粉砕のリーザ』に相応しい猛々しさを持っていた。
第一軍と第四軍を合わせて約一万の兵力。これに対する正統帝国軍の動員は七千あまり。戦闘経験の差も考えれば、初めから勝敗の見えた戦いの始まりであった。
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