戦火灯る⑤

 大将軍バーンズ・ドワイトが兵卒二千を率いて帝都を出陣したのは帝暦一二二四年天臨の月二十日のことであった。数日後には皇帝が自ら進発する。


 『早くダルファシルに到着して、無血のうちにダルファシルを解放する』


 それがバーンズの目的であった。ジギアスがダルファシルについてしまったら、もはや戦端が開かれることは避けられない。そうなる前に僧兵達をエメランスに撤退させるしかなかった。そのためには時間が欲しい。行軍を急がせたバーンズは、通常一週間はかかるところを五日ほどでダルファシル領の領都ダルトメスト近郊まで到着することができた。


 これで僧兵達が一目散に逃げ帰ってくれることを期待したのだが、領都ダルトメストの外観を目の辺りにした時、バーンズは失望を禁じえなかった。


 街の周囲は幾重にも馬防柵に囲まれており、物見櫓が所々に建てられていて、僧兵が見張りに立っていた。そして教会の紋章が描かれた旗がはためき、まるで教会領そのものであった。


 「僧兵どもはダルファシルを占拠し、我らと事を構える気満々ではないですか!」


 と喚いたのはバーンズの腹心であるキリンスであった。前線で兵を叱咤するよりも、どちらかというと後方で戦術を考える参謀型の人物で、加えて比較的穏健な性格のため今回のような交渉必要とする場合には好んで身辺においていた。そのキリンスさえ、ダルトメストの光景を見て憤りを隠そうとしなかった。


 『私が冷静にならねば……』


 と言いながらも、バーンズも動揺と怒りを感じていた。数で勝る帝国軍に対して武力で事を構えようとは無知蒙昧にもほどがあった。


 「兎に角、戦端を開くにしても陛下がお越しになられてからだ。各部隊をダルトメストを包囲するように展開させろ。それと撤兵を求める使者を送る。すまんが頼まれてくれるか」


 「承知しましたが、果たして受け入れるでしょうか……」


 キリンスはダルトメストを遠望し嘆息した。




 使者としてダルトメストに向ったキリンスは、街中に入ることも叶わず、門前で追い返されてきた。普段は長者のように穏やかな表情のキリンスが苦りきった顔で帰ってきた。


 「どうだった、と聞くまでもないか……」


 「使者など受け付けぬの一点張りです。話にもなりません」


 バーンズは頑迷な僧兵どもが腹立たしくなってきた。ジギアスのいうとおり、こちらは最大限の譲歩をしている。それにも関わらず僧兵どもは寸分にも譲る気もない。


 『これでは僧兵どもの方が戦争をしたがっているようではないか!』


 それでもこの戦は避けねばならない。たとえ非が教会にあったとしても、長期に渡って教会と帝国政府が対立すれば、帝国軍の将兵にも動揺が生じる。帝国軍全軍を預かる身としてはされだけは避けねばならない事態であった。そのためにもジギアスが来るまではでき得る限りのことはせねばなるまい。


 「やむ得ぬな。私が再び使者として行ってこよう」


 「大将軍自ら行くことはありますまい。もはや皇帝陛下を待つまでもありません」


 「今回、貴官を連れて来たのは、穏健な貴官が私を制御してくれると思ったからだ。その貴官がそのように血気盛んではどうしようもあるまい」


 キリンスは、はっと何事かに気がついたように目を見張った。


 「これは失礼しました。しかし、いくらなんでも教会の横暴は過ぎているように思われます」


 「私もそう思わんでもない。しかし、帝国軍の中にも熱心な信徒は多い。それらが動揺する事態だけは避けねばならない」


 「それは承知しております。奴等はそれを知り抜いて我らと対峙しているようですな……」


 キリンスの言うとおりであろう。そしておそらくは帝国軍だけの問題ではなくなる。あるいは教会に味方する領主達も出てくる可能性だってあるのだ。


 「まだ陛下がお越しになるまで時間がある。それまでは戦端を開くわけにはいかん」


 そう言ってバーンズは馬上の人となった。随行する兵卒に白旗を持たせ、ダルトメストに近づいていった。


 「私は帝国軍大将軍バーンズ・ドワイトである。貴君達の代表者と話がしたい!」


 馬防柵の近くまで馬を寄せたバーンズは声を張り上げ叫んだ。柵の向こう側にいた僧兵達が訝しそうにこちらを見ながらも、攻撃してくる意図はないようであった。


 やがて体格のいい男がやってきた。身に着けている鎧からしてそこそこ高位の僧兵であろうか。


 「このような状況のため、柵のこちらから失礼する。私はシューレット・ゾアヒム。総本山エメランスより派遣された僧兵達の長である」


 言葉遣いこそ丁寧だが、その声量には人を威圧させるものがあった。油断ならぬとバーンズは思った。


 「こちらも馬上より失礼する。改めて貴君らに申し伝える。早々にダルファシルから撤兵されよ」


 「これは異なことを!ダルファシルで生じた事件について教会が善処せよと勅命をくだしたのは皇帝陛下自身ではないか」


 「確かに陛下はそのような勅命を下された!しかし、僧兵を派遣しダルファシルを占拠せよとは申しておられん。治安の維持は帝国軍によって行う。貴官らは反乱を起こした者達を処分し、エメランスに帰りたまえ!」


 隣にいた僧兵が何事かをシューレットに耳打ちをした。


 「左様なことは本職の与り知らぬことである。もし申したいことがあれば、総本山の教王様に申し上げよ!」


 バーンズは唇をかみ締めた。強硬な教会に対する怒りと、これで戦争になるという恐怖が一塊になってバーンズを襲ってきた。

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