大将軍②

 さて、そのバーンズである。彼はシーファ、スフェード領で敗北した後、遥か後方に下がって敵と対峙していた。積極的に攻勢しなくても、こうして対峙していれば敵をひきつけておくことができる。バーンズの意図はそこにあったのだが、まさかサラサが全軍を持ってエストブルクへと引き返したとは夢にも思っていなかった。


 だから、ジギアスの敗北を知った時、バーンズは仰天した。そして、サラサが取った作戦を知るに及んで愕然とするしかなかった。


 『サラサ・ビーロスは鬼神か……』


 勝てるはずもない。バーンズは、よくこれまで正面きって戦って無事にいられたものだと自分の幸運に感謝するしかなかった。兎も角も、バーンズは撤退するしかなかった。


 撤退する過程でバーンズは、領主から徴収した兵士達については現地で解散させた。その方が兵糧を無駄にすることがないと判断したからだった。


 『ひとまず陛下のご無事を確認することだ……』


 だが、撤退中のバーンズにさらなる悲報が飛び込んできた。帝都においてジギアスが自害し、フェドリーが即位したという知らせであった。


 「なんたることだ……」


 バーンズは全身の筋肉が弛緩するのを感じた。持っていた書状をはらりと落とし、しばし呆然としていた。


 「閣下……いかがなさいました」


 副官のキリンスが尋ねてきたが、バーンズはすぐには答えられなかった。失礼と言って書状を取り上げたキリンスもその内容を読んで絶句した。


 「……閣下……」


 「なんたることだ。陛下がお亡くなりになられるとは……あの勇猛果敢な陛下がご自裁とは……」


 信じられぬことであった。バーンズから見ても、ジギアスは自害するような人物ではなかった。


 「閣下。これは国務卿による謀殺でありましょう」


 キリンスは断定的に言った。バーンズもそれを考えないでもなかった。ジギアスが自害する可能性と、レスナンがジギアスを謀殺する可能性。どちらが数値的に高いかというと後者であろう。皇帝と国務卿、二人を知るからこそ、そう判断できた。


 「急ぎ帝都に戻りましょう。事が事だけに帝都の治安も不安です」


 尤もだとばかりにバーンズは頷いた。もしバーンズの陣営にアルベルトのような策士がいれば、


 『帝都に急ぐ必要はありません。相手を焦らしてバーンズ様の新政権における価値を高めるべきです』 


 と耳打ちしたであろう。この時点で、バーンズの価値は確かに高かった。


 幼帝を擁するレスナンには戦力と呼べるものが少なく、後に接触してくるイーライもバーンズが抱えている帝国直轄軍を欲していた。そしてまたサラサも、バーンズを仲間に加えたいと思っていた。バーンズがその気になれば、彼自身も皇帝を擁し、新勢力となることも可能であったろう。あるいは実質的な軍事力を持っている点では、最も有力な勢力になり得たかもしれない。しかし、バーンズの陣営には真面目な者達しかおらず、そのような策謀とは無縁であった。


 帝都へと急ぐバーンズであったが、足を止めざる得ない事態が発生した。イーライが皇帝を名乗り決起したという情報を得たからであった。そしてその半日遅れで、イーライの使者がバーンズの下にやってきたのだった。


 「ぜひとも大将軍に置かれましてもイーライ陛下のもとで新秩序の構築にご尽力いただけますように……」


 使者としてやってきたのは、レシャール子爵であった。イーライのベニール家とは縁戚関係にあり、領地も隣同士であった。それだけにイーライの蜂起に期するものが大きいのだろう。


 「そうは申されても帝都には先帝の遺言に従いフェドリー様が帝位を継いだのこと。天下に二帝ありとなれば、私としては当惑せざるを得ません」


 レシャールと面会したバーンズは流石に冷静になっていた。勇んでどちらに味方するという明言を避けた。


 「そのことでございますよ。国務卿は先帝を謀殺なされ、自らに都合のいい幼帝を僭称したに過ぎません。証拠として先帝の葬儀が大葬ではなく密葬となったのこと。これこそ国務卿に後ろめたいことがある証左ではないですか」


 確かにジギアスの葬儀が皇帝らしい大葬ではなく、密葬であったことはバーンズも引っかかっていた。レスナンが早々に先帝の存在を消し去りたいがためなのだろう。だからと言ってイーライ陣営に身を投じる気にもなれなかった。


 「しかし、イーライ様は決起なさる時にご尊父であるサドラー様を殺害されたとのこと。サドラー様は先帝も敬意を払われていたお方。それに自らの父親を殺すということも考の精神から大いに逸脱する行為。皇帝に相応しい行いとは言い難いのではないでしょうか?」


 痛いところを突かれたばかりにレシャールが顔をしかめた。


 「それは……天下が乱れる中、これを治めようと心を鬼にして……」


 レシャールは弁明するが、弁明になっていなかった。


 「ひとまずお引取り願おう。不肖、先帝よりご恩を賜った身としては、その威徳を忘れえぬ間は新帝にお仕えするのを躊躇わざるを得ません」


 「大将軍。イーライ陛下は大将軍につきましては同等の地位を……いや、さらなる高みの地位もご用意しておりますぞ」


 「地位のことではありません。ひとまずお引取りを」


 バーンズは頑なに誇示した。レスナンからは書状が来ていたが、これについても返事をしていない。いずれ再度接触があるだろう。それからでも遅くないとバーンズは思っていた。

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