エイリー川の戦い⑤

 「勝ったようだな」


 翌朝、日が昇っりきった戦場に足を踏み入れたサラサは、ため息をついた。自軍陣地にあがっていた炎は消し止められ、煙がくすぶっていた。そしてそこには皇帝軍将兵の死体が多く転がっていた。いや、この陣地だけではなく、ここからエイリー川より南側にかけて多くの敵将兵の死体が点在し、負傷兵が蹲っていた。幾度となく見た光景であったが、慣れるものはでなかった。胸がつまり、息苦しくなってくる。


 「負傷兵の治療を急がせろよ。敵味方関係なくだ」


 サラサは念を押すように命令した。敵といえども負傷者は味方と変わりなく助ける。これがサラサの方針であった。しかし、今回に限っては負傷者はほとんど敵ばかりであった。


 後に判明する数字であるが、今回の戦いで皇帝軍が動員した兵力は約二万。死傷者はその約三割にも及び、取り残された二割近い兵士がサラサ軍に投降してきた。実際に帝都に帰還できた皇帝軍は一万名をきっていたという。


 これに対してサラサ軍の動員兵力は約五千。死傷者はわずかに三十数名であり、死者は一桁であった。帝国の戦史上、損害率にこれほど開きのある戦いは他に例なく、サラサ軍の完勝といってよかった。


 「皇帝はどうした?」


 それがサラサの最も気にしていることであった。戦場で皇帝を倒してしまっては、帝国の分裂を招いてしまう。それだけは避けたかった。


 「敵の死傷者の中にはいないようです。確認はしておりませんが、南に向って逃走する金色の鎧武者を見たと兵士達は噂しております」


 ミラが報告した。


 「あの目立つ鎧だ。それで発見されていないのであれば、逃げ帰ったのだろう。それでいい」


 「了解しました。それと投降してきた兵士はどうしましょう。我が軍に参加したいという者も少なくありませんが……」


 「帝都に帰りたい者は帰らせろ。私達に協力したいというのならひとまずエストブルクに連れて帰ろう。それからだ」


 「はい」


 「今日一日ここに留まり、負傷兵と治療と遺体の回収を行う。その後、エストブルクに帰還する」


 そう命じたサラサは、これでひと段落ついたと思った。サラサが予測していたよりも大きな損害を皇帝軍に与えることができた。これでしばらくは皇帝は攻めて来れないだろう。皇帝の再度侵攻までは内政の充実に励むことができそうであった。




 後世の歴史家は、エイリー川の決戦は歴史を変えたと口を揃えて述べている。歴史を変えるとは歴史家の好きな言葉であり、サラサの一代記では度々でてくる言葉であった。確かに、この一戦は歴史を変えた。


 皇帝軍が無残に敗退すると知れると、近隣の領主達がこぞってサラサの勝利を祝賀し、誼を結んできたのである。シラン領の領主カーベストに至っては自らエストヘブンに赴き、主従関係を結びたいと言ってきたのである。当然サラサが主となる関係である。


 「私は別に天下を切り取り覇道を極めようとしているわけじゃありません。なので領土的野心もありませんし、他の領主を配下に治めるつもりもありません」


 サラサはカーベストをそう説得し、攻守同盟を結ぶということでカーベストを納得させた。


 これによりエストヘブン領、コーラルヘブン領以北の各領主はほぼサラサ派になった。その中にはサイラス教会領もあった。そのサイラス教会領から盗賊討伐の為に力を貸して欲しいという要請が来たのは、エストヘブンに帰還してしばらくのことであった。


 「サイラス教会領は例の事件に加え、皇帝の政策によって僧兵の数を極端に減らされ随分と困っているようです」


 ミラがサイラス教会領からの書状を読み上げた。それは要請というよりも、助けを請う悲鳴に近かった。


 「助けるのはやぶさかではないが、見返りとして資金を貰い受けるというのは拒否しよう。我々は傭兵集団ではないのだからな」


 サラサがそう言うと、ジロンが首を振って異を唱えた。


 「資金は受けるべきです。確かに我らは傭兵ではありませんが、慈善事業の集団でもありません。我らの兵力を利用されるだけでは面白くありません。利害関係はしっかりとしておくべきです」


 「それはそうだが……」


 「我らはエストヘブンとコーラルヘブンの二領に割拠し、これを維持するだけの存在です。もし、天下に対して秩序維持を宣言されるのであれば話は別でありましょうが……」


 挑むような視線をジロンが送ってきた。サラサはジロンの言わんとしていることが分かっただけに、むっと黙ってしまった。要するにサラサが天下に声望を求めるのであれば、無償で他領を救うのもありだと言っているのだ。


 「ジロンの言うとおりにしよう」


 サラサはジロンの提案を受け入れるしかなかった。




 サラサは自ら五百の兵を率いてサイラス教会領に向った。本来であればジンやネグサスといった将軍達に任せるようなことであったが、サラサは自ら望んでサイラス教会領を目指した。実はサイラス教会領にレンとガレッドが来ているということを聞いたからであった。サラサに盗賊討伐を依頼するようにサイラス教会領の司祭に薦めたのもレンであるらしい。


 久しぶりに友に会える、と意気揚々と出撃したサラサはわずか一日で盗賊を討伐し、レンとガレッドの待つ領都ドノンバに向った。


 「サラサさん、久しぶりです」


 領都で待っていたレンは司祭服も板についていて、少し大人びて見えた。


 「久しぶりだな、レン。おっさんも久しぶり」


 「お久しぶりでござる、サラサ殿」


 ガレッドはあまり変わった様子はなかったが、やはり着ている法衣は上等なものになっていた。僧兵の中でも高位になったのだろう。


 「サラサさんのご活躍、聞いておりますよ」


 「そうでござる。まさか皇帝の軍を撃ち破るとは……いやはや畏れいったでござる」


 二人からの賛辞は非常に照れくさかった。すぐ話を逸らすようにサラサは言った。


 「どうして二人はここに?」


 「視察でござるよ。例の事件以来、教会領も何かと落ち着かないでござるから、ひとまずは手分けして各教会領の回っているのでござる」


 「ふ~ん。なるほどな。で、シード達はどうしている?」


 「シードさん達なら、天界へ向いました。エシリアさんとエルマさんと一緒に」


 「天界に?」


 そういえばエシリアが二人を天界へと連れて行くと言っていたような気がした。


 「シードは兎も角、エルマの姉さんがよく付いて行ったな。相当駄々こねただろう」


 「それが結構素直だったんですよ」


 レンはかすかに笑いながら、その時のことを話してくれた。

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