苦悩②
エスティナ湖の戦いで勝利を得たサラサは、そのまま進軍せず、一部の兵力を残してカランブルに帰還していた。投降してきた兵士に加え、この勝利でサラサ軍に加わりたいと言うものも増えてきたため、その再編成をする必要があったからだ。軍幹部の中には追撃すべきだと主張するものもいたが、サラサはそれをやんわりと拒否した。
『勝手兜の緒を締めよだ。結成された我が軍は無理をしない方がいい』
などと言いながらも、サラサも追撃したい誘惑に何度も駆られた。だが、自軍の今後を考えれば、ここは一呼吸入れる必要があった。
『このまま追撃すれば、エストブルクを落すこともできるだろう。でも、急速に肥大した軍に比して上級指揮官が少ない。これでは今後戦えなくなる』
現在、サラサの指揮の下、軍集団を指揮できる人物といえば、ジロン、ジン、ネグサス、バロードしかいない。そのうちバロードは、コーラルヘブン領とカランブルの守りを担当しているので野戦軍の指揮官としては使えない。そうなれば野戦軍指揮官としては三人しかおらず、明らかに人手不足であった。
今後、エストヘブン領の広範囲にわたって戦いが行われる可能性もある。場合によってはサラサの指揮を離れ、独自の判断で軍事行動を取ることもあるかもしれないのだ。
『そうなれば適任は、ジロンしかいない。ネグサスもいいかもしれんが、そうなれば二人に代わる指揮官を探さないと……』
まさかこんなことで悩むことになろうとは考えていなかったサラサは、ため息をついた。戦場に出て戦術を練るよりも大変であった。が、光明がないでもなかった。見所があるのが二人ほどいた。
一人はクーガ・ウゼンという五十歳代の男である。もともとはコーラルヘブン領の山林で林業を行っていた地主であった。数十名の奉公人を指導あるいは指揮して仕事をしていたせいか、人を統率するのがとても長けていた。戦闘指揮についてはずぶの素人であるが、天性の勘があるらしく、エスティナ湖の戦いでは小部隊ながら奮闘を見せていた。
クーガはいかにも長者風の容貌をしており、とても戦争をするような男には見えなかった。サラサ軍に参加した理由は、土地を息子に譲って暇になったので少しでもかつてのご領主様のお役に立ちたいというものであった。
『少しなものか……。存分に役に立ってもらう』
もう一人はリーザ・ウェフェルという女性であった。年の頃は分からない。サラサは三十代後半とみているが、本人は絶対に教えてくれなかった。こちらの素性はかなり怪しい。
エストヘブン領近辺を仕切っていた盗賊集団の親玉であった。盗賊と言ってもその標的は皇帝や貴族あるいは領主の個人資産等であったという。その真偽のほどは判然としないが、とにかく帝国や皇帝といった権力が嫌いらしく、少女の身ながら皇帝に反旗を翻したことに男気(?)を感じたらしく、部下共々サラサ軍に志願してきたのである。
『もし私が皇帝になったらどうするんだ?』
サラサは冗談でそんなことを言うと、リーザは、
『それならもとの盗賊に戻ります』
と真剣に答えたのだった。しかし、後にサラサが本当に皇帝になった時、リーザは盗賊に戻らず、国土の治安を担当する民政長官となるのであった。
戦闘指揮に関しては申し分がなかった。流石に盗賊して帝国を暴れ周り、幾度となく帝国軍と渡り合っただけに、その強さは比類なかった。
カランブルに戻り軍の再編成を行ったサラサは、各軍の司令官―将軍―を任命した。
野戦軍の総指揮官はジロン。第一軍にジン、第二軍にネグサス、コーラルルージュとカランブルの防衛指揮官にはバロード。ここまでは今までどおりで新任には、第三軍にクーガ、第四軍にリーザを置いた。新任の二人は幕僚会議に呼ばれ、将軍の地位を与えられたのが意外だったらしく、揃って同じように目を丸くしていた。
「不服か?」
サラサは対照的な二人が同じような表情をしているので、からかい半分にそう聴いた。
「いえ、滅相もありません。過分な地位をいただいて驚いているだけです」
年長のクーガは如才なく応じた。リーザはまだ目を白黒させていたが、クーガの言葉を聞いて、
「お、おう。びっくりしただけです」
と声を裏返せながら、ぎこちない動作で席に座った。
「揃ったな。始めようか」
今後の方針について意見を聞きたい、とサラサは早速本題に入った。
「エスティナ湖で敵軍を打ち破ったのはいいが、エストブルクにはまだ多くの戦力が残されている。それにレンベルク要塞がある」
諸将が息を飲む音が聞こえた。誰しもがその存在を知っておきながらも、思考の外にあった。まさかこんなにも早くこの要塞と向き合うことになるとはサラサも考えていなかった。
「私も失念していたわけではないが、そこまで深く考えていなかったというのが正直なところだ。一度エストブルクに行った時に通ったが、まるで記憶がない。レンベルク要塞について詳しく知っている者はいるか?」
サラサが諸将を見渡すと、リーザが恐る恐る手を挙げた。元は盗賊の親玉のくせに、妙なところで緊張しいであった。
「リーザか。そうだな。お前にとってエストヘブンは庭のようなものだろう」
サラサが緊張をほぐすように言うと、所々から苦笑が漏れた。
「エストブルクへの大街道に中心とな本丸があり、近辺にある二つの支道にも小ぶりな支城があります。それらは地下道で繋がっていて連携が取れています。周囲には森林がありますが、大軍の通過は不可能です」
「なるほど。見た感じはそれぞれ独立した砦のように見えるが、これは一個の大きな砦と見た方がいいな。しかも、迂回することはできない。砦にはどれだけの兵が収容できるんだ?」
「そこまでは……」
「カランブルに残された資料によれば、約三千名ほどかと」
すかさずテナルが報告した。リーザがほっとしたように胸を撫で下ろしていた。
「三千ですか。ちょっと厄介ですな。野戦で相手する三千名と、篭城の三千名は違いますからな」
「ジロンの言うとおりだ。しかも、砦の外に陣を張ってくる可能性もある」
そこで、とサラサは続けた。
「まだまだ数で劣る我々が攻城戦を仕掛けるのは危険だ。敵を上手く野外に誘引し、野戦で決着をつける。これを基本方針としたい」
どうだ、とサラサが問い掛けると諸将は納得したように頷いた。
「そこで今回はリーザの第四軍にする。敵を挑発するのは得意だろう」
「なんだが褒められた気がしませんが……承知しました」
「第二陣はクーガの第三軍。続いてネグサスの第二軍だ。ジンの第一軍は今回予備兵力となってもらう」
ジンは悔しそうであったが、エスティナ湖での戦闘で一番損害が大きかったのは第一軍である。この措置は仕方なかった。
「出陣は三日後とする。各軍、休養と準備を怠るな」
解散、と言うと、諸将は席を立った。
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