コーラルヘブン⑤
コーラルルージュ城を陥落させたということは、実質上コーラルヘブン領を押さえたというのと同じことであった。
翌朝になってコーラルルージュをサラサ・ビーロスが落としたいう知らせが領内に駆け巡ると、各地から祝辞を述べるに来る者や、是非軍に入れて欲しいと希望する若者やらが集まってきた。
それらに対応する一方で、降伏した皇帝軍の処遇を決定しなければならなかったりと、サラサは多忙を極めていた。
「部隊長から捕虜の処遇ついてどうすべきか聞いてまいりましたが」
「降伏した皇帝軍は何人だ?」
「グラハンを含め百三名です。如何致しましょう?」
サラサは歩きながらミラからの報告を聞いた。現在ミラはサラサの秘書官のような仕事もこなすようになっていた。
「処刑するようにもいかんだろう。数日の食料を持たせて解放しろ」
「承知しました。それと新たに陣営に参加したいという者が……」
「軍の編成はジロンにやらせろ」
「サラサ様に面会を申し出ている者も……」
サラサは立ち止まり、ミラを睨んだ。コーラルルージュにはいってからほぼ不眠不休で、落ち着く暇もない。しかもサラサは事後処理だけではなく、これから先のことも考えなければならなかった。だから思わず、何でもかんでも私に言うな、と言いかけたが、サラサは口に出る瞬間で堪えた。
「サラサ様……」
「すまない、ミラ……。どうも疲れて苛々している」
「こちらも申し訳ありません。サラサ様にご無理ばかりさせて……」
ミラはしょんぼりと本当に申し訳なさそうに俯いた。そんな顔をされると怒るに怒れなくなってしまった。
「いや、悪いのは私だ。こうなるというのは覚悟していたのにな。私もまだまだ子供だ」
とサラサが言うと、ミラがぷっと笑った。
「何だ?」
「いえ、サラサ様。十分子供ですよ」
「知っている」
サラサも少しだけ笑うことができた。
「しかし、来てくれた者達を無下にはできないな」
「そうですが、いちいち会っていては時間が掛かってしまいます」
「当然だ。私はいち早くカランブルに戻りたいんだ」
早くカランブルに戻って来るべき皇帝軍との戦争に備えなければならない。それにはコーラルルージュよりもやはりカランブルの方が適していた。
『折角の故郷なのにゆっくりもできないか……』
次にコーラルルージュに帰ってきて故郷を懐かしめるのは何時になるだろうか?あるいはそのような機会にはもうめぐり合えないかもしれなかった。それでもサラサは、やらねばならないことを優先することにした。
「ミラ。城の一階に大きな講堂があるだろう?そこに皆を集めてくれ。古い奴らも新しく入ってきた奴らも一緒にだ」
「はい」
「こうなったらまとめて会ってやる」
大勢の人前で何事か喋るのは苦手であったが、これしかあるまいとサラサは思ったのだった。
コーラルルージュ城の行動に集まったのは約九百人に及んだ。尤も九百人も講堂に入れるはずもなく、半数以上の者は城の外に陣取り、開け放たれた窓からサラサの姿を見ることになった。
「随分と集まったものだな。そんなに小娘が珍しいか」
壇上に登る前、扉を隔てた控え室から様子を伺っていたサラサは、そんな軽口を叩きながら緊張を抑えていた。
「流石に緊張しますかな?」
ジロンの声が背後から聞こえた。
「当たり前だ。私は十四歳の少女だぞ。こんな大人数の前で平気で喋れるわけないだろう」
「やれやれ。人前で喋ることよりも大胆なことを仕出かした少女とは思えませんな」
「うるさいぞ」
サラサはジロンの軽口で随分と緊張がほぐれた気がした。二度ほど深呼吸をし、サラサは扉を開いた。
それまでややざわついていた講堂が静まり返った。誰もがサラサの歩く足音までも聞き逃さないでおこうとしているかのようであった。
サラサは壇上に立った。サラサのために集まった者達の視線が一斉に集まってくる。それは講堂の中からだけではなく、窓から身を乗り出すようにしている者達もサラサに熱い視線を送っていた。
「私がサラサ・ビーロスだ。皆、よく集まってくれた」
ここで一呼吸し、集まってくれた皆を見渡した。
「ここコーラルルージュは私の故郷だ。今日、こうしてここに戻ってこれて、本当に嬉しいと思う。そのために尽力してくれた皆にありがとうと言いたい」
突如として咽び泣く声が所々から聞こえた。きっとビーロス家に仕えてきた者だろう。彼らにしてみれば、ビーロス家の血を引く者がコーラルルージュに帰ってくるというのは悲願であったのだろう。
「コーラルヘブンは神託戦争以後、エストブルクの属領となり、現在は皇帝の直轄地となってしまった。その治世がひどいものであることは、カランブルでの住民の反乱と合わせて、皆なら十分に承知しているだろう」
いつしかサラサの言葉は演説になっていた。ここで所信を表明しておくことは、今後のことを考えれば必要なことであった。
「私はカランブルに世話になった。そしてコーラルルージュで生まれた。その二つの街の民衆が苦しんでいる姿を見るに忍びなかった。だから私は帰ってきた。帰ってきて、皇帝の圧政から脱却する戦いを始めることにした」
この演説は、後世の歴史家をして名演説として美化された。しかし、サラサは当初から演説する気などなく、ただ思いついたことをとりとめもなく喋っているだけであった。だからこそ心に打つものがあるのだ、と言ったのはジロンであった。
「国民は皇帝の私物ではない。領民は領主の私物ではない。民衆の上に行政と政治の執行者としての領主と皇帝がいる。私はそう思っている」
この発言は、サラサの政治姿勢を如実に表していた。彼女ほど帝位について己の華美を戒めたうえで、民衆に対して善政を布いた君主はいなかった。後の世で言う議会政治の原型を実施しようとしたのもサラサであった。
「民衆を蔑ろにする圧政から脱し、皆が笑って暮らせる日々が来るまで私は先頭に立って戦い続ける。だから、皆も力を貸して欲しい」
わっ、と歓声が上がり、万雷の拍手が沸き起こった。やがて一箇所で起こった万歳三唱が伝播し、講堂中に広がった。
『父上がこんなところを見たらどう思うだろうな』
またお転婆をして、と怒るだろうか。まぁ、いい顔をしないだろう。
『残念だけど、私は父上の娘だ。こうなってしまったのも、全部父上のせいだ』
いつのことか分からないが、父と泉下で再会した時、そう言い訳してやろうと思った。
サラサは万歳する者たちに対して手を振って応じた。
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