天帝④
「天帝。そなたらはそう呼ぶが、どうにも馴染まんな。やはりオーディヌスという名がしっかりとくる」
メトロノスの言葉にはっとしたエシリアは、なんとか我に返った。
「はん。名前なんてどうでもいいよ。天帝って言ってもただの骸骨だったんじゃないか。へへ、これはお笑いだな」
エルマはけけっと笑った。なんたる不敬かとエシリアは怒りを覚えたが、あれが天帝と言われれば、エルマに対して強く反論することはできなかった。
「そうだな。天帝などと尊ばれても、年月が過ぎればただの骸と化す。それは自然の摂理。ふむ、色々と質問もあろうが、ひとつ昔話をしようか」
「昔話ですか……」
エシリアは骸となっていた天帝を見上げた。天帝と呼ばれ尊ばれた天使がこのような無残な姿になるのだから、気が遠くなる過去の話に違いない。
「そもそもお嬢さん方は不思議に思ったことはないかね?天使と人間、そしてそこにいる悪魔。三つの種族は羽根と魔力の有無こそあれ、非常によく似ていることを」
確かにメトロノスの言うとおりである。天使と悪魔と人間。いずれも生物学的にはほぼ同じ形状をしている。天使が翼さえ隠せば、人間の中に交じってもまるで違和感がないのは、エシリアも体験している。
「まさかとは思いますが、天使も悪魔も人間も、もともとは同じだったんですか?」
エシリアもエルマも口に出せずにいたことを、シードははっきりと言った。
「ほほ。明敏な少年だ。流石と言うべきかな。千年前、天使と悪魔と人間、そんな区別はなかった。ただひとつの種族、白い翼を持った有翼人がいるだけであった」
メトロノスの言葉は衝撃的であった。しかし、今更エシリアは驚かなかった。エシリアの感覚は完全に鈍化していた。
エルマはどうであろうか?横目で様子を伺ってみると、エルマは彼女らしくない真面目な顔でメトロノスの次の言葉を待っているようだった。
「千年前の聖戦。天使と人間が共闘して悪魔を魔界に封印した戦い。そう教えられてきただろうが、それは真実ではない。有翼人達の醜い戦争が繰り広げられているだけであった。そうさな。本当に醜い戦いだった。同じ種族であるにもかかわらず、貧富の差や、住み地域、主義主張が異なるだけでここまで争えるのかと震えるほどであった」
「今の人間達と変わりませんね」
そういう言葉しか出てこなかった。メトロノスは、エシリアの言葉には応じず続けた。
「しかし、英雄が登場した。それがオーディヌス、天帝だ。オーディヌスは、それまでの有翼人が持ち得なかったほどの強大な魔力を持ってあらゆる敵を屈服していった。そしてやがて天下を統一したのだ」
天下を統一。そのような言葉は、エシリアの知るあらゆる歴史書には載っていない言葉であった。悪い悪魔を天使と人間が手を組んでやっつけたという聖戦らしさはまるでなかった。
「だが、天下を統一しても世界が変わることはなかった。勝者であるオーディヌスの一派と、戦争によって魔力が枯渇し翼を失った者達、そして敗者。戦後の有翼人はその三つに区別され、それぞれが徒党を組み、新たな身分階級となってしまったのだ。それらの階級は、オーディヌスという絶対的な力によって抑え込まれているが、いずれはこの身分階級が火種となって、またあの凄惨な戦いの時代が繰るのではないだろうか。オーディアヌスはそう考えた」
ありそうなことだとエシリアは思った。今の天使達の状況を考えれば、階級闘争など普通にありえることであった。
「オーディヌスは決意した。勝者である自分達は天使として天上界へ移り住み、翼を失った者は人間として地上に残し、敗者は悪魔として世界の端へと追放した。これが天使と悪魔、そして人間にまつわる聖戦の真実だ」
ひとつの真実が判明した時点で、エシリアはシードとエルマの表情を窺った。シードはまるで学校で授業を受けている生徒のような真剣さであった。片やエルマは俯いていて様子は窺い知れなかった。
「オーディヌスはその力を使って天界、要するにこのラピュラスを作って天使達を住まわせた。そして地上の政治は人間となった者達に委ねた。地上の政治を司る皇帝には、我々と共に戦いながらも魔力を失ってしまったガイラスがその地位に着くことになり、人間と天使の間を取り持つための教会が作られた」
「教会は天使様を信仰するためのものだったと思っていましたが、本を正せば天使様が自ら作られたのですね」
と言ったのはシードであった。
「ほほ、妙な話であろう。だが、教会には重要な役割があったのだ。お分かりになるかな、少年?」
「信仰を持って人間界を安定させるためですか?」
「ふむ。人間界ではそうなっておろう。教会の役割としては間違いではないが、最も重要だったのは、地上に残った元有翼人達から魔力を抜き取ることだった」
「『祝福の儀式』ですね。人間から生まれる微弱な魔力を抜き取るのが目的だとは知っていましたが、そうですか……人間が魔力を持っていたのも、元々は私達と同属だったからなんですね」
エシリアは嘆息し、今の今まで人間が魔力を持って生まれてくることを疑問に思わなかった自分を恥じた。
「無理からぬことよ。そのように教えられてこなかったわけだからな。さて、こうしてオーディヌスは天界、人間界、魔界を組織して、自らはこのラピュラスに地下に籠もり、あまりあまる魔力を封印することにした。要するに隠居だな。実務は他の天使達に任せることにした。それが天界院と執政官の始まりであった」
「お言葉を挟んで申し訳ありませんが、メトロノス様はどうしてこのような形に……」
エシリアは姿なきメトロノスに尋ねた。
「私の寿命は聖戦から二百年ほどで潰えた。聖戦を戦った天使の中ではオーディヌスを除けば最後のひとりであった。オーディヌスは寂しかったのか、それとも己を管理させる者が欲しかったのだろう。肉体が滅びても魂だけを生かすようにしたのだよ。多大な魔力を使ってな。以来、私は天帝となったオーディヌスを見守る存在となって、魂のみ生きてきたのだ」
まぁそのことはよかろう、とメトロノスは自分のことは早々に話を打ち切った。
「オーディヌスの作った世界により、多少の騒がしさはあったものの、平和な時代が続いた。だが、五百年ほど前にその平和が打ち破られた」
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