深い森を抜けて⑥

 一方のバーンズも急ぎ南下していた。こちらは切実であった。もしエストブルクを占拠されれば、彼らはエストヘブン領でのたれ死ぬしかなかった。


 『この際、エストブルクに篭城するか……』


 エストブルクの市民を戦闘に巻き込むことはバーンズの本意ではなかった。しかし、軍の飢えという危機を直面にした現状では背を腹に変えられなかった。


 ちなみに、一応ルーティエにも要塞を出てエストブルクに向うよう命令を出しておいた。しかし、彼女が立て篭もる北の支城から部隊が出撃した様子はなかった。


 「最後の最後まであの女の我儘に祟られる!」


 キリンスなどはルーティエへの怒りを隠さなかった。バーンズも腸が煮えくり返る思いだった。しかし、今更恨み言を言っても仕方のないことであった。


 「必ずやこのことを皇帝陛下に申し上げて処罰してもらうべきです」


 「言うな、キリンス」


 「しかし、もとを正せば、北の支城にいるあやつが、敵が森林を抜けてきたのに気がつかなかったのが……」


 「キリンス。敵が北の森を抜けてきたとは限らんのだ。それに今はエストブルクへと辿り着くのが先決だ。余計なことを考えるな」


 「左様ですな……。もうすぐ兵站基地があります。そこで小休止しましょう」


 エストブルクへと急がねばならないが、兵は疲れているし、隊列も随分と延びてしまった。小休止ぐらいせねばなるまい、とバーンズも思っていた。


 だが、バーンズ達は恐るべき事態に直面することになった。辿り着いた兵站基地は敵に襲われ、食料は米粒ひとつ残っていなかった。


 『何たることだ……』


 バーンズは呆然とするしかなかった。帝国の大将軍がここまで手玉に取られるとは……。


 『敵が我々の行動を予想してここまでのことを行っているとすれば、まさに神算鬼謀というべきだろう……』


 バーンズはもはや敵に畏敬の念を覚えずにはいられなかった。相手の知能が神に類するものならば、バーンズなどが勝てる相手ではなかったのだ。


 「如何致しましょう……」


 「別の兵站基地へ目指そう。いや、それよりもエストブルクに向う方が早いか……」


 バーンズは判断に迷った。この逡巡も、神の知能を有する相手の前ではきっと小さなことなのだろう、とバーンズは自虐的に思った。




 この迷いがバーンズ軍をさらに苦境へと追いやった。命令が不徹底になり、兵糧が尽きてきた部隊などは勝手に兵站基地へと進軍していった。尤も、ほとんどの兵站基地はリーザ軍によって襲われ、兵糧は根こそぎ奪われていた。


 また命令に従っていた部隊も、疲労と空腹で進軍速度が鈍り、部隊間の隙間は広がり、隊列はばらばらになっていた。


 これはまずい、とバーンズが思った矢先、反転してきたリーザ軍が襲い掛かってきた。


 「分かっているんだろうな!この前の戦いの復讐戦だ!徹底的にやれ!」


 リーザは自ら先頭に立って切り込んできた。リーザ軍の猛攻は凄まじく、鎧袖一触で先陣が突き崩された。


 「まずい……」


 と思ったのは、軍の中程にいたバーンズであった。まずいどころではない。すでにバーンズ軍は軍団としての様相を呈していなかった。部隊間の連携がとれないほどその隙間は広がり、このままで敵の猛攻の前に各個撃破されるだけであった。


 「全軍停止しろ!我が部隊を中心に各部隊を集結させろ!」


 バーンズは各部隊に伝令を出した。しかし、多くの伝令は目的とする部隊がどこにいるのか分からず、平原を彷徨うだけであった。そして部隊の所在が分からないだけではなかった。一部の部隊は、リーザ軍に続いて森林を抜けてきたクーガの第三軍に襲撃され、壊滅していた。


 半日して近くにいた二つの部隊がバーンズの下に集まってきた。だが、その時にはすでにバーンズ軍は、リーザ軍とクーガ軍に挟まれていた。


 「クーガの爺さんが来たぞ!手柄を取られるな!」


 「リーザのお嬢さんが突き上げてくる。じっくりと構えて向ってくる敵を討てばいい」


 リーザとクーガ。対照的な性格の二人であるが、戦場では絶妙の連携を見せた。バーンズ軍の兵は瞬く間に減っていった。


 「閣下!もはやこれまでかと……早々に脱出を」


 事態はすでにバーンズも剣を振るうまでになっていた。キリンスが身を寄せ絶叫するが、バーンズは襲い掛かってくる敵兵をなぎ倒すのが精一杯であった。


 『私もここで死ぬか……』


 バーンズは覚悟を固めていた。大将軍という帝国三大閣僚の一角を任され、人臣の最高位を極めた以上、無様に負けておめおめと生きてはいられない。自分の無能ゆえに死んでしまった兵士に詫びる為にもここで死なねばならないとバーンズは決意していた。


 「キリンス。お前こそ離脱しろ。今までよく尽くしてくれた……」


 「何を馬鹿なことを申される。一度の敗北で死していては、兵家の命はいくつあっても足りますまい。当然私も離脱いたします。死んでいった者達の為にも、復讐の機会を待つべきです」


 バーンズはキリンスを見た。血糊で汚れた顔は悲壮感に満ちていた。ここでバーンズが退かなければ、キリンスも死を選ぶであろう。いや、キリンスだけではあるまい。必死に奮戦している兵卒達もこのままでは死の淵へと転落するだけであった。


 『やむ得ぬか……』


 バーンズにしては断腸の思いであった。そして決断した以上、速やかに命令を下さねばならなかった。


 「戦場から離脱する!全員密集して全面の敵に突撃しろ!」


 猛然と向ってくるリーザ軍に逆襲を仕掛けて怯んだ隙に離脱する。この作戦は成功するのだが、それでも多くの兵が手傷を負い、戦場を離脱できなかった者も少なくなかった。


 戦場を離脱したバーンズは、エストブルクにも戻ることができず、そのままエストヘブン領から脱出した。レンベルク要塞は陥落し、ルーティエは捕虜となった。エストブルクにいた守備部隊もバーンズが敗れ去ると知ると密かに逃げ出していった。エストブルクは無血開城となり、サラサ軍は歓呼をもって迎えられた。


 こうして第二次レンベルク要塞攻略戦は終了し、その結果サラサはエストヘブン領全土を掌握することになった。

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