陰謀の発火⑥

 レレン・セントレス。それが神託の巫女の名であることは、ガレッドならずとも帝国に生きる人間なら誰しもが知っていることであった。ある人はレレンのことを神託戦争の元凶だと誹り、ある人は寧ろ神託を利用された被害者であると同情した。それがこれまで自分と旅を続け、そして今は隣に座っている少女なのだと思うと、ガレッドは複雑な気分であった。


 ガレッドは今すぐにもレンにいろんな質問をぶつけたかった。しかし、今はアルスマーンとの面会のほうが先であり、ガレッドは様々な言葉を飲み込んだ。


 「それにしても久しぶりだな、ガレッド・マーカイズ。まさかレレンと旅をしているとは思わなかった」


 レンが自分がレレン・セントレスであることを打ち明けることによってガレッド達は、アルスマーンに会うことができた。十数年ぶりに再会したアルスマーンは、あの頃とちっとも変わっていなかった。


 「某のことを覚えていただいていて嬉しゅうございます」


 「ははは。私も幾人もの男を僧兵に斡旋してきたが、ガレッドほどの大男は稀じゃったからな。忘れもせんよ」


 アルスマーンは陽気に笑った。ガレッドの背後でも偉そうな感じで足を組んで座っているエルマは鼻で笑っていた。


 「それにしても本当に奇縁じゃな。ガレッドとレレンが揃って旅を……。ふむ、これも天帝様の巡り会わせと言うものかも知れんな」


 「ミサリオ様、そのことでござるが、某は実はもう僧兵ではござらんのです」


 「ふむ?」


 ガレッドは自分が教会より破門された経緯と、その後に続いたサイラス教会領での事件を知りうる限り語った。アルスマーンは表情ひとつ変えず聞いていたが、副官のスーランの顔色は次第に青ざめていった。


 「そのようなことが……まさか」


 スーランは信じられないとばかりに口を押さえていた。


 「真実です。私もガレッドも渦中にいましたし、そこのエルマさんとシードさんも同じです。それだけではなくて……」


 レンが斜め前に座っているサラサに目配せをした。


 「私達はレン達とは別件の事件に巻き込まれて、その真相を調べるために総本山まで来ました。それは……」


 サラサは淀みのない言葉で整然とエストヘブン領内乱とその影に天使の存在があったことを語った。そしてマランセル公爵領での一件も合わせて話した。


 「そのような愚かなことが……ましてや天使様まで……」


 ますますスーランの顔色が悪くなっていく。


 「残念ながら事実です。実はマランセル公爵領の事件ではエシリア様という天使様にお会いしてご同行しております。今は教王庁に出向いておられますが……」


 サラサは険しい表情をしていた。何か気がかりなことでもあるのだろうか。


 「確かに座視できぬ問題じゃな……」


 と言ったきりアルスマーンは黙り込んでしまった。何かを考えているようであり、何かを言い出せないようでもあった。


 「ミサリオ様。今すぐにもこられの問題を教王様にご報告いただき、ぜひとも善処していただきとうござる。このままでは教会の権威は地に堕ち、民心は落ち着かないでござる」


 「ふむ……」


 「ミサリオ様のご懸念は教王様との確執ですね」


 サラサは歯切れの悪いアルスマーンにずばりと言った。


 「鋭いお嬢さんじゃな。どうしてそう思われる」


 「帝都の図書館でいろいろと教会関連の書物を読みました。司祭会議の議事録や各地での説教をまとめたものなど。そこから類推したのです」


 ガレッドは思わずサラサを見た。ガレッドもそれらの書物は僧兵をしていた頃に度々見る機会があったが、そのような察することもなかった。レンとそれほど変わらぬこの少女の頭脳はどうなっているのかと思った。


 「確執というよりも考え方の相違……いや、それを確執というのだろうな」


 アルスマーンが観念したように言った。


 「ミサリオ様は信仰というものに真摯であり、それだけが教会の存在意義だと考えられておられる。一方で教王様はあまりにも政治的過ぎます」


 「そこのおるスーランも言っておったわ。お嬢さんの言うとおりじゃ。教王様は政治への興味を持ちすぎておられる。そのため私との議論はいつも平行線じゃ。この問題を持ち込んだところでまともに取り合うかどうか……」


 気弱になられたものだとガレッドは思った。出会った頃のアルスマーンはもっと溌剌としていて、相手が上役でも物怖じするようなことはなかったのだが……。


 「失礼ながら、教王様と対抗し、意見を唱えられるのはミサリオ様しかおりません。そのミサリオ様が逃げられてはもはや教会独自で自浄するのは不可能でありましょう」


 サラサの言い様にガレッドははらはらとした。いくらアルスマーンが気さくで温和とはいえ、あまりにも失礼な発言のように思われた。現に副官のスーランは今にもサラサに掴みかからんばかり勢いであった。


 「ははははっ。はっきりと言うお嬢さんじゃ。そのとおりじゃ。そのとおりじゃ。若いお嬢さんが頑張っておるのに、老人が逃げ口上を述べていては笑われるわな」


 突如火がついたようにアルスマーンが笑い始めた。緊張した空気が一気に融解していくようであった。


 「スーラン。今の件をすぐにでも書類にまとめてくれ。それとレレンが戻ってきていることは内密にな」


 「はい」


 「それと皆さんは少しゆるりとされていくがいい。私の権限が許す限りの行動の自由を保障しよう」


 心なしかアルスマーンの目に輝きが満ち、ガレッドの知る頃の姿に戻ったような気がした。

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