外伝Ⅰ 朝霧の記~その13~
だが、時代はツエンの思うままにならなかった。乱世がいよいよ始まらんとしていた。
ダルファシル領で発生した領主と教会信徒との争いは、教会そのものと皇帝との争いへと発展し、実際に武力衝突にまで及んだ。
すでに皇帝ジギアスは、教会によって支配されていた領都ダルトメストを陥落させている。その勢いのまま総本山エメランスに攻め込むつもりであり、ナガレンツ領にも出兵の要請が来たのであった。
スレスは早速重臣達を集めた。老公ジビルもスレスのやや斜め後に座り、酒を舐めるように飲んでいた。
「集まってもらったのは他でもない。皇帝陛下より出兵の勅状を賜った。陛下からの要請である以上、お断りすることはできないと考えているが、ひとまず諸君らの意見を聞きたい」
スレスは言葉を選びながら慎重に言った。すでに出兵要請には応えるつもりいるらしいが、わざわざ重臣会議を開いたということは、何か引っ掛かりがあるのだろう。
『要するに迷われているのだ……』
自分の判断を補強したい。スレスはそう考えるのだ、とツエンは判断した。だから老公にも臨席を願ったのだろう。
「畏れ多くも陛下よりの勅状が下りました以上、兵を出すのは自明のことでありましょう。すみやかにお応えなさいませ」
ノイエンがすぐさま口を開いた。三家老の残りの二人も同じような意見を述べ、各行政局長達も異論を挟まなかった。ただ一人、ツエンだけは口をへの字に結んで、瞑想するように目を閉じていた。
「そうか。皆は出兵には賛成か。では、出兵するにしてその規模はどうする?それに誰を主将とするのだ?」
スレスが問うと、今度はすぐに口を開く者はいなかった。誰しもが探るような目で他人を見ている。誰しもが出兵については諾としたが、具体策になるとさしたる意見など持ち合わせていなかった。
「待て待て、まだ一人意見を言っていないぞ」
ずっと無言で会議の成り行きを見守っていた老公が発言した。
「ガーランド。お前はどう考えている?」
すべての耳目がツエンに向けられた。ツエンの腹は決まっているが、どのようにして言うべきか問題であった。
「ふん。こやつのことだ。どうせやめるべきだと言うのだ」
この不敬者が!とノイエンが捲くし立てるように毒づいた。ツエンは動じることなく、自分の考えをまとめた。
「どうなんだ?ガーランド」
「出兵すべきでありましょう」
おそらく多くの者が驚いたことだろう。神託戦争の出兵には猛反対し、それが理由で謹慎していた男が今度は賛成に回ったのである。スレスも口をぽかんと開けていた。
「はっ!これは妙なことだ!神託戦争の時は猛反対していた貴様が、今度は賛成だと言う。一体どのような心境の変化か。無節操な話ではないか!」
猛然とノイエンが噛み付いていてきた。ツエンは失笑するしかなかった。
「妙なことはご家老のほうでありましょう。ご家老も私と同様、出兵に賛成であるならそれでよろしいではありませんか?わざわざ私の変節をお責めになる必要はありますまい」
何だと!とノイエンが立ち上がった。
「やめねえか。領主の御前だぞ」
老公がどすの聞いた声で言った。ノイエンは気まずそうな顔でツエンのことを睨みながら着席した。
「ガーランドの言うとおり、重臣達の意見がこれで揃った以上、異論はあるまい。しかし、私としてはガーランドが出兵に賛成する理由を後学のためにも聞いておきたい」
どうだ、とスレスが促した。
「神託戦争の時は皇帝陛下とシュベール家の権力闘争、謂わば帝室内部の私戦であると申し上げました。しかし、今回は違います。皇帝陛下と教会。双方とも帝国の社会構造の根本をなすもの同士の対立。単なる権力闘争とは違い、社会秩序が乱れ、崩壊を意味するのです」
「ふん!お得意の乱世か!」
ノイエンが再び毒づいてきたが、同調する者がいなかったのでそれ以上は何も言ってこなかった。
「ガーランドの言うことは理解できる。しかし、その説を是とするなら、出兵に出ないほうが良いのではないか?」
「スレス様の仰るとおりです。しかし、乱世は始まったばかりです。その空気というものに触れておくべきなのです」
これを説明するのは難しい。あえて説明するとするなら、たとえば二百名の兵士が乱世に触れてナガレンツ領に戻ってくれば、彼らをとおして乱世が来ると言う空気が領内に広がり、乱世に向けての領民の精神的な挙国体制ができるということである。だがそこまで詳しく説明するつもりなかった。このような考えは説明したところで、またノイエンが噛み付いてくるだけであった。
「スレス様。主将が私がやりましょう。二百の兵をお貸しくださいませ」
ツエン自身、乱世の空気に接したかったから主将に名乗り出た。
「いや、私自身が行こう。ガーランドは私の補佐としてついてきて欲しい」
「スレス様!」
これには他の家老達も声を上げた。
「それは危険でございます。しかも二百程度の兵では……」
と言ったのは会議でもめったに意見を言わないマシュー・ゲンビルであった。マシューが危惧するのも無理なかった。スレスは未婚で、当然ながら子もいない。彼が老公の養子である以上、他に領主たる資格を持った男児はおらず、スレスが死ねばマノー家は断絶してしまう可能性もあるのだ。
「ほう。ゲンビルは私が武運拙く戦場で死ぬと?私の武芸も見くびられたものだな」
「そ、それは……」
領主にそう言われれば、マシュー程度の人物では沈黙せざるを得なかった。
「義父上、留守をお願いいたします」
「分かった。間違っても皇帝陛下が負けるはずもないが……ガーランド、よく補佐しろよ」
「ははっ」
ツエンは上座に向って平伏した。
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