外伝Ⅰ 朝霧の記~その6~

 翌日、ツエンは三家老に対して遊学の願い出を出した。時を置かずして三家老の一人であるイギル・ギルギスから呼び出しを受けた。


 「久しいな、ツエン。謹慎が解けたと思ったら、遊学願いとは……。どういう気だ?」


 イギルは、三家老の中で一番若く、ツエンとほぼ同年代であった。それだけに三家老の中では比較的ツエンに好意的で、彼が応対に出たのもそのためであろう。ツエンはそう推測した。


 「何分、役職に戻れという沙汰もございませんので、見聞を広めてまいろうと思いまして……」


 ツエンは建前的なことを言った。本心を言えば、この若い家老は卒倒するだろう。


 「そ……それは、まだお前に相応しい役をどうするか、考えがまとまっておらず……」


 嘘が下手な人だ、とツエンは思った。きっとツエンのことなどを考えている余裕など、まるでないのだろう。


 「だとすればなおのこと。私がいなくとも困ることはないでしょう」


 いや困る、とイギルは吐息を吐くように言った。


 「老公が仰るのだよ。ツエンを野放しにするなと」


 「老公が?」


 意外であった。老公が自分を気にかけていたというのは本当に意外であった。


 「あれは虎か何かの禽獣だ。檻に閉じ込めておけと」


 「ははぁ。禽獣ですか」


 ツエンは褒められていると思った。少なくとも犬や猫とは思われていないらしい。


 「ならばその虎に相応しい檻を早々にご用意ください。父からはガーランド家の跡取りが無職では示しがつかんと怒られております」


 「善処しよう」


 イギルがそう言ったのは、せめてもの彼の好意であると思われた。




 しかし、その夜遅く。領主の館から使いがあった。老公がツエンに会うと言ってきているのだ。


 「老公が?」


 すでに寝巻きの状態であったツエンは衣服を改めた。そして急いで領主の館へと馳せ参じた。ツエンはすぐに老公のいる部屋に通された。


 老公がいたのは寝室であった。すでに寝巻き状態で、ソファーに腰掛けながら酒を飲んでいた。


 「来たか。座れ」


 老公はツエンが入ってくると、鋭く一瞥した。多くの家臣達はこの一瞥を受けただけで震え上がるものだが、ツエンは平然としていた。


 「失礼します」


 「飲むか?」


 目の前の机には、ナガレンツ領産の米で作られた醸造酒の瓶が置かれていた。これもナガレンツ領ならではの物産で、後になってツエンが帝国全土に売り出し知られることとなった。


 「いえ、酔うと何を言うか分かりませんので」


 「ふん」


 老公は自らのグラスに酒を注ぎ、一口飲んだ。


 「一体どういうつもりだ?折角謹慎を解いてやったのに遊学だと?」


 「それはご家老様に申し上げたとおりです。仕事がなく暇なので、少し勉強しようと思っただけです」


 「お前の勉強は帝国をふらつくことか?」


 そうですとも言えず、ツエンが苦笑していると、まぁいい、と老公も苦笑した。


 「これでも儂はお前を評価しているんだぜ。儂や家老達に対しても物怖じせずに文句を言う。そういう気骨を持った奴はお前しかいない」


 老公は空になったグラスを手の中で弄ぶように転がした。


 「神託戦争での派兵を反対した時のお前の鋭さは、まさに虎の牙だ。だが、一方で役職がないからといってまるで隠居爺みたいな生活を送り、また遊学に出たいなど言う。お前の本性が虎なのか猫なのかまるで分からん」


 その両方だな、と内心思った。もし世が乱れる兆しがなければ、ツエンは昼行灯を決め込んでいただろう。しかし、不幸にして世は乱世に向おうとしていた。ツエンは虎にも龍にもならねばならなかった。


 「虎でも猫でもよろしゅうございます。それは老公がお選びください」


 「ふん。言いやがるな。勝手にせい」


 老公は呆れたと言わんばかりに投槍に言った。

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