戦火灯る

戦火灯る①

 ダルファシル領における変事が総本山エメランスにもたらされたのは、シード達がエメランスに到着した二日後のことであった。さらに教会伝奏方長官ホルス・マトワイトが血相を変えてエメランスにやってきたのはさらに数日後のことであった。教王バドリオはすぐさま最高司祭会議を招集した。


 「ダルファシル領での変事についての報告は以上です。これに対して皇帝陛下からは、教会に非があるのだから教会において造反した者どもの処分せよと要請してきました」


 書記官がそう報告すると、議場はざわめいた。ダルファシル領での変事自体が衝撃的なのに、それについて教会が対処せよという皇帝の要請は居並ぶ司祭達にとって想像の範疇を明らかに超えていた。


 「何たる要請だ!治安の維持は帝国政府の仕事ではないか!それにそもそもは、このアントワットとかいう領主の悪行が原因ではないか!」


 ひとりの司祭が激昂し、拳を震わしていた。皇帝に対して悪感情を抱いているのはバドリオだけではなかった。言動にこそ出さないが、彼のように思っている司祭は少ないはずであった。


 「教王様。今すぐ伝奏方長官を追い返しましょう!左様な無礼な話、いくら皇帝陛下とはいえ許せることではない!」


 バドリオも気分としてはこの司祭と同様である。しかし、この皇帝の要請を奇貨として逆に利用してやろうと思っている以上、安易に賛意を示すわけにはいかなかった。


 「まぁ、待ちたまえ。そう激昂しては議論にならん」


 「では、教王様のご意見を聞かせてください」


 と言ったのは腹心のオブライトである。こういう時、バドリオが有利になるように話を持っていくのが上手い男であった。


 「うむ。皇帝陛下の教会に対する非礼は確かに問題であると思う。しかし、今回の件については、皇帝陛下の言い分にも一理あると思われる。我が親愛なる信徒がその信仰心によって引き起こされた事件であるなら、教会によって対処すべき点もある」


 バドリオはちらりと総司祭長アルスマーン・ミサリオの方を見た。十年前の教王選挙の時に争った男である。思想信条はバドリオと正反対であり、次の教王選挙に立候補すれば間違いなくバドリオの対抗馬になるであろう。


 『前回は僅差で勝ちはしたが……』


 ここでアルスマーンと敵対すると、それがそのまま教王選挙の対立軸となる可能性が高い。政治的な問題なだけに、それは避けねばと思った。当のアルスマーンは俯き加減で、何を考えているのか分からなかった。


 「具体的にお聞かせください。教王様」


 オブライトが続きを促した。


 「私は僧兵をダルファシル領に出し、教会において治安維持を行うべきだと考えている」


 議場がざわめいた。無理からぬことであった。僧兵は教化を行う司祭を護衛するためにあるのであって、治安維持のためではなかった。政治的意図をもって僧兵が世に出たことなどこれまでの歴史の中ではなく、ある意味禁忌を破ることでもあった。


 だが、バドリオはやる気であった。人間界の治安を維持する機構が必ずしも皇帝である必要はない、というドライゼンの言葉を真に受けていた。


 『折角皇帝が善処せよと言ってきたのだ。そうさせてもらおう』


 治安維持を目的にダルファシル領に僧兵を繰り出して、事実上占領してしまう。これにより無事治安を回復すれば、他の領地の中にも信徒によって第二第三のダルファシル領が出現する。バドリオはそう睨んでいた。


 「流石に教王様です。素晴らしいご意見です」


 バドリオさえむず痒くなるぐらいのおべっかをオブライトが言った。他の司祭達も周囲を憚りつつも、賛意を示すようなことを口にし始めていた。


 「お待ちあれ方々。冷静になって考えられよ」


 アルスマーンであった。異論を唱えるとすればこの男しかいないと思っていた。


 「教王様の見解には一部の理はあるが、僧兵を繰り出せば、皇帝陛下に無用な誤解を与えてしまう。まずは使節団をダルファシルに繰り出し、武装蜂起した者達を解散させる。その後、帝国政府側と協議して首謀者をどうするか協議すべきではないか」


 バドリオは唸った。アルスマーンの提案は至極尤もで、元来ならそうすべきなのである。しかし、バドリオの思惑を実現させるためには、そのような真っ当な手段を採用するわけにはいかなかった。


 「総司祭長様はダルファシルの同胞を見殺しにするおつもりか!」


 早速にオブライトが噛み付いた。こういう場合、バドリオ自ら議論するわけにもいかないので、オブライトに任せることにしていた。


 「そういうことではない。武力を繰り出せば帝国軍と一触即発という事態にもなりかねないぞ」


 一触即発大いに結構。純軍事的にみれば僧兵集団が帝国軍に敵うとは思っていない。しかし、僧兵と帝国軍が全面戦争になれば、各地の信徒が黙っていないだろう。また帝国軍の軍人の中にも熱心な信徒がいる。そのことを考えれば、必ずしも不利ではない。寧ろ最終的には有利に立てる。バドリオはそう考えていた。


 だが、司祭達の中にはアルスマーンの意見に賛同の意を表す者もでてきた。バドリオは内心焦った。このまま押し切らねば、折角天から与えられた奇貨を逃してしまうかもしれない。


 「いかがですかな?総司祭長のいうとおりひとまずは使節団を派遣しては?ただ、武装蜂起した信徒達も血気盛んとなっているでしょうから危険を伴います。ある程度の僧兵は連れて行った方がよろしいかと」


 と発言したのは、普段日和見を決めている司祭であった。だが、今度の教王選挙では重要な地位を引き換えに支援を内諾してくれている。きっと援護射撃のつもりだろう。


 『そういうことか……』


 その司祭の意図は明確であった。使節団の護衛という名目で多数の僧兵を繰り出してしまえばいいのだ。僧兵の編成については僧兵総長の権限にあり、教王や総司祭長でも口を差し挟むことができない。しかし、現在の僧兵総長はバドリオの新派である。如何様にもできた。


 「なるほど。それはよい意見だ。総司祭長はいかがかな?」


 バドリオは自ら発言し、アルスマーンを促した。


 「そうであれば……」


 折衷案を出されてはアルスマーンとしても引き下がるしかないようだった。バドリオはほくそ笑みながらも、油断はしていなかった。寧ろこれでアルスマーンとの対立がはっきりとしたわけであり、教王選挙のことも考慮しなければならなかった。


 『一層のこと、いなくなってしまったらよいのだが……』


 バドリオの脳裏で何事か悪魔が囁いたような気がした。

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