天帝⑥

 「オーディヌスは見るからに衰弱していった。すべては魔力を搾り取った結果であったわけだ」


 翼の羽は抜け落ち、肉は骨から削げ落ちていったという。まさに今の天帝の姿である。


 「執政官どもは大いに焦った。当然であろう。自分達が言い出したことの結果によって、自分達の権力の象徴である天帝が死なんとしているのだからな。そこで執政官どもは考えたのだ。これまで永年に渡り、『祝福の儀式』で人間達から採取してきた魔力をオーディヌスに与えてみればどうかと……」


 「『天帝の果実』と呼ばれている奴ですね」


 エシリアはその名称こそ知っているが、実物は見たことないし、どのように運用されているかも当然知らなかった。


 「そうだ。それまでその魔力は主にラピュラスを浮遊させるために使っていたのだが、それをオーディヌスの延命にも振り分けることになった。当初はそれで賄えていたが、次第にオーディヌスが劣化する速度に付いていけぬようになってしまった。いかにオーディヌスを延命させるか、それが歴代執政官どもの最大の命題になってしまったのだ」


 本末転倒というやつだな、とメトロノスは呟くように言った。


 「天帝と呼ばれる存在が執政官、さらに言えば天使の権威を裏づけているのは確かだ。しかし、執政官の政治そのものが天帝を生かすためだけに機能するようになってしまった。これほど愚かなことはなかろう」


 そう思うわんか、と問われたので、エシリアは首肯した。


 「そこで起きたのが人間達の言う神託戦争だ」


 「神託戦争ですか?」


 「ふむ。執政官どもは考えたのだ。『祝福の儀式』だけではオーディヌスを生かすだけの魔力を供給することができない。それならば未だ魔界にいるであろう悪魔から魔力を奪えばいいのだ、と」


 エシリアはエルマを見た。エルマは呆然とした面持ちで視線を彷徨わせていた。


 「では、神託戦争は執政官達によって引き起こされたのですか?」


 「そういうことになる。教会の巫女が悪魔が復活する悪夢を見たというのは偶然だ。しかし、それを知った執政官どもが教会を通じて『これは魔界への門が開かれるという神託だ』と皇帝に密訴し、神託を利用したのだ。皇帝にわざわざ密訴したのは、実際に魔界への門が開かれるとなると人間達の協力が必要となってくるからだ。しかし、そのような執政官どもの思惑を知らぬ皇帝は、帝国全土に強権を示したかったから、まんまと乗っかったというわけだ」


 「神託戦争にそのような裏事情が……」


 「しかし、これは失敗した。執政官どもも魔界への門の開け方を知らなかったし、人間達が戦争を始めてしまったからな。悪魔どころの騒ぎではなくなってしまったのだよ」


 エシリアはもはや呆れるしかなかった。天使を統べる執政官がここまで愚かで救いがたい存在であるとは思わなかった。


 「しかし、これによりオーディヌスは死期を悟った。と言うよりも、これ以上生きていてはならぬと思ったのだろう。己という存在がどれほど天使と人間にとって害悪になっているか。オーディヌスはそう悔い始めたのだ」


 真面目な男であるからな、とメトロノスは懐かしむように言った。


 「オーディヌスはその力を二つに分かつことにした。ひとつは人間界に。そしてもうひとつは通常の天使なら及ばぬ世界に」


 「まさか……」


 「ユグランテスという天使は先天的か魔力が乏しかった。まさしく天帝の力を収めておく器としては最適であったわけだ」


 「では、やはりシード君はユグランテスなんですね?」


 エシリアは喜びで打ち震えそうであった。当初からシードをユグランテスであると言い続けてきたエシリアは間違っていなかったのだ。


 「オーディヌスは地上に下りていたユグランテスに目をつけ、力を授けた後、記憶を封印した。ユグランテスが天使であることすら忘れさせるためにな」


 「僕が天帝様の力を……」


 シードにとってはそちらの方が驚きだったのだろう。声が震えていた。その驚きをエシリアは察することができなかった。


 「左様。もともとオーディヌスの力の象徴たる翼は十四枚あった。そのうち四枚を残し、八枚をユグランテスに託した。そして残る二枚は……」


 メトロノスが言いよどむ様に言葉を切った。しかし、エシリアにはその言葉の先の予想はついていた。


 「大方察しておろう。残る翼二つ分の力は、魔界へと送ったのだ。エルマ・ジェスダークという悪魔にな」

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