天使と悪魔と人と
天使と悪魔と人と①
天界と思われる巨大な岩石は、曇天から姿を見せると落下速度を緩め、やがて停止した。ちょうど帝都の上空に停滞するように浮かんでいた。
サラサは一時的に軍を後退させた。あまりに唐突で想像を超えた出来事に、兵士達の動揺は激しかった。
『各将軍は兵士達の動揺を収めてくれ。いずれ私から声明を出す』
サラサはそう命令を出したが、他ならぬサラサ自身も動揺していた。だが、表向きは平静を装わなければならないのがサラサの辛さであった。
「すぐでにもシード達が帰ってくるよ」
サラサは周囲の者にもそう言い聞かせた。実際のところ、今は待つしか方法がなかった。サラサの期待どおり、シード達がサラサの本陣を見つけて帰ってくるのにはそれほど時間がかからなかった。ラピュラスが出現して半時ほど後のことであったが、サラサにとっては半日とも丸一日とも思える時間であった。
シード達はいきなり上空からサラサ達の前に降り立った。突然の天使―エルマは翼を出現させていないが―に兵士達はざわめいた。流石のアルベルトも口をあんぐりと開けていたが、気にしている場合ではなかった。
「何が起こっているんです?」
サラサは、視線をエシリアに合わせた。この中で一番冷静に説明できるのは彼女しかいないだろうと思った。
「端的に話します。実は……」
エシリアは天界で起こったことを簡潔に話した。ガルサノの天界での実権掌握と人間界支配への野心。そして天帝の暴走。どの話も眩暈がするほど目まぐるしく、事実として受け止めるにはあまにも重大な事実であった。
だが、同時に憤りも感じた。天界で何が起ころうと知ったことではないが、人間界を支配するなど許せることではなかった。
「馬鹿げた話だ。そもそも私は支配という言葉自体好きじゃない。仮に人の生活に支配というものが必要であるとするなら、それは人によってなされるべきだ」
「ご高説尤もだがね、サラサ様。俺には分からんことだらけなんだが……」
珍しく困り顔のアルベルトが、口を挟んできた。
「一から説明していると長くなる。終わったら説明してやるから、今は目の前の事態に備えてくれ」
正直、これまでの天使と悪魔に関わる経緯を整合性をもって説明する自信がなかった。それほど事態は複雑になってきたし、サラサも対応に苦慮していた。
シード達が帰還して半時ほど経った。事態を静観していたサラサ達の前に異変が発生した。帝都の上空、天界が浮かぶあたりに巨大な人影が浮かび上がった。
「何だ、あれは?」
サラサだけではなく、軍の誰しもがそれに気がついただろう。再びどよめきがあがった。
「あれがガルサノです。どうやら幻術で姿を映し出しているようですね」
「あれがガルサノ……」
エシリアがそう教えてくれた。すべての元凶とも言うべき天使。いかにも知性を鼻にかけたようないけ好かない面構えをしていた。
「人間諸君、私はガルサノ。天界を支配する執政官の首座である」
喋り方も高圧的であった。
「争乱を繰り返す人間諸君。もはや貴様らに地上世界を支配するのは不可能だと判断した。よって私、天使であるガルサノが新たに支配することにした」
ガルサノの演説内容は、エシリアが語ったそれと差異なかった。もはや急転する事態への混乱や恐怖などなかった。ガルサノへの嫌悪と怒りだけがふつふつと沸騰してきた。
「私は天使である。天使ならばよりよく世界を導ける。だから無駄な抵抗などせず、私の支配を受け入れることだ」
そこでガルサノの映像が消えた。さざ波のようなざわめきが陣中に広がっていった。サラサは瞬間的にいけないと思った。この動揺が拡大すると結束されたサラサ軍が崩壊するだけではなく、本当に人間がガルサノの支配を受け入れることになってしまう。
「エシリア様、あなたにもあの映像を出す魔法つかえますか?」
「ええ……造作も無いことですが……」
「私を映し出してください、早く!」
ええ、とサラサの気迫に押されたエシリアが手を翳した。サラサの足元に光で描かれた魔法陣が出現し、そこからすっとサラサの幻像が上空へと伸び上がっていった。
「全員聞いて欲しい!帝都にいる人々もだ。私はサラサ・ビーロス。諸侯同盟の代表を務めている」
自分の声が響いている。不思議な感覚であったが、サラサは続けた。
「さっき、どこかの天使が人間界を支配すると言っていたが、私から一言言わせて欲しい。ふざけるな!」
サラサは演説が下手であった。それだけに言葉が実直で、だからこそ民衆の胸を打つのだ、と後日アルベルトなどは語っている。今のサラサの演説はまさにそれであった。
「人民が支配を受け入れるとするならば、それは人であるべきだ!これまでは私達は天帝、天使を敬愛し、信仰の対象としてきた。その気持ちは今も変わらぬつもりであるが、高圧的な支配を受けるのとそれは別物だ」
周囲がしんと静まり返し、サラサの声だけが響いた。
「人は人の政治によって生きていく。それは当たり前のことだ。天使の支配など知ったことじゃない。もし、人としての当然の生活を害する者があるならば、私は先頭に立ってそのもの達と戦うだろう。私の考えに賛同する者は、ついてきて欲しい」
以上だ、と言って、エシリアに幻像を消してもらった。
「サラサ様!万歳!」
「サラサ様と供に戦おうぞ!」
間髪容れずアルベルトとジロンが叫んだ。それが潮となり、各所で同じような叫びが広がっていった。
「サラサ様!万歳!」
「サラサ様こそ、人民の支配者であるべきだ!」
「サラサ様と一緒に戦うぞ!」
勝ち鬨も上がり、サラサ軍は戦勝したかのような雰囲気に変貌した。
「軍を前へ!帝都を目指すぞ!」
サラサは手を振り上げて、指先を南へを向けた。その先には帝都とその上空に浮かぶ天界があった。
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