外伝Ⅰ 朝霧の記~その11~

 ナガレンツ領南部は行政区画としては二つの町と八つの村で構成されていた。稲作と米による醸造酒の生産地であり、同時に治世上の難地とされていた。


 理由はナガレンツ領の成り立ちになった。もともとナガレンツ領南部は他家の領地であった。しかし、二十年ほど前にその家が不祥事により断絶し、ナガレンツ領に併呑されたのである。だから生粋のナガレンツ領の領民ではなく、未だにマノー家に対して反感とまではいかないものの、従順に馴染もうという精神風土が南部の領民にはなかった。


 その南部で問題が現在進行形で発生していた。前任の監理官が複数の村の村長と共謀して領主への租税を多めに徴収し横領していたのである。それが発覚し、怒った村人達が監理長の邸宅を襲い、取り潰してしまったのだった。幸い死者こそでなかったが、村人達は不正をしていた村長達を拘禁したままの状態が続いていた。前任の監理官は領都へ逃げていたが、そこで職を解かれていた。


 「前任の監理官を拘束しろ。そして一緒に南部に来てもらう」


 ツエンは南部に出立する前にそう命じた。前任の監理官を牢馬車に押し込め、それを伴って南部の中心地であり、監理官の邸宅があったツオの町へと向った。


 領都を立つ前に、三家老のひとりイギルは、ある程度軍勢を連れて行くように助言した。


 『南部は殺気立っている。いざという時にために手勢を連れて行くべきではないか?』


 武力鎮圧も辞さない覚悟が必要である、とイギルは説いたが、ツエンは無用のことだと退けた。


 『非は村長どもと前任の監理官にあるのは明白。であるのに、非のない村人達を沈静させるのに武力をもって挑めば反発するのは必定。同時に武人としての名折れ』


 ツエンはそう判断し、わずかな下僚だけを連れてツオに入った。


 ツオに入ったツエンの行動は迅速を極めた。すぐさま不正を働いた村長達の引渡しを村人達に要求した。


 「すでに前任の監理官はこのとおり拘束している。不正の真実はお前達の働きのおかげで白日ものとなった。裁きはお上が下す。村長どもを引き渡せ」


 村人達は最初、引き渡すことを拒んだ。


 「領都の役人など信用できるか。現に前任の奴は不正していたじゃないか。あんたも領都の役人である以上、そいつを庇うんじゃないだろうな!」


 村人達には領都に対する不信感があった。それはマノー家に対する反感でもあっただろうし、そういう感情をツエンは否定しなかった。


 「今まではそうであったかもしれないが、俺は違うぜ。誰であろうと天下の法に反した者は処罰する。ご領主でも処罰する」


 ツエンは堂々と宣言した。この言葉に村人達は軟化した。今度の監理官は話せる、と判断した村人達は村長達をツエンに引き渡した。


 これですべてが終了、と思いきや、ツエンは村人達にこう言い放った。


 「お前らもよろしくない。村長や監理官が不正を働いたのなら領都に訴えるべきであった。そのための役所も領都にはある」


 ツエンは村人達の罪を問うたのである。


 「ましてやお前達は公共の建築物である監理官の邸宅を破壊した。これはれっきとした罪である」 村人達が呆然としたのは言うまでもない。話せると思っていた男が急に自分達の罪を糾弾してきたのである。だが、ツエンの指摘は法に照らせば尤もなのである。


 「そ、それは申し出たところでお取り上げいただけないと判断して……」


 「領都の役人は節穴じゃない。それに俺がいる。俺はどんな不正であっても許さない。必ず法の下で処罰する。そう宣言したはずだ」


 ツエンの理論と凄みのある弁舌は村人達を黙らせた。抗ったところで理屈では勝てないし、気迫でもツエンは村人達を圧倒していた。それを承知した上でツエンは続けた。


 「しかし、お前達の言い分もあるだろう。元来、公共の建築物を破壊した罪は重いものだが、今回の不正事件を明るみにした功績もある。よって、お前達の労役によって監理官の邸宅を建て直すことを処罰の代わりとする」


 この判決には村人達は胸を撫で下ろした。下手をすれば死罪もあり得た事案であっただけに、ツエンの処置はあまりにも寛大であった。


 『やはり今度の監理官は理解がある』


 村人達はそう思うようになり、彼らのツエンに対する信頼度は初手から大きくなった。こうして南部で発生していた問題は、わずか一日で解決することになった。




 それからツエンは監理官として南部地方で大胆な改革を行っていった。いずれ家老になった時、ナガレンツ領全体で行うつもりでいる改革の試金石にするつもりであった。


 まずは農作物や特産物の生産を奨励したことであった。奨励するだけではなく、公金を使って低利子の融資を行い、事業の拡大を積極的に推し進めていった。


 『余剰精算した分は商人に売って現金に換えるといい。商人達はそれを高く売ってくれ』


 とりわけ醸造酒とナガレンツ織には力を入れた。本当に帝国全土で通用する特産品になるか試してみたかったのである。商人達曰く、売上は上々らしいが、人気商品として定着するにはまだまだ時間がかかるとのことだった。


 経済政策だけではなく、ツエンの改革は多岐に渡った。その中でもツエンが重要視したのは治安面であった。


 『治安を維持せねば、経済的に裕福になっても意味がない』


 そのためツエンは賭場や娼館を全面的に廃止した。これらは犯罪の温床になるだけではなく、賊徒の資金源になるので、一掃することにした。これで賊徒どもを検挙する一方、それらを商売にしていた堅気の連中には金を貸して他の商売に転向させた。


 さらに夜間の外出も禁止した。これについては挿話があった。


 ある日、夜間警備をしていた役人が人影を見止めて誰何した。


 「何者である!すでに監理官より夜間外出の禁が出ているぞ!」


 松明を向けてみると、それは監理官であるツエンであった。ツオの郊外視察に出ていて、帰るのが遅くなってしまったのだ。


 「これは失礼しました!」


 役人が驚き、恐縮したのは言うまでもない。よりにもよって相手はその監理官なのであった。だが、ツエンは真っ青になっているその役人を宥めた。


 「いや、これは俺が悪い。何人であろうと夜間外出の禁を破った者は拘束され、罰せられるべきだ」


 俺を拘束しろ、と役人に命じた。役人は震えながらもツエンに縄をかけた。その後、ツエンは自らに罰金と五日間の無償労役を課した。この話はナガレンツ領全体にも広がり、ツエンの名声をあげることとなった。

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